元 ちとせ(はじめ ちとせ、1979年1月5日[1] - )は、日本の歌手、奄美民謡歌手(唄者)。旧姓の本名同じ。
鹿児島県大島郡瀬戸内町(奄美大島)出身[1]。アリオラジャパン・オフィスオーガスタ所属。
来歴
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奄美大島南部の海辺に30世帯くらいが寄り集まっている瀬戸内町嘉徳(かとく[2])[3]集落で育つ。
1993年、中学3年生の時「塩道長浜節」で奄美民謡大賞少年の部優秀賞を受賞。1994年、鹿児島県立古仁屋高等学校1年在学時に「俊良主節」で奄美民謡大賞青年の部新人賞を受賞。
翌1995年奄美市のセントラル楽器からシマ唄のカセットテープ『ひぎゃ女童(めらべ)』発売[3]。この中で元が唄う「朝花節」が、同年の松竹映画『男はつらいよ 寅次郎紅の花』で劇中歌に使われた。
1996年、高校3年生の時、「嘉徳なべ加那節」を歌い、高校生初、史上最年少(当時)で奄美民謡大賞を受賞。1996年11月にシマ唄のCD『故郷・美ら・思い (しま・きょら・うむい)』が発売[3]された。
1998年10月、歌手デビューを目指し上京。HMV数寄屋橋店でアルバイトをしながら、自分の音楽を模索する日々を送る[4]。
2001年3月、The Sugarcubes、山崎まさよしらの曲をカバーしたミニアルバム『Hajime Chitose』でインディーズデビュー。7月にはオリジナル曲を収録したミニアルバム『コトノハ』をオーガスタレコードより発売(奄美民謡では前述の通り奄美在住中にCDデビュー済み[3])。
2002年、エピックレコードジャパンより発売したメジャーデビューシングル「ワダツミの木」が発売2ヶ月後にオリコンシングルチャートで1位となり、その後80万枚を超えるセールスを達成[1]。サウンドスキャンジャパンの2002年度年間シングルチャートでも1位を記録(オリコン・プラネットでは年間3位)。2002年度の新人歌手では最大のヒット曲となった。ルーツにシマ唄を持つ独特の歌唱法で、その天にも届く歌声は一部から「神の声」とも絶賛された[1]。
同年7月、ファーストアルバム『ハイヌミカゼ』を発売。本アルバムは2週連続でチャート1位を記録し、『第44回日本レコード大賞』ではベストアルバム賞を受賞。また同年、ディープ・フォレストのアルバム『Music Detected』に参加[5]。2002年10月 2003年3月まで放送されたNHK連続テレビ小説『まんてん』の主題歌「この街」を歌唱[注釈 1]。
2003年は6月に「千の夜と千の昼」、8月に「いつか風になる日」のシングル2作品を発売。9月に発売のセカンドアルバム『ノマド・ソウル』はアルバム・チャートで初登場1位(2003年9月15日)を記録し、ファーストに続いてアルバム2作連続初登場1位となった。同月、初の全国ツアー「元ちとせ コンサートツアー2003 "はじめまして"」を行い、大成功を収めた[1]。
2004年1月にホームページで結婚と妊娠を発表[1](しかしその後流産した)。
2005年6月、PlayStation 2向けに発売された『GENJI』の主題歌「月を盗む」を歌唱[注釈 2]。同年8月6日、出産後初めてテレビに登場し、TBS『筑紫哲也 NEWS23』に坂本龍一と共に生出演、広島市の原爆ドーム前で反戦歌「死んだ女の子」を演奏した。同年11月23日、新曲「語り継ぐこと」を発売し、本格的に歌手活動を再開。
2006年6月、パイオニアのCMに出演[注釈 3]。2007年にはデビュー5周年を迎え、アイルランドの国民的バンド、チーフタンズとのコラボレーションが実現。6月には彼らの全国ツアーに参加し、大きな話題となる。同年8月、フジテレビ系アニメ『ミヨリの森』で、一本桜の精として声優に初挑戦した。
2008年11月、福耳のメンバーである山崎まさよし、杏子とともに、ハウス食品ウコンの力CMに出演した。
2011年に奄美大島出身の中孝介との二人ユニット「お中元」を発足。3月9日に同ユニットにて、九州新幹線 (鹿児島ルート)全線開業のイメージソング「春の行人」をエピック・レーベルより発表。作曲は大橋卓弥、作詞は岡本定義。[6]同年、所属レーベルをオフィスオーガスタのレーベルがあるアリオラジャパンに変更。
2012年11月からは奄美市のあまみエフエムでレギュラー担当番組『Do you know me?』が開始、バーの常連客「スタートちゃん」(はじめの直訳)を演じて、店のネオママとトークしている。
私生活では、2004年1月の飲食店経営の男性との結婚し、同時期に拠点を沖縄に移し[1]、東京と沖縄を行き来するようになる。2005年1月、待望の第一子となる女児を出産後は、歌手と母親業の二足のわらじ生活を送った[1]。更に2009年12月12日に第二子となる男児を出産したの機に、生まれ故郷の奄美大島で暮らし始めた[7][1]。
趣味は相撲観戦で、白鵬を応援している。
エピソード
奄美での子供時代
奄美大島で父は建設業、母は大島紬の機織りの仕事や給食センターで働き、3姉妹の末っ子として育つ[1]。幼い頃は外を駆け回る活発な性格で、畑仕事をする大好きな祖母に付いて畑でよく過ごしていた[1]。集落ではシマ唄が日常生活に溶け込むように存在し、レコードから流れたり住民たちが口ずさむのを聴いて育った[1]。
小学5年生の時、母の勧めで三味線を習うことになり[1]、古仁屋で中野豊成に師事してひぎゃ唄と呼ばれる地元のシマ唄を習う。当時通っていた瀬戸内町立嘉徳小学校(2005年廃校)は全校児童が4人ほどの複式授業で、卒業式は1人きりであった。
本格的に歌手デビューへ
中学生の頃に、母から「自分のやっていること(三味線やシマ唄を歌うこと)の証を残しなさい」と言われたことから、民謡大会に出場するようになった[1]。シマ唄のカセットテープやCDを発売後、歌声の評判を聞いたレコード会社の人が8時間かけて奄美に訪れた。その人から名刺を渡されてスカウトされたが、当時は芸能界に特に興味はなかったためその話を断った[1]。
高校卒業後、美容師を目指して18歳で島を出て[1]、(当初三重県に転居したとされ、その後)兵庫県尼崎市の美容室で2年ほど働いた[1]。しかし薬剤が体に合わずに体調を崩し、薬剤アレルギーにより美容師になる夢を断念した[1]。島に帰るつもりで荷造りをしていたところ偶然上記の名刺が出てきて、軽い気持ちで電話をかけたことが、その後歌手としてメジャーデビューに繋がった[1]。
楽曲「死んだ女の子」
曲との出会い
2005年頃から、広島の原爆により7歳で亡くなった女の子を題材にした反戦歌「死んだ女の子」(カバーソング)を歌い続けている[1]。同曲は、詩人のナジム・ヒクメット[注釈 4]が作った詞(中本信幸が日本語訳詞を担当)に、作曲家の外山雄三が曲をつけ、「ヒロシマ及びナガサキの悲劇を繰り返さない」という平和へのメッセージが込められている[1]。
この曲との出会いは、インディーズデビュー(ミニアルバム『Hajime Chitose』の発売)前の頃、事務所社長でプロデューサーの森川欣信から「ちょぅとデモ盤を録るから」と告げられたことだった[1]。しかし、当時本人は原爆についてよく知らず、若かったこともあって詞の内容と向き合えずに終わった[注釈 5]。
24歳の頃、夏に広島で音楽イベントに出演した時に広島平和記念資料館を訪れ、初めて見る原爆の被害を受けた街や被害者の様子に衝撃を受けた[注釈 6]。これがきっかけで、『死んだ女の子』にもう一度ちゃんと向き合って「レコーディングしたい」と思うようになった[1]。
坂本龍一との関わり
ただし、平和を訴えるメッセージ性の強いこの歌をどんな風に伝えたらいいか悩んだことから、後日坂本龍一にプロデュースを願い出た。当時ニューヨークに住む坂本から快諾をもらい、現地で彼のプロデュース、アレンジ及び指揮により「死んだ女の子」が録音された[注釈 7]。
2005年に長女を産んだことや、戦後60年の節目であることから同曲を発表する機運が高まり、同年8月5日に配信[1]。翌8月6日に坂本と共に出演した『NEWS23』のステージでは、裸足で歌唱パフォーマンスを行った[1]。本番前、慣れない生放送でメッセージ性の強い「死んだ女の子」を歌うことに緊張していた[1]。すると横に並んでいた坂本が、“大丈夫”と落ち着かせるように元の手をギュッと握ってくれたことで吹っ切れ[注釈 8]、歌唱後は視聴者に大きな感動を巻き起こした[1]。
以降毎年、終戦日を迎える夏に期間限定でこの曲を配信し、その収益をチャリティとして寄付してきた[1]。また、同曲は2010年の映画『キャタピラー』の主題歌にも起用されるなど、元の代表曲の一つとなった[1]。
ディスコグラフィ
シングル
配信シングル
※厳密には配信シングルではないものも含む(配信後、アルバム等に収録されるなどした楽曲。)
配信日 |
タイトル |
収録アルバム |
備考
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2005年8月5日[注釈 9]
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死んだ女の子 |
3作目のアルバム『ハナダイロ』(初回限定盤ボーナストラック) |
映画「キャタピラー」主題歌
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2006年11月22日 |
六花譚(ロッカバラード) |
4作目のアルバム『カッシーニ』 |
ドラマ『氷点(2006年版)』主題歌
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2007年12月26日 |
恵みの雨 |
コンピレーションアルバム『image7』 4作目のアルバム『カッシーニ』 |
P&G シャンプー「h&s」テレビCMソング
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2009年3月4日(着うた/RBT)
2009年3月21日(着うたフル)
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遠い海へ旅に出た私の友達 |
11作目のシングル「永遠の調べ」 |
TBS系ドキュメンタリー番組「ウミガメが教えてくれること」テーマソング
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2010年1月27日(着うたR)
2010年2月1日(着うたフルR、RBT、PC)
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やわらかなサイクル |
11作目のシングル「永遠の調べ」 |
2010 JFL ECO MESSAGE SONG 新千歳空港エコエアポート2010公式応援ソング
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2012年10月3日 |
ワダツミの木 with SLY&ROBBIE |
(アルバム未収録) |
1作目のシングル「ワダツミの木」のリプロダクト曲
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2012年10月10日 |
語り継ぐこと 2012 |
(アルバム未収録) |
6作目のシングル「語り継ぐこと」のリプロダクト曲
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2013年12月25日 |
星めぐりの歌 |
(アルバム未収録) |
ソニー4K対応ブラビア TVCFソング 宮沢賢治作詞・作曲の曲のカバー
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2016年8月3日 |
君の名前を呼ぶ |
(アルバム未収録) |
映画『ゆずの葉ゆれて』主題歌
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アルバム
インディーズ作品
民謡
枚 |
発売日 |
タイトル |
備考
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1st
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1995年4月 |
ひぎゃ女童(めらべ) |
カセット。奄美民謡大賞新人賞受賞記念作品。発売元は奄美市のセントラル楽器。現在入手可能な最も初期の音源で、18曲入り、「子守唄」はCD未収録。収録曲は全てシマ唄。囃子:森山ユリ子、中野末子
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2nd
|
1996年11月 |
故郷・美ら・思い (しま・きょら・うむい) |
CD。奄美民謡大賞受賞記念作品。22曲入り、収録曲は全てシマ唄。一部はカセットと同じ音源、一部再録音[9]。セントラル楽器。囃子:森山ユリ子、中野末子。2002年6月10日にジャケットを変えて再発売。
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ポップス
枚 |
発売日 |
タイトル |
順位[8] |
備考
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1st
|
2001年3月10日 |
Hajime Chitose |
43位 |
全曲カバーのアルバム。2010年5月26日再発売され、ポップスでは現在入手出来る初の音源。
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2nd
|
2001年8月1日 |
コトノハ |
37位 |
全曲オリジナルによる初の音源。2010年5月26日再発売。
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メジャーレーベル作品
枚 |
発売日 |
タイトル |
順位[8]
|
1st
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2002年7月10日 |
ハイヌミカゼ |
1位
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2nd
|
2003年9月3日 |
ノマド・ソウル |
1位
|
3rd
|
2006年5月10日 |
ハナダイロ |
4位
|
4th
|
2008年7月16日 |
カッシーニ |
15位
|
5th
|
2010年8月4日 |
Orient |
38位
|
6th
|
Occident |
100位
|
7th(Best)
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2012年10月24日 |
語り継ぐこと |
41位
|
8th
|
2015年7月22日 |
平和元年 |
125位
|
9th
|
2018年11月14日 |
元唄(はじめうた)~元ちとせ 奄美シマ唄集~ |
192位
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10th(Remix)
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2019年11月27日 |
元唄 幽玄 ~元ちとせ奄美シマ唄REMIX |
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11th
|
2021年8月4日 |
トコトワ ~奄美セレクションアルバム~ |
138位
|
12th
|
2022年7月6日 |
虹の麓 |
109位
|
未音源化楽曲
- 2011年の冬の「ハイヌミカゼ」(定期的に行われるワンマンライブ)にて初披露。
参加作品
- 「福耳」を参照。
- お中元 「春の行人」(2011年3月9日、エピック ESCL-3636)
- 春の行人(ゆこうど)
- なごり雪
- 春なのに
- 春の行人(instrumental)
- ソニック『失竊千年』(2014年12月29日 禾廣 Hove CHFC141229)
- M10 「暮沉武德殿(民謠版)」(「Defenders of Bú-Tik Palace (acoustic)」)
- 台湾のブラックメタル・バンドの作品にゲストボーカル(「元千歲」名義)として参加、台湾語で歌唱。
出演番組
テレビ
ドキュメンタリー
その他
ラジオ
- 2012年11月に始まったレギュラー担当番組。毎週金曜22:00から30分間。再放送は土曜23:00。インターネットのサイマル・ラジオ、ListenRadioによって世界各地でも聴くことができる。
CM
- 西平本家 - 奄美黒糖焼酎「せえごれ」(商品ラベルの題字も書いた。奄美市の歓楽街屋仁川通りに大きな看板がある。)あまみエフエム『Do you know me?』のスポンサー。
脚注
注釈
- ^ NHKより早くから『第53回NHK紅白歌合戦』の出演打診を受けており、一部メディアに「出場確実」と報じられていた。しかし、事務所側より「元ちとせ単独ではなく、福耳ユニットとの抱き合わせでないと出場させない」と杏子の紅白出場に森川社長が執着したが、NHKがその要望を断ったため、最終的に元は出場を辞退した。
- ^ シングル「語り継ぐこと」に収録。
- ^ 「青のレクイエム」を歌うシーンで、自身初のCM出演となった。
- ^ トルコの社会派詩人で、原爆投下直後の広島に訪れて同曲を作詞した。「炎に焼かれて死んだ子は、二度と甘いあめ玉もしゃぶれない」という切ない内容になっている。
- ^ これについて本人は、「当時単純に『怖いタイトルだな』と思いましたし、歌詞の内容も原爆で幼い女の子の髪の毛が焼けたりするというものでした。正直、私の中ではどういう感情でこの歌に向き合っていいのか分からなくて」と述懐している[1]。
- ^ 本人は、「こんな大切な歴史の真実も知らないで、当時“もう大人だ”と思っていた自分を恥ずかしいと感じたんです」と述懐している[1]。
- ^ 初対面時に坂本から皆気を遣って、僕にオファーをしてくる人はそんなにいないんだ」と言われ、今回の依頼を本当に喜んでくれたという。元によると、「お会いする前から私の周りのスタッフたちがみんなガチガチに緊張していたので、“坂本さんってそんなに怖い人なのかな”と思いました。でも実際に会った坂本さんの素顔は、とてもお茶目な方でした。その数日後、スタジオの指揮台に立った坂本さんは20人ほどの様々な国籍の演奏家を前に、自ら英語で『死んだ女の子』の歌詞の意味と原爆が落とされた広島について解説してくれました。坂本さんは『この音楽を、あなたたちがアメリカで演奏するということに大きな意味があるんだ』と、力を込めておっしゃいました」と回想している[1]。
- ^ 元は坂本について、「坂本さんのそういう優しさもきっと感性の鋭さから来るものなんでしょうね。『死んだ女の子』をレコーディングした時も思いましたが、あからさまに『戦争反対!』とかではなく音楽でしか生まれないもの、熱いものを、坂本さんとお互いに同じ温度感で作品に詰め込むことができた。つくづく坂本さんの音楽というのは、人柄そのものなんですね。彼の優しさ、愛情、思いやりがその根底にある。この曲を通して坂本さんと音楽で関われたことは、本当に貴重な経験でした」と述懐している。
- ^ 初回配信は2005年8月5日から8月15日までで、その後、毎年8月に限定配信された。
出典
参考文献
関連項目
- 福耳 - 事務所の仲間とともに活動するユニット。
- ヴァージンVS - 冬のサナトリウム・百合コレクションの原曲を作ったあがた森魚のバンド。
- 中孝介 - 元ちとせと同じ奄美大島出身で、元ちとせの唄を聞いて島唄を始めた男性歌手。「お中元」のメンバーで、ジョイントコンサートもたびたび開催。
- RIKKI(中野律紀) - シマ唄を習った中野豊成の姪で、鹿児島県立古仁屋高等学校の先輩。1990年に史上最年少で奄美民謡大賞を受賞。
- 里歩寿 - 元ちとせと同じく中野豊成に師事、中学校の後輩、元ちとせが持っていた奄美民謡大賞最年少受賞記録を更新。
- 城南海 - 元ちとせと同じ奄美大島出身で、中学校の後輩、元ちとせの唄などを聞いて島唄を練習した女性歌手で、親交がある。
- ハシケン - 元ちとせに楽曲を提供してる奄美大島在住のシンガーソングライター。奄美観光大使。
外部リンク
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2025 |
大賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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日経WOMAN特別賞 | |
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2024 |
大賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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日経WOMAN創刊35周年特別賞 | |
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2023 |
大賞 | |
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受賞 |
遠藤舞憂子(花王株式会社化粧品事業部門マステージビジネスグループKATE)
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 | |
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2022 |
大賞 | |
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世界に希望を紡ぐ科学者賞 | |
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理系の新・ロールモデル賞 | |
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思いやり経営賞 | |
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子育てダイバーシティ賞 |
北川聡子(社会福祉法人 麦の子会 理事長・総合施設長)
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心の揺らぎサポート賞 |
櫻本真理(cotree/コーチェット 代表取締役)
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途上国の自立支援に貢献賞 | |
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循環型社会へのイノベーター賞 |
坂野晶(一般社団法人ゼロ・ウェイスト・ジャパン 代表理事)
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2021 |
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2020 |
大賞 | |
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準大賞 | |
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受賞 |
石川賀代(社会医療法人 石川記念会理事長、石川ヘルスケアグループ 総院長)
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受賞 | |
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受賞 | |
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受賞 |
平田麻莉(一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会 代表理事)
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受賞 | |
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特別賞 | |
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2019 |
大賞 | |
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再出発サポート賞 | |
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新・事業承継モデル賞 | |
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世界の子供を守る賞 | |
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ブレイクドラマ制作賞 | |
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イノベーティブ起業家賞 | |
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日本を伝えるメディア賞 | |
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子育て支援サポート賞 |
高塚清佳(新生企業投資 インパクト投資チーム シニアディレクター) 黄春梅(新生企業投資 インパクト投資チーム シニアディレクター)
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特別賞 | |
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2018 |
大賞 | |
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人生100年時代のロールモデル賞 | |
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働き方改革サポート賞 | |
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超高齢化社会の希望賞 | |
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共感型プロモーション賞 |
和気洋子(ヤフー コーポレートコミュニケーション本部 ブランドマネジメント室リーダー)
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「アストロウーマン」の道開拓賞 | |
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特別賞 | |
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2017 |
大賞 |
弭間友子(東宝 映像本部 映像事業部 アニメ事業グループ 宣伝プロデューサー)
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デザインものづくり賞 | |
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「ドボジョ」キャリア開拓賞 | |
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食ビジネス革新賞 | |
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イノベーティブものづくり賞 | |
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子育て家庭応援ビジネス賞 | |
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チーム2017賞 | |
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2016 |
大賞 | |
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メガヒットメーカー賞 | |
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次世代ものづくり賞 | |
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ベストマーケッター賞 | |
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未来をつくるサイエンティスト賞 |
髙橋政代(理化学研究所 多細胞システム形成研究センター網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダー・眼科医)
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情熱経営者賞 | |
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チェンジメーカー賞 | |
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2015 |
大賞 | |
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準大賞〈リーダー部門〉 | |
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準大賞〈キャリアクリエイト部門〉 | |
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入賞〈リーダー部門〉 | |
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入賞〈キャリアクリエイト部門〉 | |
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入賞〈ヒットメーカー部門〉 | |
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2014 |
大賞<キャリアクリエイト部門> | |
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準大賞<リーダー部門> | |
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準大賞<ヒットメーカー部門> | |
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入賞<リーダー部門> | |
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入賞<ヒットメーカー部門> | |
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入賞<キャリアクリエイト部門> | |
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2013 |
大賞<リーダー部門> | |
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準大賞<ヒットメーカー部門> | |
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準大賞<リーダー部門> | |
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リーダー部門入賞 | |
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入賞<ヒットメーカー部門> | |
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入賞<キャリアクリエイト部門> | |
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2012 |
大賞 | |
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準大賞 |
森本千絵(goen゜主宰 コミュニケーションディレクター アートディレクター)
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準大賞 | |
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リーダー部門入賞 |
野坂千秋(味の素 執行役員 食品事業本部 食品研究所 商品開発センター長)
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リーダー部門入賞 | |
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ヒットメーカー部門入賞 | |
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ヒットメーカー部門入賞 | |
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キャリアクリエイト部門入賞 | |
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ヒットメーカー部門入賞 | |
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特別賞 | |
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2011 |
大賞 1位 |
福島理恵子(東芝 研究開発センターマルチメディアラボラトリー 主任研究員兼エコテクノロジー推進室参事)
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2位 | |
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3位 | |
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4位 |
日置真世(北海道大学大学院教育学研究院附属子ども発達臨床研究センター助手/NPO法人地域生活支援ネットワークサロン理事兼事務局顧問)
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5位 | |
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6位 | |
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7位 | |
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8位 | |
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9位 |
熨斗麻起子(中国・深圳 可宝得環保技術有限公司 総経理)
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10位 |
小林麻美(日本コカ・コーラ マーケティング本部 ウォーターカテゴリーウォーターグループマネジャー)
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ヒットメーカー部門 | |
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キャリアクリエイト部門 |
白木夏子(株式会社HASUNA 株式会社HASUNA 代表取締役) 高橋啓子(米国サンフランシスコのフランス料理店「EL PASEO」エグゼクティブ・シェフ)
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2010 |
大賞 1位<リーダー部門> |
西郷真理子(都市計画プランナー/株式会社まちづくりカンパニー・シープネットワーク代表取締役)
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2位<リーダー部門> | |
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3位<キャリアクリエイト部門> | |
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4位<リーダー部門> | |
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5位<ヒットメーカー部門> | |
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6位<キャリアクリエイト部門> | |
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7位<リーダー部門> | |
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8位<ヒットメーカー部門> |
呉裕利子(花王 ファブリック&ホームケア事業ユニット ファブリックケア事業グループ シニア開発マネージャー)
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9位<リーダー部門> | |
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10位<ヒットメーカー部門> |
吉本光里(松竹 映画宣伝部 宣伝企画室 宣伝プロデューサー)
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今年の顔 |
福島みずほ(内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、少子化対策、男女共同参画) 湊かなえ(作家)
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2009 |
大賞 1位<ヒットメーカー部門> | |
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2位<リーダー部門> | |
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3位<ヒットメーカー部門> | |
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4位<キャリアクリエイト部門> | |
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5位<キャリアクリエイト部門> | |
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6位<ヒットメーカー部門> | |
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7位<リーダー部門> | |
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8位<リーダ-部門> | |
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9位<リーダー部門> | |
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10位<ヒットメーカー部門> | |
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特別賞 | |
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話題賞 | |
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2008 |
大賞 1位<リーダー部門> | |
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2位<リーダー部門> | |
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3位<リーダー部門> | |
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4位<キャリアクリエイト部門> | |
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5位<ヒットメーカー部門> |
海老澤香織(花王 ビューティケア事業ユニット プレミアム・ヘアケアグループ インバスグループ)
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6位<ヒットメーカー部門> | |
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7位<リーダー部門> |
松村文代(東芝 産業システム社 事業開発推進統括部 課長代理)
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8位<リーダ-部門> | |
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9位<ヒットメーカー部門> | |
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10位<キャリアクリエイト部門> | |
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特別賞 | |
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2007 |
大賞 1位<リーダー部門> | |
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2位<リーダー部門> | |
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3位<リーダー部門> | |
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4位<キャリアクリエイト部門> | |
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5位<ヒットメーカー部門> | |
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6位<リーダー部門> | |
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7位<キャリアクリエイト部門> | |
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8位<リーダ-部門> | |
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9位<ヒットメーカー部門> |
鈴木里佳(三洋電機 パワーグループ モバイルエナジーカンパニー マーケティング部 マーケティング課 主任)
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10位<ヒットメーカー部門> | |
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特別賞 | |
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2006 |
大賞 1位<リーダー部門> | |
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2位<キャリアクリエイト部門> | |
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3位<リーダー部門> | |
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4位<ヒットメーカー部門> | |
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5位<リーダー部門> | |
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6位<リーダー部門> | |
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7位<リーダー部門> | |
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8位<リーダ-部門> | |
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9位<ヒットメーカー部門> | |
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10位<ヒットメーカー部門> |
高橋美由紀(日産自動車 マーケティング本部マーケティングダイレクターオフィス マーケティング・ダイレクター)
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特別賞 | |
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話題賞 | |
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2005 |
大賞 1位<リーダー部門> | |
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2位<ヒットメーカー部門> | |
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3位<リーダー部門> | |
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4位<リーダー部門> | |
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5位<リーダー部門> |
内出幸美(気仙デーサービスセンターグループホーム「ひまわり」総所長)
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6位<リーダー部門> |
関幸子(まちづくり三鷹 事業部企画事業 グループマネジャー)
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7位<リーダー部門> | |
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8位<ヒットメーカー部門> | |
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9位<ヒットメーカー部門> |
齋藤未来(ナムコ チームナンジャ「自由が丘スイーツフォレスト」ストアディレクター)
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10位<キャリアクリエイト部門> | |
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2004 |
大賞 1位<リーダー部門> | |
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2位<リーダー部門> | |
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3位<リーダー部門> | |
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4位<ヒットメーカー部門> | |
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5位<リーダー部門> | |
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6位<リーダー部門> |
名取美和(タイ・チェンマイHIV感染孤児施設「バーンロムサイ」代表)
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7位<キャリアクリエイト部門> | |
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8位<ヒットメーカー部門> | |
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9位<ヒットメーカー部門> | |
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10位<今年の顔> | |
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2003 |
大賞 1位<リーダー部門> | |
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2位<リーダー部門 | |
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3位<キャリアクリエイト部門> |
堀木エリ子(堀木エリ子&アソシエイツ代表 和紙プロデューサー)
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4位<ヒットメーカー部門> | |
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5位<ヒットメーカー/リーダー部門> | |
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6位<リーダー部門> | |
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7位<今年の顔> | |
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8位<リーダー部門> | |
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9位<リーダー部門> | |
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10位<今年の顔> | |
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特別賞<今年の顔> | |
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2002 |
大賞 1位<リーダー部門> | |
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2位<ネット部門> | |
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3位<リーダー部門> | |
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4位<ヒットメーカー部門> | |
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5位<リーダー/ネット部門> | |
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6位<ヒットメーカー部門> | |
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7位<ネット部門> | |
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8位<カルチャー部門> | |
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9位<キャリアクリエイト部門> | |
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10位<カルチャー部門> | |
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2001 |
大賞 1位<ヒットメーカー部門> | |
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2位<リーダー部門> | |
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3位<リーダー部門> | |
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4位<脱・事務部門> | |
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5位<カルチャー部門> | |
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6位<ネット部門/リーダー部門> | |
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7位<リーダー部門> | |
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8位<ヒットメーカー部門> | |
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9位<ネット部門> | |
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10位<カルチャー部門> | |
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2000 |
大賞 1位<ヒットメーカー部門> | |
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2位<キャリア・起業家部門> | |
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3位<ヒットメーカー部門> | |
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4位<カルチャー部門> | |
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5位<キャリア・起業家部門> | |
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6位<ヒットメーカー部門> | |
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7位<脱・事務部門> | |
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8位<カルチャー部門> | |
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9位<キャリア・起業家部門> | |
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10位<ヒットメーカー部門> | |
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