{{翻訳告知|en|Romper Room|…}}
『ロンパールーム』は、1963年10月7日から1979年9月28日まで日本テレビ系列局で放送されていた子供向け番組。当初は月曜 - 土曜の放送だったが、1975年9月27日を以て土曜日での放送を終了している。番組開始当初はモノクロ放送だったが、1964年4月22日からカラー放送化した[1]ものの、カラー化当初からしばらくは、時々モノクロ放送の日もあった。
アメリカの同名の番組“Romper Room”を参考にして製作された番組。同番組のフランチャイズはフリーマントルメディアによって行われ、アメリカ国内のボルチモア(オリジナル)、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスをはじめ、カナダ、オーストラリア、北アイルランド、イギリス、プエルトリコ、香港でも放送されている。題名の“Romper”とは「腕白・やんちゃ」を意味する言葉、および子供用のつなぎ服“rompers”(ロンパース)から取られた。
以下は特に注記しない限り、日本で放送された番組について説明する。
放送開始から1年間は生放送で行われていたが、以後は録画放送(後述の「きれいなきんたま」事件では既に録画放送だった)。収録は2週間分まとめて行われ、2週連続で同じ幼児が出演した。その際に服は着替えたという。1回に出演する幼児は放送開始時は6人であったが、人数が少ないと画面が寂しく見えるという意見があり10人に増やした[2]。出演者の応募は3か月ごとに行われたが、一万通前後の応募はがきが送られてきた[2]。
番組の構成は「教育 - 遊び - おやつ - 絵本」という流れで、これはアメリカ版と同じである。
司会のお姉さんは「先生」と呼ばれていた。初代先生は並木翠(夫の海外赴任に伴い降板)、2代目先生はうつみ宮土理(出演当時の芸名は「うつみみどり」)。以降、「みどり先生」が定着し、3代目以降も「みどり」を名乗るようになる[2]。歴代の「みどり先生」の中で卒業後もタレント活動を続けたのは、うつみだけだった[2]。並木は番組開始前にニューヨークへ渡り、世界各国の「先生」と共に本番組制作の研修を受けた。
ミツバチを擬人化したキャラクター人形「にこちゃん」(良い子)「こまったちゃん」(悪い子)があり、毎週お約束が書かれていた。原作アメリカ版にも同じ人形があり、こちらは "Do Bee, Don't Bee" と呼ばれていた(それぞれDo be( - でいなさい)、Don't be( - ではいけません)と掛けている)。日本語版の呼称は初代先生の並木が考案した。3代目以降、にこちゃんは腹話術人形としても登場した。
初期 - 中期には、パンチボールや倒れそうなブロック積みなどのゲーム(いずれも、番組提供社である野村トーイ製品)が行われた。中期以降、2名がパールちゃん・ニャンコ・チュー助というキャラクターを各々頭にかぶり、歌に合わせてでんぐり返しやトンネルくぐりをして、最後に出てきたところで、キャラクターを比べて勝敗を決めるコーナーがあった。
「ニコちゃん風船」(のちに巨大な「パンチボール」になる)、「ギャロップ木馬」(「ギャロップ」の曲にあわせて、木馬にまたがりグルグルと走り回る)、「お天気坊やとお天気みどりちゃん(紙製着せ替え)」などのおもちゃがあり、着せ替えについては同様のものが市販された。
「おやつの時間」というコーナーがあり、出演する子供にお菓子や牛乳が振舞われた。その後、「絵本の時間」として各幼児がめいめい好きな絵本を選んだ後、朗読が行われた。
絵本の時間に続いて番組の最後に、みどり先生が丸型で取っ手の付いた銀ラメの鏡を持ち出して「鏡よ鏡よ鏡さん、みんなに会わせて下さいな。そ~っと会わせて下さいな…」と呪文を唱え、イメージシーンが挿入された後に鏡が枠だけになり、枠からみどり先生が顔を覗かせ、視聴者の子どもの名前を呼ぶコーナーがあった。視聴者の母親からは「子供が泣いてしまうのでぜひ呼んでほしい」という意見が多かった[2]。これもアメリカ版からそのまま引き継いでいる。
※以下は1977年12月当時放送のテロップによる。
キングレコードおよび日本コロムビアから複数のレコード、シングルレコード(他社含む)が発売された。それぞれ番組テーマ曲といくつかのオリジナル童謡から成り立っているが、既存の童謡は収録されていない。
など[5]
あ行
か行
さ行
た行
な行
は行
ま行
や行
ら行
わ行
1979年4月3日から9月28日まで日本テレビ系列局で平日11:00 - 11:25に放送された。セットの大幅模様替え、出演幼児の増加、ディスコダンスを取り入れるなど大幅リニューアルを図るが半年で終了し、ロンパールームは16年の歴史に幕を下ろした。最終週にあたる1979年9月24日から9月28日までは「さよなら特集」と銘打ち、歴代のみどり先生が交互に登場したが、初代の並木翠は渡米中であったため出演していない[2]。
番組終了時の記事では、視聴率自体は良かったものの、局内ではマンネリ化の意見が強く、長い放送期間の間にスポンサーが付きにくくなって提供社が無くなったこと[注 12]、著作権料として毎週1000ドル近くをフリーマントルへ支払っていた件などが番組終了の理由として書かれている[2]。
1980年4月から9月までテレビ朝日系列で土曜7:00 - 7:15に放送された。司会を務めたのは田中星児で、日本テレビ版と同じく野村トーイ提供であった。
キャラクターは恐竜をイメージしたものに変わり、原型での「魔法の鏡」は存在しなかった。内容は独自の形式であり、原型とは大きく異なっていた。また、ネット局もテレビ朝日系とあって、ごくわずかの局でしか放送されなかった。そして、1980年9月に番組は終了し、『ロンパールームシリーズ』は完全に幕を閉じた。
1968年10月から、髙島屋は日本テレビ(関東)、読売テレビ(関西)の2局ネットで火・木・土曜日にこの番組の共同提供を開始した[6]。1975年10月からは火・木曜日に提供日が変更となるが、関東では1977年12月まで、関西では1978年3月まで提供を継続している[6]。CMも番組内容に合わせ、ローズちゃん人形を使った"タカシマヤのローズちゃん"のアニメーションシリーズで展開した[6]。野村トーイも共同提供の1社で、番組のコーナーである「遊びの時間」に同社の玩具を提供した。
この番組には都市伝説とされる一エピソードがあるが、ロンパールーム2代目先生であったうつみ宮土理の証言により、一部には相違があるが、大筋においては事実と判明している。
先生からしりとり[7]ゲームとして「『き』で始まるものの名前を答えて下さい」と言われた幼児の1人が、「きんたま」と口にして、先生が「もっときれいなもので答えてね」と言ったところ、今度は「きれいなきんたま」と答えた。そこで番組は「しばらくお待ち下さい」と放送が中断し、再開されるとその幼児が座っていた場所にはクマのぬいぐるみが置かれていて、この幼児はいなくなっていた、というものである。生放送中の出来事とされる[8]。
いつ頃から流布している話なのかは正確には不明だが、1982年には作家の落合恵子が友人から聞いた「あるテレビ局の子ども番組での出来事」として、「きれいなきんたま」と発言したという部分までを雑誌で紹介している[9]。同じく1982年に漫画家のささやななえは、夫の知り合いのさらに友人から伝わった話として、児童の「きれいなキンタマ」発言から放送中断を経て熊のぬいぐるみが置かれていたという一連の流れを実際にあったこととして雑誌エッセイで紹介している[10]。1990年には武蔵野音楽大学講師の行方均がある学生からこの話を聞いたとして都市伝説の翻訳本に記している。いずれも『ロンパールーム』と断定しておらず、落合は「あるテレビ局の子ども番組」[9]、ささやは「『おかあさんと一緒』か『ロンパールーム』か知らないが」[10]、行方は「あるテレビの公開子供番組――『ロンパールーム』という説が多い」としている[8]。
2002年12月29日放送『さんまのSUPERからくりTV』(TBS)のなかで、「キンタマ」という単語を連発する司会の明石家さんまに対し、回答者として出演していたうつみが「そういう子がロンパールームにいたのよ。言うことを聞かなくてうるさいから出て行ってもらったの」と発言した。それに対してさんまは「で、コマーシャルが終わったらその子の席にぬいぐるみが置かれていたんでしょ」と聞き返し、うつみは「そう」と肯定した。
2005年4月28日放送『ビーバップ!ハイヒール』(朝日放送、関西ローカル)も検証コーナーとして特集を組み、うつみにこの件について確認したところ、うつみが実際に起きた出来事であると証言する模様が流れた。この時にうつみは、「自分が番組を担当していた時(1966年から1969年までの間)に実際に起こった」、「収録はVTRだったが、当時はVTR編集には時間もお金も掛かり、ドラマなどを別にすると編集をしないで放送するいわゆる「撮って出し」が普通であり、この時も多少問題にはなったのだが、結局、そのまま放送することになった」、「当時は、VTRは非常に高価だったため、VTRの使い回しが普通だったので、その回のVTRはおそらく現存しないはず」と証言した。非常に時間を取った詳細な証言であった。
うつみ宮土理の公式YouTubeチャンネル「うつみ宮土理公式 けろちゅうぶ」でもこれは事実であるとしている[7]。2021年8月5日公開の動画「【放送事故】クマのぬいぐるみ事件の真相を語ります【ロンパールーム】【都市伝説】」で、「男の子は端っこに座っていた」「男の子のお母さんは着物を着ていた」「男の子は半ズボンにブレザーを着て髪を七三に分けていた」などの詳細な状況を述べている。そして「後年、週刊朝日のコーナー『あの人に会いたい』の取材で中学生か高校生くらいになった男の子と再会した」「名前は忘れたが、(2021年)現在のその子に会いたい」とも述べている。
また、2005年9月21日放送『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)の「テレフォンショッキング[注 13]」にて、ある観客が「番組が年内終了するのか?[注 14]」とタモリに繰り返し質問したことからスタッフにつまみ出され、CMの後、その席には実際にクマのぬいぐるみが置かれていた(後に、その観客には了承を得た上で退席してもらい、スタッフが急遽ぬいぐるみを用意したと説明された)。番組が違うとはいえ、都市伝説が現実化した例と言える。これ以外に、漫画『かってに改蔵』(単行本第11巻)、『GTO SHONAN 14DAYS』(単行本1巻)、『喧嘩商売』(単行本16巻)でも生放送の番組で問題発言をしたキャラが、番組途中でぬいぐるみと入れ替わるというパロディが描かれたことがある。
このほかにも1987年のミスタードーナツのCMでは、所ジョージの「(販促品の)お弁当箱欲しい人」という子供たちへの問いかけに対して、1人だけ「要らん」と絶叫した子供がスタッフにつまみ出され(その間、「このまましばらくお待ちください」というフリップが掲げられるが、演出上の掲出なので後ろで一部始終が見える)、代わりに信楽焼の狸が置かれたうえで再度問い掛けなおすという、この事件とよく似たモチーフのストーリーが描かれたことがある。
なお、番組に出演中の幼児が暴言や卑猥なセリフを言ってしまったために番組が中断されてしまうという都市伝説は、日本のみならず世界各地で知られており、例えばジャン・ハロルド・ブルンヴァンは「道化師ボーゾー」や「アンクル・ハウディ」といった番組の例をあげている[11]。
鳥山明のSFコメディー漫画「Dr.スランプ」で、この番組を意識した件(いわゆるオマージュ)や、山吹みどりやニコチャン大王なるキャラクター(この番組に登場するキャラクターとは全くの別物のデザイン)を登場させたことがあった。
※系列は当時の系列。
アメリカでの大元のオリジナル版はボルチモア版である。その他ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスなどのローカル版があった。
英語圏での先生は、一般的な幼稚園の先生に倣って“Miss Nancy”や“Miss Sally”という具合に呼ばれた。
この他にイギリス全国版と北アイルランドのローカル版がある。
(1965年10月 - 1972年3月の間は平日と同じ)
石川進 - 楠トシエ - 天地総子 - 小鳩くるみ - 鶴間エリ - 三井恒 - 海老名美どり - 峰竜太 - 関谷ますみ - サンダー杉山 - 橋達也 - 大場久美子
愛川欽也 - 富山敬 - 田の中勇
加藤精三
雷門ケン坊
海野かつを
レッドマン - 行け!ゴッドマン - 行け! グリーンマン - 行け! 牛若小太郎(クレクレタコラ)
カネゴン - ガラモン
ウー - ゴモラ - ジラース - ゼットン - テレスドン - ドラコ - バルタン星人 - メフィラス星人
イカルス星人 - エレキング - ゴーロン星人
アーストロン - グドン - ゴーストロン - ゴキネズラ - コダイゴン - サドラー - ブラックキング - ベムスター
ガバラ - サンダ - ガイラ
ゴロザウルス - カメーバ
ゴリラ - ミニラ
スーパースリー - 電子鳥人Uバード - ウッドペッカー - トッポ・ジージョ - もうれつバット君 - 突撃キャット君
とびだせ!バッチリ - たまげ太くん
大村崑 - 石川牧子 - 横山やすし・西川きよし - 青空球児・好児 - 黒澤久雄 - 長谷川コッペ
山下毅雄 - 谷啓 - ハナ肇
薗田憲一 - 辻シゲル
佐々木信也 - 大下弘 - 沼澤康一郎
志生野温夫
須藤豊
巨人の好きな子この指とまれ - あいつの机 - おべんとうばこのうた - だるまさんがころんだ
日本テレビ - テレビのおばちゃま - カリキュラマシーン - ロンパールーム - おはよう!サンデー
正力松太郎 - 正力亨 - 小林與三次