この項目では、イングランドのサッカークラブについて説明しています。
リヴァプール・フットボール・クラブ (英 : Liverpool Football Club )は、イングランド ・マージーサイド州 ・リヴァプール をホームタウンとする、イングランド ・プレミアリーグ に加盟するプロサッカークラブ。愛称はレッズ (The Reds )。
1892年にホームスタジアムのアンフィールド とライバルクラブのエヴァートンFC の関係から創設された。
概要
1960年代半ばから80年代にかけて、3連覇(1981-82、1982-83、1983-84シーズン)達成を含むフットボールリーグ 優勝13回、UEFAチャンピオンズカップ (現在のUEFAチャンピオンズリーグ)優勝4回など、40以上のタイトルを獲得し黄金期を迎えた。イングランドのみならず世界を代表する強豪クラブの一つであるが、一方でヘイゼルの悲劇 、ヒルズボロの悲劇 という2つの大きな事件を引き起こした(後述 )。
2005年にイスタンブールの奇跡 と呼ばれる勝利でACミラン を下し、UEFAチャンピオンズリーグ 制覇を果たす。これによりイングランド で唯一ビッグ・イヤー の永久保持が認められた。
2022年に創設130周年を迎えた。クラブ史上、監督を務めたのは22人[ 1] 。現在の監督は2024年7月に就任したアルネ・スロット である[ 2] 。
旧フットボールリーグ において最多となる18回の優勝を誇る[ 3] 。イングランドのトップリーグにおける最多優勝回数記録を長年にわたり保持していたが、2010-11シーズンにリーグを制したマンチェスター・ユナイテッド に抜かれ、現在はそれに次ぐ優勝回数となっている[ 3] 。国内タイトルでは唯一プレミアリーグ 優勝の経験がなかったが、2019-20シーズンにプレミアリーグ初優勝を成し遂げた[ 4] 。
2024年1月、世界最大の会計事務所 である『デロイト 』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグ によると、2022-23シーズンのクラブ収入は5億9380万ポンドであり、世界のサッカークラブの中で第7位である[ 5] 。
世界中のサッカークラブのサポーター達に歌われ、人気を得ているサポーターソング「You'll never walk alone 」を最初に合唱したクラブでもある。
リヴァプールのエンブレムには、中央にLiver Birdと呼ばれる鳥が描かれている。これは、リヴァプールの船乗りの守り神であり、地名の由来にもなっている。また、Liver Birdの上には先述のYou'll never walk aloneの文字が刻まれている。
歴史
黎明期
1891年、アンフィールド のオーナージョン・ホールディング (英語版 ) は、当時アンフィールドを本拠地として使用していたエヴァートン に対して施設使用料の値上げを要求したが、エヴァートンはこれを拒否し現在のグディソン・パーク への移転を決定した[ 6] 。ホールディングはアンフィールドに新たなサッカークラブを設立することを決め[ 7] 、その名前を「エヴァートンFC・アンド・アスレティック・グラウンズ・リミテッド」(Everton F.C. and Athletic Grounds Ltd. 、略称: エヴァートン・アスレティック Everton Athletic)と定めた。後に考えを改め、1892年3月15日に「リヴァプールFC」と全く新しい名前のクラブを創立した。同年9月1日に行われたロザラム・タウン (英語版 ) [ 8] との親善試合が、リヴァプールとして初めての試合となった[ 9] 。
1936年6月、ジョージ・パターソン (英語版 ) に代わってジョージ・ケイ (英語版 ) が監督に就任。サウサンプトン からの就任だった。ケイ就任後の12試合は3勝4分という成績で、1936-37シーズンは18位でリーグを終える。1937-38シーズンは開幕戦の相手の本拠地スタンフォード・ブリッジ でのチェルシー 戦に1-6で敗れ、11位でリーグを終えた。
1938-39シーズン前に、ケイはボブ・ペイズリー をビショップ・オークランド (英語版 ) から移籍金をかけずに獲得。またビリー・リデル (英語版 ) も獲得した。第二次世界大戦 へと突入し、リーグは活動の停止を余儀なくされる。
第二次世界大戦後
第二次世界大戦後、リヴァプールはアメリカ とカナダ への遠征を計画。この計画はジョージ・ケイによるもので、気候などが全く異なる北米 でプレーすることは選手に有益であるという考えに沿ったものであった。1946-47シーズンに10試合の北米遠征が行われた。
1949-50シーズンにFAカップで決勝に進出したが、アーセナル に敗れ[ 10] 、初のFAカップ制覇を逃す。ケイは1951年に引退し、監督の座はドン・ウェルシュ (英語版 ) に引き継がれた。
シャンクリーによる改革
アンフィールド前に建つビル・シャンクリー の像
クラブが大きな変革の時を迎えたのは1950年代に入ってからになる。1954年に2部に降格し、数年にわたり低迷していたが、1959年にビル・シャンクリー が監督として就任[ 11] [ 12] 。シャンクリーは低迷した空気を払拭すべく大きな改革に乗り出した。ロジャー・ハント やイアン・キャラハン という後にクラブ史を背負って立つことになる若手選手をデビューさせたほか[ 13] [ 14] 、ブートルームの改修などを行った。就任初年度での昇格は逃したものの、翌シーズン(1960-61)にケビン・ルイス 、ゴードン・ミルン を獲得しチーム力の強化を図った。ルイスはシーズン32得点を挙げる活躍を見せたが、このシーズンでも昇格を逃してしまう。1961-62シーズンにシャンクリーは当時のクラブ史上最高額の移籍金でロン・イェーツ とイアン・セント・ジョン を獲得。就任3年目にしてようやく2部リーグを制し、昇格を決めた。
1962-63シーズンは出だしこそつまづいたものの、シーズン途中は13戦無敗などを記録し[ 16] 、最終的に8位でシーズンを終えた。クラブはシーズン途中にウィリー・スティーブンソン を獲得したほか、翌シーズンに向けて夏にプレストン・ノース・エンドからピーター・トンプソン を獲得した。1963-64シーズンは序盤は取りこぼしが目立ったが、10月頃から成績が安定し始め、1964年3月20日のボルトン戦から7連勝を飾ると、本拠地アンフィールド にて1946-47シーズン以来となるトップリーグ優勝を果たし、クラブ史上初となるチャンピオンズカップ への出場権を手にした。チャンピオンズカップでもクラブの躍進は止まらず、準決勝まで進んだ。準決勝では前年度覇者のインテル に敗れたものの、FAカップ では決勝でリーズを破ってクラブ史上初のFAカップ優勝を果たした。1965-66シーズンに前年度のFAカップ優勝で出場権を得たカップウィナーズカップ へ出場し、準優勝。さらに再び国内リーグを制覇した。
そこから数シーズンはタイトルから離れるものの、レイ・クレメンス 、エムリン・ヒューズ 、アレク・リンゼイ 、ラリー・ロイド 、スティーブ・ハイウェイ 、ケビン・キーガン 、ジョン・トシャック らを獲得し、チームの世代交代を果たす。それが実り、1972-73シーズンにリーグ戦とUEFAカップ の2冠を達成。1973-74シーズンにリーグ戦こそ2位止まりとなったが、再びFAカップ を優勝した。低迷していたリヴァプールを立て直し、数多くのタイトルを獲得するまでに成長させたビル・シャンクリー は、1973-74シーズンを持ってクラブの監督を勇退した[ 18] 。
黄金期と2つの悲劇
1974年にシャンクリーが辞任すると、後任の監督にアシスタントコーチを務めていたボブ・ペイズリー が就任する。シャンクリーからチームを引き継いだペイズリーの下で、リヴァプールは国内・ヨーロッパを席巻し、黄金期を迎える。
ペイズリー体制下に初めて迎えた1974-75シーズンにテリー・マクダーモット とフィル・ニール を獲得したが、国内リーグは2位、カップウィナーズカップ は2回戦敗退と無冠に終わる。1975-76シーズンにリーグ戦とUEFAカップ の2冠を達成、さらに1976-77シーズンも国内リーグ戦を連覇したほか、トミー・スミス の決勝ゴールで、ボルシアMG を破り[ 19] 、クラブ史上初となるチャンピオンズカップ 制覇を達成。このシーズン限りでクラブのエースだったケビン・キーガン は退団したが、ペイズリーはキーガンの後釜にセルティック からケニー・ダルグリッシュ を獲得した。
ケニー・ダルグリッシュ は選手として活躍したほか、監督としても実績を残し、クラブ史に残るレジェンドとなった。
1977-78シーズンはリーグ戦は2位止まりも、チャンピオンズカップ 決勝では、ダルグリッシュの決勝ゴールでクラブ・ブルッヘ を破り連覇を達成した。1978年1月にグレアム・スーネス を獲得している。
1978-79シーズンはアラン・ケネディ を獲得し、再びリーグを優勝した。1979-80シーズンに再びリーグ連覇を達成。同シーズン限りでトミー・スミスが退団した。オフシーズンにイアン・ラッシュ を獲得し、1980-81シーズンに決勝でレアル・マドリードをアラン・ケネディ のゴールで1-0と破り[ 20] 、3度目となるチャンピオンズカップ 制覇を達成した。リーグカップ も優勝し、カップ戦の2冠を達成した。シーズン中にブルース・グロベラー を獲得している。
1981-82シーズンにリヴァプールはマーク・ローレンソン 、スティーブ・ニコル を獲得し、リーグ戦優勝、リーグカップ連覇を達成。なお、1978年から1981年までの3年間、本拠地アンフィールド におけるすべてのリーグ戦・カップ戦は85試合連続で無敗だった。85試合中63試合はリーグ戦であり、63試合連続リーグ戦ホーム無敗記録も樹立している(このリーグ戦ホーム無敗記録は2007年にチェルシー に破られた)。インターコンチネンタルカップ ではフラメンゴ に0-3と敗れた。
1982-83シーズンにリーグとリーグカップを連覇したが、これを置き土産にペイズリー は監督を辞任することを発表。後任にはアシスタントコーチを務めていたジョー・フェイガン が就任した。リーグ連覇中のチームを引き継いだフェイガンだったが、フェイガン体制でもリヴァプールの強さが揺らぐことはなく、1983-84シーズンにリーグとリーグカップの連覇を達成。リーグはクラブ史上初となる3連覇、リーグカップは大会史上初の4連覇となった。決勝でPK戦の末、ASローマ を破り4度目となるチャンピオンズカップ 制覇を果たし、3冠を達成した[ 21] 。
1984-85シーズンはインターコンチネンタルカップでインデペンディエンテ に0-1で敗れた。チャンピオンズカップ決勝ユヴェントス 戦ではリヴァプールサポーターにより「ヘイゼルの悲劇 [ 22] 」 が起き、これによりイングランドのクラブは国際試合から無期限に締め出され(後にリヴァプールは7年、他クラブは5年となる)、リーグの力の相対的な地盤沈下をもたらした。この事件の責任を感じたフェイガンは監督を辞任、後任には選手兼任監督としてケニー・ダルグリッシュ が後を引き継いだ。ダルグリッシュ体制でも3度のリーグ優勝、2度のFAカップ優勝を果たしたとはいえ、1988-89シーズンに起きた「ヒルズボロの悲劇 [ 23] 」によってリヴァプールの勢いは大きく落ち込むこととなった。この事故の影響もあり、ダルグリッシュは1990–91シーズン途中に監督を辞任した。
低迷期
ダルグリッシュ辞任以降、90年代を通して低迷期が続くことになる。UEFA の処分が解けた後も国際タイトルには手が届かず、国内リーグもプレミアリーグ が新設され新時代に入るが、アレックス・ファーガソン 監督の下で躍進するマンチェスター・ユナイテッド の後塵を拝すことになる。
1991-92シーズンのFAカップ はグレアム・スーネス 新監督のもと、優勝を果たすが、リーグ戦は2年連続6位と振るわなかった。94年1月にスーネスは監督を解任され、ロイ・エヴァンス が監督に就任。1994-95シーズンにはリーグカップ を制した。1998-99シーズンには、クラブ初となる英国外出身者の監督、ジェラール・ウリエ を招聘。シーズン序盤まではエヴァンスとの共同監督であったが、11月にエヴァンスのみ監督を辞任した。
タイトルから遠ざかった90年代だが、スティーブ・マクマナマン 、ロビー・ファウラー 、ジェイミー・キャラガー 、マイケル・オーウェン 、スティーヴン・ジェラード など、育成組織から生え抜きのスターが誕生し、2000年代以降の復調へ繋がる礎を築いた時期でもあった。
国際舞台での活躍
新世紀以降は、国際試合での活躍が目立ち、「ヘイゼルの悲劇」の後遺症は完全に過去のものとなった。
2000-01シーズンにはFAカップ 、リーグカップ 、UEFAカップ を制して3冠(カップ・トレブル)を達成した[ 24] 。2001-02シーズンにはマンチェスター・ユナイテッド とのFAチャリティ・シールド 、バイエルン・ミュンヘン とのUEFAスーパーカップ をどちらも制し、1年間で5冠を達成する。この功績も踏まえて、2001年のバロンドール にはマイケル・オーウェン が選出された。リヴァプール所属の選手がバロンドールを受賞するのはこれが初となる。
2004-05シーズン開幕前には、バレンシア の監督として実績を残したラファエル・ベニテス が監督に就任すると、ルイス・ガルシア 、シャビ・アロンソ などリーガ・エスパニョーラ の選手を獲得し、積極的に登用し始める。一方、エースのマイケル・オーウェン をレアル・マドリード へ放出した[ 25] 。チャンピオンズリーグ では決勝トーナメント進出がかったオリンピアコス戦でリバウド に先制点を許す苦しい展開の中、スティーヴン・ジェラード のミドルとニール・メラー のゴールで勝利し決勝トーナメント進出を決めると、ラウンド16でバイヤー・レバークーゼン (H3-1,A3-1)、準々決勝ではユヴェントス (H2-1,A0-0)、準決勝のチェルシー 戦ではガルシアのゴール(A0-0,H1-0)で勝利、決勝進出を果たす。決勝のACミラン 戦において、前半終了時0-3のビハインドから、後半の6分間にジェラード、スミチェル 、アロンソが立て続けに得点し、同点に持ち込んだ。そして、PK戦ではGKイェジー・ドゥデク の活躍もありACミランを下し、21年ぶりの欧州一の称号を手にした[ 26] [ 注 1] 。この試合はイスタンブールの奇跡 と呼ばれるようになる。また、チャンピオンズカップとチャンピオンズリーグの合計優勝回数が5回となり、5チーム目となる優勝カップの永久保持が認められたクラブとなった。
2005-06シーズンの夏、前シーズンがプレミアリーグ 5位であったため[ 注 2] 、チャンピオンズリーグ の出場権は逃していたが、タイトル防衛の機会が与えられるべきという意見から特例で予備予選1回戦からの出場が認められた[ 注 3] 。2006-07シーズン以降は、前大会優勝チームはグループリーグにシード出場できるというルールが設けられた。
2005年12月、新設されたFIFAクラブ世界選手権2005 出場のため来日。12月15日に行われた準決勝で北中米・カリブ海王者デポルティーボ・サプリサ に3-0で勝利し決勝戦進出。12月18日の決勝戦では、南米王者サンパウロ と戦い、接戦の末0-1で敗れ準優勝[ 27] 。
2006年のFAカップ 決勝戦では、ウェストハム と対戦。三度先攻を許すも、後半終了間際にジェラード が2本のミドルシュートが決め、三度追いついた。その後の延長戦でも決着がつかず、PK戦の末、同大会で5年ぶりの優勝を決めた[ 28] 。
2006-07シーズンはチャンピオンズリーグ で2年ぶりの決勝進出を果たした。対戦相手は2004-05シーズンと同じACミランであったが、2005年の雪辱を果たそうと意気込むミランにフィリッポ・インザーギ の2ゴールで1-2と敗れた[ 29] 。
2007-08シーズンは夏期移籍期間にフェルナンド・トーレス を獲得[ 30] 。シーズン開幕前には懐疑的な意見も聞かれたが、ルート・ファン・ニステルローイ が保持していたプレミアリーグ初年度の得点記録を塗り替えた。チャンピオンズリーグ はここ数シーズンと同様に、準決勝まで進出した。準決勝でチェルシーに2戦合計3-4で敗れ、敗退した[ 31] 。
2008-09シーズンは夏の移籍市場でトッテナム から2030万ポンドでロビー・キーン を獲得[ 32] 。また、在籍年数の長かったヨン・アルネ・リーセ やスティーヴ・フィナン 、ピーター・クラウチ 、ハリー・キューウェル などを放出し[ 33] [ 34] [ 35] [ 36] 、チームの顔ぶれを刷新した。マンチェスター・ユナイテッドと熾烈な優勝争いを演じるも、2位に終わった。
2009-10シーズンは中心選手であったシャビ・アロンソ 、アルバロ・アルベロア を放出した。中盤で攻撃を組み立てていたアロンソを放出したため、中盤の展開力不足、ジェラードとフェルナンド・トーレスへの依存度が更に高まるなどチームが機能せず最終的に7位で終了した。この結果、マンチェスター・ユナイテッド、アーセナル、チェルシー、リヴァプールが上位を独占するBIG4時代が終焉した。シーズン終了後、成績不振を理由に双方の合意の下ベニテス 監督との契約を解除した。後任は同シーズンフラム をUEFAヨーロッパリーグ 準優勝に導いたロイ・ホジソン となった。イングランド人監督が就任したことやプレミアリーグの規定変更などもあり、チームはイングランド化が進んだ。
オーナー交代と過渡期
2010年4月16日、共にアメリカ人で共同オーナーを務めるジョージ・ジレット とトム・ヒックス は新会長の就任発表と同時にクラブを売りに出したことを発表した。ジレットとヒックスは2007年にクラブを買収したが経営に失敗し資金繰りが悪化、英メディアによれば負債は売却発表時点で2億3700ポンド(発表時点で約335億円)に上る。これまでも中東の富豪との売却交渉などが報じられていたが、売却に向けての初めての正式発表となった。発表によれば、新会長マーティン・ブロートン (ブリティッシュ・エアウェイズ 会長)がバークレイズ・キャピタル の支援を受け売却交渉を主導する[ 37] 。なかなか売却交渉に進展がなかったが、10月15日の負債返済期限を前にしてヒックス、ジレットの両人による反発に遭い裁判にもつれながらもNESV(ニューイングランド・スポーツ・ベンチャーズ)によって約3億ポンドで買収された。11月にはフロント改革の一環としてトッテナム元SDのダミアン・コモリをFD(フットボールディレクター)として招聘した。
2010-11シーズンは、ハビエル・マスチェラーノ やヨッシ・ベナユン らを放出したが、資金不足によりラウル・メイレレス やジョー・コール 、ミラン・ヨヴァノヴィッチ などの獲得に留まり満足な補強ができず一時は降格圏にまで転落するなど低迷、上記買収後も調子が上がらずホジソンは解任された。後任には暫定監督としてクラブのレジェンド、ケニー・ダルグリッシュ が就任。冬の移籍市場でフェルナンド・トーレスをチェルシーに英国史上最高額推定5000万ポンドで放出し、アンディ・キャロル をトーレスの移籍金に次ぐ3500万ポンド、ルイス・スアレス を2280万ポンドで獲得するなどチームを立て直し、最終的に6位で終えた。しかし、他のリーグであれば6位の場合はUEFAヨーロッパリーグ の出場権が与えられるが、5位のトッテナム と共に出場権を獲得したのがFAカップ 決勝に進み準優勝だったストーク・シティ [ 38] 、プレミアリーグがフェアプレーランキングで上位に入った事による恩恵を受けたフラム 。リーグカップ の決勝に進んだアーセナルが4位でフィニッシュしており、アーセナルが優勝すればヨーロッパリーグの出場権を獲得出来たが、そのアーセナルがバーミンガム・シティ に敗れた為、18位で降格したにも関わらずバーミンガム・シティがヨーロッパリーグの出場権を獲得し、1999-2000シーズン以来12年ぶりに欧州カップ戦の出場を逃した。
2011-12シーズンは、夏の移籍市場では積極的な投資が行われ、総額5500万ポンドを投じた。リーグカップ では準決勝でマンチェスター・シティ を下し決勝進出。決勝ではカーディフ・シティ をPK戦の末に破り2005-06のFAカップ 以来となるタイトル獲得となった。FAカップでも決勝進出を果たすなど、カップ戦では結果を残したが、リーグ戦ではアンフィールドでクラブ史上2番目に悪い6勝止まり[ 39] と(9分4敗)得意である筈のホームで勝てず8位に終わる。大規模投資にあった結果とは言えず、シーズン終了後にダルグリッシュは契約解消という形で退任した。2012年6月、スウォンジー・シティ 監督のブレンダン・ロジャーズ の就任を発表。
2012-13シーズンは、前年のリーグカップ優勝によってヨーロッパリーグ に出場するもゼニト にアウェーゴール差で敗れベスト32で姿を消した。リーグでは冬の移籍市場でチェルシーからダニエル・スタリッジ 、インテル からフィリペ・コウチーニョ を獲得し、31節から最終節まで8戦連続無敗で巻き返したものの、上位6チーム(マンチェスター・ユナイテッド、マンチェスター・シティ、チェルシー、アーセナル、トッテナム、エヴァートン)相手に1勝しか挙げられず[ 40] 、7位に終わった。ジェイミー・キャラガー がこのシーズンを持っての引退を表明した。
2013-14シーズンは、リーグ戦で31ゴールを決め得点王に輝いたスアレスと、21ゴールをあげたスタリッジの2トップ(SASコンビ )が躍動した。ジェラードはロジャーズによってアンカーのポジションにコンバートされ、ジョー・アレン とジョーダン・ヘンダーソン との3ボランチを形成した。ホームでのマンチェスター・シティ戦も含めリーグ11連勝を飾り、35節時点で首位につける。12連勝目を目指した36節ホームでのチェルシー戦では、前半のアディショナルタイムにジェラードが自陣でママドゥ・サコー のパスをトラップミスして焦ったところ、足を滑らせてしまいボールをデンバ・バ に奪われてそのまま失点。後半のアディショナルタイムにカウンターからフェルナンド・トーレス の折り返しをウィリアン に決められてこの試合を落としてしまう。続くクリスタル・パレス 戦では後半10分までに3-0としながらも34分から9分間で3失点を喫し、引き分けに持ち込まれるなど、結局最後の3試合で勝ち点4しか稼げず2位に転落。悲願のプレミアリーグ優勝は叶わなかった。FAカップ は優勝したアーセナルに5回戦で、リーグカップ はマンチェスター・ユナイテッドに3回戦で敗退。無冠でシーズンを終えた。
2014-15シーズンは、昨シーズンの得点王であったルイス・スアレス がバルセロナ に移籍。デヤン・ロヴレン 、アダム・ララーナ 、マリオ・バロテッリ 、エムレ・ジャン などを獲得し、合計1億1700万ポンドを投じたが、スアレスの穴を埋めることはできず、前年21ゴールを挙げたスタリッジの故障で攻撃陣が振るわずリーグ前半戦は8位で折り返した。2015年1月2日、これまでリヴァプール一筋でプレーし、2003年からキャプテンも務めて数々のタイトルを獲得してきたスティーヴン・ジェラード が、2014-15シーズン終了後に退団する事を発表。17節から29節まで13戦無敗を記録するも、30節以降の9試合は勝ち点を8しか稼げず、18勝8分12敗の6位でシーズンを終えた。5年ぶりに参戦したチャンピオンズリーグ は前回王者のレアル・マドリード に2連敗を喫する等、初戦以外は勝ち点3を取れず、グループステージを3位で終え敗退。続くヨーロッパリーグ もベシクタシュ と対戦し、ベスト32で姿を消した。リーグカップ とFAカップ 2つのカップ戦で準決勝に進むが、共に決勝進出はならなかった。
17年間チームの中心選手であったジェラード が退団した。
2015-16シーズンは、マンチェスター・シティ にラヒーム・スターリング を当時の英国人の移籍金史上2位となる4900万ポンドで売却した[ 41] 。補強面ではジェイムズ・ミルナー [ 42] 、ナサニエル・クライン [ 43] 、ダニー・イングス [ 44] 、ジョー・ゴメス [ 45] 、ロベルト・フィルミーノ [ 46] 、クリスティアン・ベンテケ [ 47] 、そして前年度にすでに加入が決まっていたディヴォック・オリジ を獲得する[ 48] 。しかし、第8節を終えた時点で3勝3敗2分の10位と苦戦し、10月3日に2012年から指揮を執っていたブレンダン・ロジャーズ 監督を解任。10月8日に、ブンデスリーガ のボルシア・ドルトムント で一時代を築いたユルゲン・クロップ を新監督に招聘した。
クロップによる改革
2015-16シーズン途中よりユルゲン・クロップ が新監督に就任すると、代名詞とも言える「ゲーゲンプレス」戦術を導入してチーム改革を断行する。
クロップの初陣となったトッテナム 戦では、ゲーゲンプレスがチームに染み渡ったこともあり、スプリント回数614回、走行距離116kmとらしさを発揮した[ 49] 。リーグカップ のボーンマス 戦で新体制初勝利を飾り、リーグ戦第11節のチェルシー戦ではコウチーニョ の2ゴールもありリーグ戦初勝利を飾った。その後もマンチェスター・シティ やレスター・シティ などの上位チームには勝利を挙げるものの、クリスタル・パレス やニューカッスル など下位のチームに敗戦し苦しめられた[ 50] 。グループ首位通過したヨーロッパリーグ においてはマンチェスター・ユナイテッド をベスト16で下し、さらにクロップ監督の古巣であるボルシア・ドルトムント とのベスト8の対戦では、後半12分にマルコ・ロイス にゴールを許し2戦合計1-3とされるもそこからコウチーニョ、サコー、さらにミルナーのアシストからロヴレンが決勝ゴールを挙げて、2戦合計4-3で逆転勝利を飾った[ 51] 。ベスト4でもビジャレアル を2戦合計3-1で下し決勝へ駒を進めた[ 52] 。決勝ではダニエル・スタリッジ が先制ゴールを挙げるも、後半に3点を奪われ1-3でセビージャ に敗れ準優勝に終わった[ 53] 。リーグカップ においてもマンチェスター・シティ に敗れ準優勝に終わった。リーグ戦では8位でシーズンを終え、欧州カップ戦への出場を逃した。
2016-17シーズンはクロップ体制2年目となり、初めてフルシーズンを戦う年となった。クロップ監督の元で出場機会をあまり得られなかった選手およびローン生活を繰り返していた選手達を整理した他、アカデミーの選手も完全移籍で放出した[ 54] [ 55] [ 56] [ 57] [ 58] [ 59] 。補強面ではサディオ・マネ 、ジョルジニオ・ワイナルドゥム 、ジョエル・マティプ 、ロリス・カリウス らを獲得[ 60] [ 61] [ 62] [ 63] 。開幕戦でアーセナルをアウェイで下すと、第5節にはチェルシーもアウェイで撃破。第11節終了時には首位に躍り出る。その後も好調を継続し、前半戦を13勝4分2敗の2位で終える。しかし、1月にアフリカネイションズカップ の影響でマネが離脱。得点王を欠いたチームは失速してしまい、リーグ戦でスウォンジー 、リーグカップ でサウサンプトン 、FAカップ ではウルヴァーハンプトン にアンフィールドで2012年10月以来の3連敗。すべてのタイトルの可能性が消滅、1月を1勝4分4敗の成績で終えた。第26節終了時には一時チャンピオンズリーグ 圏外となる5位まで順位を落とすが、第27節にアンフィールドでアーセナルを下しシーズンダブルを達成するなど3位に再浮上。シーズン終盤にアーセナルに追い上げられるが、第37節では公式戦5試合勝ちなしと苦手にしていたウェストハム をコウチーニョの2G1Aの活躍などでアウェイで勝利し、最終節のミドルズブラ 戦も3-0で勝利したことで、4位でシーズンを終え、チャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
2017-18シーズンは移籍市場でモハメド・サラー 、アンドリュー・ロバートソン 、アレックス・オックスレイド=チェンバレン 、ドミニク・ソランケ を獲得[ 64] [ 65] [ 66] 。一方で10年間チームに在籍したMFルーカス・レイヴァ がラツィオ に移籍した[ 67] 。開幕戦をワトフォードFC 相手に3失点で引き分け、第4節マンチェスター・シティ 戦で0-5、第9節トッテナム 戦で1-4で敗れるなど、守備の脆さが見られた。冬の移籍市場でバルセロナ にコウチーニョを移籍金約218億円で放出し[ 68] 、サウサンプトン からフィルジル・ファン・ダイク をDF史上最高額の約114億円で獲得[ 69] した。シーズン中盤からは盛り返し、23節終了時に3位まで浮上したが、シーズン終盤に勝ち点の取りこぼしが増え、最終的には4位となった。サラーが32得点で得点王となり、1995-96シーズンにアラン・シアラー が31得点で樹立したプレミアリーグの1シーズンの得点記録を22年ぶりに更新した。チャンピオンズリーグ では8月に行われたプレーオフでホッフェンハイム を2戦合計6-3で破ると、本選はグループEに入りセビージャ 、スパルタク・モスクワ 、NKマリボル と対峙、第3節ではマリボルをに7-0で大勝するなどして3勝3分で危なげなく首位突破した。チャンピオンズリーグにて決勝トーナメントに進出したのは2008-09シーズン以来9年ぶり。その後FCポルト を2戦合計5-0、マンチェスター・シティを5-1、ASローマ を7-6で順に破り(ASローマとのファーストレグではジェイムズ・ミルナー が大会9つ目のアシストを記録し、大会新記録を樹立した[ 70] [ 71] )、2006-2007シーズン以来11年ぶりの決勝進出を果たす。決勝 のレアル・マドリード 戦では、好調だったアレックス・オックスレイド=チェンバレン を怪我で欠いた上にエースのサラーが前半で負傷交代、後半にはミルナーも負傷で交代を強いられ、ロリス・カリウス の後半の2つのミスなどで1-3で敗れ準優勝となる。リーグカップ は3回戦でレスター・シティ に、FAカップ は4回戦でWBA に敗れ、シーズン無冠に終わる。
2018-19シーズンは、ナビ・ケイタ [ 72] 、ファビーニョ [ 73] 、ジェルダン・シャチリ [ 74] 、アリソン・ベッカー [ 75] の4名を移籍金合計約250億円で獲得し、大型補強を敢行した[ 76] 。更に1月にレンタル移籍していたダニエル・スタリッジ とディヴォック・オリジ の2名が戻り、プレシーズンマッチからチームに復帰した。一方でエムレ・ジャン は6月に退団後フリーでユヴェントス へ移籍[ 77] 。さらに前シーズン途中から正GKを務めたロリス・カリウス もベシクタシュ へ2年間のローンで移籍した[ 78] 。リーグ戦折り返し時点で喫した失点は僅か7とリーグ最少記録タイである[ 79] 。攻撃面ではシーズン序盤こそ得点力に陰りが見られたものの、従来の4-3-3とシャチリの加入によって新たに4-2-3-1を併用するようになり、10月を過ぎるとそれがフィットし始めて息を吹き返すと43得点のリーグ2位。16勝3分無敗という好成績でリーグ戦を折り返した。年が明けて初戦の第21節マンチェスター・シティ戦に1-2で敗れると、そこからのリーグ6試合で4引き分けと勝ちきれない試合が続き、最大で7開いていた勝ち点差をマンチェスター・シティにひっくり返された。その後は第30節からは9連勝するが、シティは14連勝とお互い勝ち点差1のまま一歩も譲らないデッドヒートが続き、最終的には勝ち点97の2位でリーグ戦は幕を閉じた。わずかに1敗のみであったが優勝を逃すという史上初の結果となり、これまでの準優勝チームの最高勝ち点の89を大幅に更新した[ 80] [ 81] 。なお2008-09シーズンにも2敗ながら優勝を逃した初めてのチームになっていた。サディオ・マネとモハメド・サラーが22得点を挙げて、アーセナルのピエール=エメリク・オーバメヤン と並び得点王に輝いた。同一クラブの選手2人が得点王となるのはイングランド史上初で、またサラーは2年連続での得点王の快挙を達成した[ 82] 。
チャンピオンズリーグ ではグループCでパリSG 、ナポリ 、ツルヴェナ・ズヴェズダ と同組となった。初戦こそパリSGに辛勝するも、その後アウェイで全敗。最終節、ホームでのナポリ戦をサラーのゴールで1-0と制し、ナポリと勝ち点・直接対決の成績・総得失点差の3つで成績が並んだが総得点で2上回り、僅差で決勝トーナメントへ進出した[ 83] 。決勝トーナメント・ラウンド16ではバイエルン・ミュンヘン 、準々決勝はポルト とそれぞれ対戦し、2戦合計3-1と6-1で勝利した。準決勝のバルセロナ 戦1stレグでは0-3で敗れたが、フィルミーノやサラーを欠場を余儀なくされる窮地の中で、2ndレグはオリジやワイナルドゥムの活躍により4-0で勝利し、大逆転で2年連続の決勝進出を果たした[ 84] 。この試合は、前述のUEFAチャンピオンズリーグ 2004-05 決勝 における大逆転劇の通称「イスタンブールの奇跡」になぞらえ、「アンフィールドの奇跡」とも称された[ 85] [ 86] 。決勝戦 は同国対決となったトッテナムをサラーとオリジのゴールで2-0と破り、14年振りの優勝を決めた。クロップ監督はリヴァプールで初のタイトル獲得となり、また自身は同大会決勝3度目で初の勝利を手にした[ 87] 。リーグカップ は3回戦でチェルシーに、FAカップ では3回戦でウルヴァーハンプトンにそれぞれ敗れている。
2019-20シーズンは例年通りプレミアリーグ 、FAカップ 、リーグカップ に参加する他に、前年優勝のチャンピオンズリーグ に加え、大会覇者として8月にはEL覇者と対決するUEFAスーパーカップ 、12月にはFIFAクラブワールドカップ に、さらに8月にはFAコミュニティ・シールド [ 注 4] に出場した。大型補強を敢行した前年とは打って変わり、シモン・ミニョレ の移籍や開幕節でのアリソンの怪我に伴ってアドリアン やアンディ・ロナーガン のGKをそれぞれフリーで獲得した以外は若手選手の獲得に留まった。冬の移籍市場では、レッドブル・ザルツブルク から南野拓実 を獲得した。
プレミアリーグでは開幕から好調を維持し、開幕8連勝で昨シーズンからのリーグ連勝記録を17に伸ばす。第9節でマンチェスター・ユナイテッドを相手に1-1で引き分けたものの、前半戦で勝てなかったのはこの試合のみで、そこから再び勝ち続け、前半戦を18勝1分で折り返す。後半戦もその勢いは衰えず、リーグ戦連勝記録を18まで伸ばしたが、第28節で最下位に沈むワトフォード にまさかの0-3で敗戦、リーグ戦無敗記録は44でストップすると同時に2003-04シーズンのアーセナル 以来となるリーグ無敗優勝とはならなかった[ 88] 。その後新型コロナウイルス の流行による中断も挟んだが、6月24日の31節クリスタル・パレス 戦で勝利すると、翌日の試合で2位マンチェスター・シティ がチェルシー に1-2で敗れたことで勝ち点差が23となり、7試合を残して30年ぶり、プレミアリーグとなってからは史上初のリーグ優勝が決定した。また、31節での優勝決定は史上最速記録となった[ 89] 。
FAコミュニティ・シールドのマンチェスター・シティ戦は1-1で引き分けたがPK戦で敗れた[ 90] 。UEFAスーパーカップ のチェルシー戦では2-2からPK戦の末に勝利した[ 91] 。FIFAクラブワールドカップ2019 では決勝戦で南米王者フラメンゴ と接戦の末延長戦でのロベルト・フィルミーノ のゴールにより1-0で勝利し初のクラブ世界一に輝き1981年のトヨタカップ で完敗した相手に38年越しのリベンジを果たした。
連覇を目指したチャンピオンズリーグでは決勝トーナメント・ラウンド16でアトレティコ・マドリード と対戦。敵地での1stレグをアトレティコの堅守を崩しきれずに0-1で落とすと、2ndレグでは90分を終えて1-0、2戦合計1-1となり延長戦に突入。一時はフィルミーノのゴールで勝ち越したが、ミスから失点すると、その後もカウンターから失点を重ねて2-3で敗れ、2戦合計2-4で敗退した。本拠地アンフィールドでの無敗記録も42でストップした。 リーグカップ は準々決勝の日程が前述のクラブワールドカップでトップチームがカタール遠征中に開催されたため、アストン・ヴィラ にユースチームのメンバーで挑むこととなり敗れた。FAカップ は4回戦再試合で今度は今季初めてプレミアリーグで設定されたウィンターブレイクと日程が被り、またもユースチームのメンバーで試合を挑み、なんとか勝ち進むことができたが、続く5回戦にてチェルシーに敗れた。
2020-21シーズンは、ユルゲン・クロップ の監督就任前からチームを支えたアダム・ララーナ [ 92] 、ナサニエル・クライン [ 93] 、デヤン・ロヴレン [ 94] の3名が退団。コスタス・ツィミカス [ 95] 、ティアゴ・アルカンタラ [ 96] 、ディオゴ・ジョッタ [ 97] を獲得し、戦力の刷新を図った。開幕直後の第5節のマージーサイドダービーにてファン・ダイクが前十字靭帯損傷の大怪我を負い、シーズン絶望[ 98] となると、11月上旬には代表合宿で負った怪我でジョー・ゴメスもシーズン絶望[ 99] 、さらに1月下旬にはマティプが負傷[ 100] し、レギュラー級のセンターバックがシーズン半ばに全員離脱することとなった。これを受けて冬の移籍市場最終日にプレストン からベン・デイヴィス を完全移籍[ 101] で、シャルケ04 からオザン・カバク をレンタル移籍[ 102] で相次いで獲得した。しかし、デイヴィスは出場機会が得られず、カバクの負傷離脱もあり最終的にはリース・ウィリアムズ とナサニエル・フィリップス の若手2名の起用でカバーした。11月22日、第9節、レスターとの対戦で勝利し、クラブ新記録となるホームゲーム64戦無敗記録を達成した[ 103] が、翌年1月の第18節のバーンリー戦で敗れ、同記録は68でストップしてしまった[ 104] 。そこからアンフィールドではリーグ戦6連敗を喫してしまい、これはトップリーグから降格した1953-54シーズン以来の出来事となってしまった。[ 105] しかしそこからチームは立ち直り、第34節のマンチェスター・U戦に勝つと、第36節のWBA 戦では1-1で迎えた後半アディショナルタイムにGKのアリソンがリヴァプールのGKとしては初のゴールをヘディングで決めて勝ち越すなど、5連勝でシーズンを締めくくり、3位でシーズンを終えた。
FAコミュニティ・シールドではアーセナルにPK戦の末敗れ、チャンピオンズリーグではアヤックス 、アタランタ 、ミッティラン と同組となり、1位通過を決めるとラウンド16でもRBライプツィヒ に2戦合計4-0で完勝するが、準々決勝でレアル・マドリード に2戦合計1-3で敗れた。国内カップ戦でも、リーグカップ では4回戦でアーセナルにまたもPK戦の末敗れ、FAカップ ではマンチェスター・ユナイテッドに4回戦で敗れ3シーズンぶりの無冠となった。
2021-22シーズンは、2016-17シーズンから主力を務めたジョルジニオ・ワイナルドゥム が契約切れでパリ・サンジェルマン へ退団。加えてジェルダン・シャチリ やハリー・ウィルソン などがそれぞれ退団したものの、イブラヒマ・コナテ がおよそ4500万ユーロの移籍金で加入した。4節のリーズ・ユナイテッド 戦で、ハーヴェイ・エリオット が大怪我を負うなどのアクシデントもあったが、前シーズンとは打って変わり、シーズン序盤から好調を維持。チャンピオンズリーグ ではアトレティコ・マドリード 、FCポルト 、ACミラン と同組になったが、全勝でグループリーグを1位で通過。リーグ戦では11節にウェストハム・ユナイテッド に敗れるまで無敗であった。その後、18節のトッテナム・ホットスパー 相手に引き分けてから年末にかけてリーグ戦で3戦勝ちなしになるなど、一時的な不調に陥るも、冬の移籍市場でFCポルトから約5000万ユーロの移籍金で獲得したルイス・ディアス がチームにすぐさま適応し、アフリカネイションズカップ で離脱していたサディオ・マネと、モハメド・サラーの穴を埋め、その後もシーズン終了まで活躍を続けて最終的にはメディアから21-22プレミアリーグシーズン 最高の移籍とも評された[ 106] 。リーグカップ も順調に勝ち進み、決勝では延長PK戦の末にチェルシーを下し、10シーズン振りに同タイトルを獲得、FAカップ 決勝でも再びチェルシーと対戦。延長PK戦の末、2005-06シーズン以来の優勝を果たした。しかし、プレミアリーグの方は2018-19シーズンと同様勝ち点差1の差でマンチェスター・シティにあと一歩及ばず[ 107] 。チャンピオンズリーグも決勝戦進出を果たすがレアル・マドリードに0-1で敗れた[ 108] 。
2022-23シーズンは夏の移籍市場でSLベンフィカ からダルウィン・ヌニェス を獲得したものの、長く左ウイングの主力として活躍してきたサディオ・マネ がバイエルン へ、南野拓実 がASモナコ へ、ディヴォック・オリジ がACミラン へ、ネコ・ウィリアムズ がノッティンガム・フォレスト へ移籍するなど、放出の面が目立った。FAカップ勝者として出場したコミュニティ・シールド こそマンチェスター・シティに3-1で勝利しシーズン初タイトルを獲得するものの、リーグ戦開幕後は怪我人が続出。8節終了時点の勝ち点は10で10位に留まり結果として優勝争いには絡めず。攻撃陣は大黒柱マネの移籍、バックアップメンバーとして活躍していた南野、オリギが抜けた事で駒不足に陥った。新加入のヌニェスはマネとタイプが違っており、また決定機を逸するシーンも多く最大限のパワーを出せなかった。これを受け冬の移籍市場ではPSVアイントホーフェン からコーディ・ガクポ を獲得し一定の成果を挙げたものの、停滞ムードを完全に打破することは出来なかった。マネの放出によってこれまでのハイプレスでボールを奪って素早く攻めきるスタイルが機能しにくくなり、また右サイドバックのトレント・アレクサンダー=アーノルド のディフェンス面の課題が前面に出るようになり、チームの弱点となった[ 109] 。前年優勝したリーグカップ では、4回戦でマンチェスター・シティと対戦し2-3で敗戦、ベスト16で去った[ 110] 。同じく前年度優勝のFAカップ もブライトン に1-2で敗れて、4回戦で敗退となった。チャンピオンズリーグ ではナポリ 、アヤックス 、レンジャーズ と同組となり、2位通過。ラウンド16では3年連続となるレアル・マドリード との対決も、2戦合計2-6で敗れ準々決勝進出はならず。
終盤、アレクサンダー=アーノルドを中盤に入らせる偽サイドバック起用でようやく調子を上げ、4月から5月にかけて7連勝を記録しニューカッスル、マンチェスター・ユナイテッドを猛追するものの、37節のアストン・ヴィラ戦に引き分けたことで4位以内の可能性が消滅、6シーズンぶりにチャンピオンズリーグ 出場を逃すことになった。シーズン終了後、主将のヘンダーソンがアル・イテファク へ、フィルミーノがアル・アハリ へ、ミルナーがブライトン へ、ファビーニョがアル・イテハド へ、ナビ・ケイタがブレーメン へ、チェンバレンがベシクタシュ へ移籍するなど、経験豊富な選手が退団した。
2023-24シーズンは、主力選手が移籍した中盤の再構築のため、夏の移籍市場では中盤の選手を中心に補強を行った。ブライトン からアレクシス・マック・アリスター 、RBライプツィヒ からドミニク・ソボスライ 、VfBシュトゥットガルト から遠藤航 、バイエルン・ミュンヘン からライアン・フラーフェンベルフ が完全移籍で加入。遠藤はクラブにとって南野以来の2人目の日本人選手となった。このシーズンはサラーを中心とした攻撃陣が爆発し、前半戦はルイス・ディアスの得点が誤審によって取り消された[ 111] アウェイでのトッテナム 戦で1敗したのみで、低迷した前シーズンとは異なり首位争いに加わった。開幕当初からアンカーを勤めていたマック・アリスターの負傷離脱により、以降の試合では遠藤がアンカーに定着。年末の過密スケジュールの山場だったアーセナル戦とマンチェスター・ユナイテッド戦をいずれも引き分けで乗り切り2023年を首位で折り返した。2024年1月26日、9年間指揮を執ったユルゲン・クロップ が今シーズン限りで退任することが発表された[ 112] 。2月に入ると主力の相次ぐ怪我人続出により、ユースの選手をベンチ入りせざるを得ない状況となる。2月26日のリーグカップ 決勝では、多くの主力選手を怪我で欠き、フラーフェンベルフまで試合中に負傷退場してしまうという苦しいチーム状況の中、延長の末にファン・ダイクのゴールによってチェルシー相手に1-0で勝利。2年ぶり最多10回目の優勝となった。FAカップ ではマンチェスター・ユナイテッドに敗れ、リーグ戦も4月以降失速し優勝争いから脱落。ヨーロッパリーグ も準々決勝でアタランタ にホームで0-3の敗北を喫し、アウェイでは1-0の勝利を収めたが2戦合計1-3で敗退が決まった。リーグ最終節ウルヴァーハンプトン 戦を勝利で終え、9年間の長期政権に有終の美を飾った[ 113] 。また、クロップは自身の退団セレモニーの最中、後任となるアルネ・スロット のチャントをサポーターたちと歌う一幕もあった[ 114] 。翌日、スロットが新監督に就任することが正式発表された[ 115] 。
成績
タイトル
国内タイトル
プレミアリーグ :1回
フットボールリーグ :18回
1900-01, 1905-06, 1921-22, 1922-23, 1946-47, 1963-64, 1965-66, 1972-73, 1975-76, 1976-77, 1978-79, 1979-80, 1981-82, 1982-83, 1983-84, 1985-86, 1987-88, 1989-90
FAカップ :8回
1964-65, 1973-74, 1985-86, 1988-89, 1991-92, 2000-01, 2005-06, 2021-22
EFLカップ :10回
1980-81, 1981-82, 1982-83, 1983-84, 1994-95, 2000-01, 2002-03, 2011-12, 2021-22, 2023-24
FAコミュニティ・シールド :16回
1964*, 1965*, 1966, 1974, 1976, 1977*, 1979, 1980, 1982, 1986*, 1988, 1989, 1990*, 2001, 2006, 2022 (*印はタイトル共有)
スーパーカップ :1回
国際タイトル
UEFAチャンピオンズリーグ [ 注 5] :6回
1976-77, 1977-78, 1980-81, 1983-84, 2004-05, 2018-19
UEFAカップ :3回
1972-73, 1975-76, 2000-01
UEFAスーパーカップ :4回
FIFAクラブワールドカップ :1回
ダービーマッチ
マンチェスター・ユナイテッド とは昔からライバル関係にあり、ノースウェスト・ダービー (あるいはイングランド・ダービー、ナショナル・ダービー)と呼ばれる伝統の一戦 を通じて白熱した試合を繰り広げる。選手同士もこの試合に関してはとても熱く、過去にはリオ・ファーディナンド とピーター・クラウチ の乱闘寸前劇や、ガリー・ネヴィル のリヴァプールファンへの挑発などが見られた。またリヴァプール出身でライバルのエヴァートン からマンチェスター・ユナイテッド へ移籍したウェイン・ルーニー へのブーイングなども見られ、好ゲームが多い。
同じマージーサイド 州リヴァプールに本拠を置くエヴァートン とライバル関係にある。両クラブの試合はマージーサイド・ダービー と呼ばれ、マンチェスター・ダービー 、ノース・ロンドン・ダービー 、タイン・ウェア・ダービー などと並びイングランドでも最も盛り上がるダービーマッチ の一つである。なお、両スタジアムは直線距離で600メートル程度しか離れていない。
エンブレム
シャンクリー・ゲート
ロイヤル・リヴァー・ビルディング時計台 エンブレム にはアンフィールド のシャンクリー・ゲートの門飾りや、サポーターのアンセムともなっている "You'll never walk alone" の文字、リヴァプール市の象徴ともなっている鳥「ライヴァー・バード(Liver Bird)」などが用いられる[ 116] [ 117] 。
ライヴァー・バードの左右にある炎は、フットボール史に残る惨事と言われるヒルズボロの悲劇 への追悼の意を表している。片方の炎はヘイゼルの悲劇 への追悼の意を表していると誤認識されることがある[ 118] が、実際は異なる。ライヴァー・バードはリヴァプール市内のピア・ヘッド に位置するロイヤル・リヴァー・ビルディング の二つの時計台上部にある鳥をモチーフにしている。ライヴァー・バードはリヴァプールの船乗り達の守り神である。
スタジアム
リヴァプールはアンフィールド というホームスタジアムがある。アンフィールドはアーチボルド・リーチ (Archibald Leitch)という建築技師によって設計され[ 119] 、前述の通り、元々は地元のライバルであるエヴァートンFC のホームスタジアムであった。
トレーニンググラウンドは、ウエスト・ダービー と呼ばれる地区に建つメルウッド である[ 120] 。メルウッドは1950年代からウエスト・ダービーに建つが、同じリヴァプールのカービー に建つリヴァプールのアカデミー とは異なる。
アンフィールドのロッカールームのドアは、ホーム側とアウェイ側で大きさが異なっており、ホーム側の方がドアが小さくなっている。これは相対的に選手を大きく見せるため[ 121] である。
アンフィールド のグラウンド
サポーター
リヴァプールのサポーターはアンフィールド の "Kop" と呼ばれるスタンドで応援することから、自身をコップ (Kopites)と呼ぶ。
コップスタンド
試合開始前や試合終了直前に、「You'll Never Walk Alone 」(君は決して一人ではない。共に歩もう)という曲を歌う。この曲は元々リチャード・ロジャース とオスカー・ハマースタイン2世 がミュージカル『回転木馬 』のために書いた曲であるが、1960年代初頭に「マージービート 」と呼ばれた一連のポップ音楽の系譜に連なるバンドであるジェリー&ザ・ペースメーカーズ が録音したものが、イギリスのヒットチャート1位を獲得した。その頃リヴァプールFCのスタジアムアンフィールドでは毎週DJがその週のヒットチャートソングを流していた。そのひとつとして「You’ll Never Walk Alone」が流れサポーターが歌っていたのだが、同曲はヒットチャートから姿を消してからもその名残でスタジアムで歌われ続けた。その後も毎試合流して欲しいとリクエストがありアンセムとして定着するに至っている[ 122] 。
この曲は、セルティックFC 、サッカーアイルランド共和国代表 、イプスウィッチ・タウンFC 、SKラピード・ウィーン 、フェイエノールト 、アヤックス・アムステルダム 、SLベンフィカ 、ボルシア・ドルトムント 、FC東京 などのサポーターにも歌われるようになった。また、2011年に発生した東日本大震災 の直後に行われたリヴァプールの試合では、被災地である日本に向けて、「You'll Never Walk Alone」とスローガンを掲げて歌いメッセージが送られた。
著名人のサポーターには、ビートルズ のメンバーのうち、ジョン・レノン 、ジョージ・ハリスン 、リンゴ・スター の3人(なお、ポール・マッカートニー はエヴァートンファンである)、ダニエル・クレイグ (映画俳優、6代目ジェームズ・ボンド 役)、キャロライン・ウォズニアッキ (テニス選手)、ダレン・ティル (格闘家)、ミリー・ボビー・ブラウン (女優)、アダム・ウッドイヤット (俳優)、アンジェリーナ・ジョリー (女優)、ブラッド・ピット (俳優)、クライヴ・オーウェン (俳優)、ドクター・ドレー (ラッパー/音楽プロデューサー)、ゲイリー・バーロウ (歌手)、ジョン・ビショップ(コメディアン)、キム・キャトラル (女優)、ラナ・デル・レイ (歌手)、レブロン・ジェームズ (バスケットボール選手)、リーアム・ニーソン (俳優)、メラニー・チズム (歌手)、マイク・マイヤーズ (俳優)、レベッカ・ファーガソン (歌手)、スティーヴン・グレアム (俳優)[ 123] 、GLAY のベーシストJIRO 、Suchmos ボーカルの河西洋介 、キム・ジェウク (俳優)、白井悠介 (声優)[ 124] などがいる[ 125] 。
スポンサー
メインスポンサー
現所属メンバー
プレミアリーグ 2024-25シーズン 基本フォーメーション(4-2-3-1 )
2024年8月22日現在[ 126]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルール に基づく。
※★はホーム・グロウン選手、☆は21歳以下の選手を示す。
監督
リザーブチーム
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルール に基づく。
ローン移籍
in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルール に基づく。
out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルール に基づく。
歴代所属選手
出場試合数
公式戦に限る[ 127] [ 128]
#
名前
期間
リーグ [ 注 6]
FAカップ
リーグカップ
その他[ 注 7]
合計
1
イアン・キャラハン
1960–1978
640 (4)
79 (2)
42 (7)
96 (1)
857 (14)
2
ジェイミー・キャラガー
1996–2013
508 (24)
40 (1)
35 (7)
152 (3)
737 (35)
3
スティーヴン・ジェラード
1998–2015
504 (39)
42 (5)
30 (5)
134 (14)
710 (63)
T4
レイ・クレメンス
1967–1981
470 (0)
54 (0)
55 (0)
86 (0)
665 (0)
エムリン・ヒューズ
1967–1979
474 (0)
62 (0)
46 (0)
83 (0)
665 (0)
6
イアン・ラッシュ
1980–1987 1988–1996
469 (22)
61 (5)
78 (0)
45 (3)
660 (30)
7
フィル・ニール
1974–1985
455 (2)
45 (0)
66 (0)
81 (0)
650 (2)
8
トミー・スミス
1962–1978
467 (0)
52 (0)
30 (0)
89 (1)
638 (1)
9
ブルース・グロベラー
1980–1994
440 (0)
62 (0)
70 (0)
46 (0)
628 (0)
10
アラン・ハンセン
1977–1991
434 (0)
58 (1)
68 (0)
53 (1)
620 (2)
得点
公式戦に限る [ 127] [ 129]
#
名前
期間
リーグ[ 注 6]
FAカップ
リーグカップ
その他[ 注 7]
合計
1
イアン・ラッシュ
1980–1987 1988–1996
229 (469)
39 (61)
48 (78)
30 (52)
346 (660)
2
ロジャー・ハント
1958–1969
244 (404)
18 (44)
5 (10)
18 (34)
285 (492)
3
ゴードン・ホジソン
1925–1936
233 (358)
8 (19)
241 (377)
4
ビリー・リデル
1938–1961
215 (492)
13 (42)
228 (534)
5
モハメド・サラー
2017–現在
160 (258)
6 (12)
3 (7)
49 (83)
218 (360)
6
スティーヴン・ジェラード
1998–2015
120 (504)
15 (42)
9 (30)
42 (134)
186 (710)
7
ロビー・ファウラー
1993–2001 2006–2007
128 (266)
12 (24)
29 (35)
14 (44)
183 (369)
8
ケニー・ダルグリッシュ
1977–1990
118 (355)
13 (37)
27 (59)
14 (64)
172 (515)
9
マイケル・オーウェン
1996–2004
118 (216)
8 (15)
9 (14)
23 (52)
158 (297)
10
ハリー・チェンバース
1915–1928
135 (315)
16 (28)
0 (1)
151 (339)
脚注
注釈
出典
^ “長期政権のリヴァプール 131年の歴史の中で監督の座に就いたのはわずか21人 ”. theWORLD(ザ・ワールド) . 2024年10月21日 閲覧。
^ “サッカー=遠藤所属のリバプール、スロット新監督の就任発表 ”. ロイター . 2024年10月21日 閲覧。
^ a b “マンU、最多19度目の優勝 イングランド・プレミアL ”. 日本経済新聞 . 2024年10月21日 閲覧。
^ “リバプールが30年ぶりのリーグ優勝、マンC敗戦で決まる ”. AFPBB News . 2024年10月21日 閲覧。
^ “世界で最も稼いでいるのはどのクラブ? デロイトが22-23シーズンのクラブ長者番付を発表 ”. サッカーキング . 2024年10月21日 閲覧。
^ The Everton Story 1878-1930 Evertonfc.com,2008年8月26日閲覧
^ 1892 – Liverpool Football Club formed Archived 2008年6月19日, at the Wayback Machine . Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年9月17日閲覧
^ 後のロザラム・ユナイテッドFC の前身チームのひとつとなった1899年設立の同名のロザラム・タウンFC とは全く別のクラブである
^ リヴァプールFC - ロザラム・タウンFC 7:1“アーカイブされたコピー ”. 2008年4月16日時点のオリジナル よりアーカイブ。2008年2月18日 閲覧。 LFChistory.net,2008年9月13日閲覧
^ http://www.fa-cupfinals.co.uk/1950.htm 2008年10月5日閲覧
^ 1959 - Shankly appointed manager Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年9月17日閲覧
^ “Shankly signs in at Anfield ”. Liverpool F.C. 21 January 2016 閲覧。
^ “Ian Callaghan ”. LFC History. 20 December 2015 閲覧。
^ “Roger Hunt ”. LFC History. 20 December 2015 閲覧。
^ “Liverpool 4–1 Wolves ”. LFC History. 24 January 2016 閲覧。
^ “Shankly's Anfield farewell ”. Liverpool F.C. 21 January 2016 閲覧。
^ “Tommy Smith ”. www.liverpoolfc.com. 10 September 2020 閲覧。
^ “Liverpool v Real Madrid: Alan Kennedy on 1981 European Cup ”. BBC.Sports (2018年3月3日). 2020年3月18日 閲覧。
^ “Alan Kennedy ”. LFC Official. 2020年3月18日 閲覧。
^ 1985 - Heysel Disaster Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年8月26日閲覧
^ 1989 – Hillsborough Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年8月26日閲覧
^ 2001 - Clinching the cup treble Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年9月18日閲覧
^ Owen unveiled by Real BBCスポーツ (2004年8月14日 12:08 GMT ) 2008年9月18日閲覧
^ AC Milan 3-3 Liverpool (aet) BBCスポーツ (2005年5月25日),2008年9月18日閲覧
^ FIFAクラブワールドチャンピオンシップ トヨタカップジャパン2005 日テレ ,2008年9月30日閲覧
^ 2006 - FA CUP WINNERS 2006 Liverpoolfc.tv - LFC Story,2008年8月26日閲覧
^ AC Milan 2-1 Liverpool BBCスポーツ (2007年5月23日),2008年9月18日閲覧
^ Liverpool complete Torres signing BBCスポーツ (2007年7月4日),2008年9月18日閲覧
^ チェルシーが激戦を制し、初の決勝進出 uefa.com(トレバー・ヘイレット,2008年4月30日),2008年9月29日閲覧
^ Liverpool complete Keane transfer BBCスポーツ (2007年7月28日),2008年9月18日閲覧
^ Reds pay tribute to exiting Riise BBCスポーツ (2008年6月19日),2008年9月18日閲覧
^ Liverpool sell Finnan to Espanyol BBCスポーツ (2008年9月1日),2008年9月18日閲覧
^ Crouch seals £11m Portsmouth move BBCスポーツ (2008年7月11日),2008年9月18日閲覧
^ Kewell completes Galatasaray move BBCスポーツ (2008年7月5日 11:21 GMT ),2008年9月21日閲覧
^ 日本経済新聞 2010年4月17日 夕刊
^ 優勝したのが3位のマンチェスター・シティだった為
^ 日本スポーツ企画出版社 2011-2012 EUROPE SOCCER TODAY 完結編125頁
^ 日本スポーツ企画出版社 2012-2013 EUROPE SOCCER TODAY 完結編41頁
^ スターリングのマンC移籍が決定。破格の移籍金94億はプレミア史上2位 footballchannel (2015/07/15)
^ 今夏シティと契約満了のミルナー、リバプール移籍が決定! ゲキサカ (2015/06/04)
^ リバプール、サウサンプトンSBクラインを獲得…今夏6人目の補強 ゲキサカ (2015/07/02)
^ リヴァプールがバーンリーFWイングスを獲得…今季は11ゴール記録 SOCCERKING (2015/06/08)
^ リバプールがジョー・ゴメス獲得を正式に決定、ファンの反応は... (2015/06/20)
^ リヴァプールがフィルミーノ獲得を発表…移籍金は独史上最高額の57億円か SOCCERKING (2015/06/24)
^ リヴァプールがベルギー代表FWベンテケを獲得…移籍金は63億円か SOCCERKING (2015/07/23)
^ リバプールがベルギー代表19歳オリジを獲得…今季はリール残留 ゲキサカ (2014/07/30)
^ クロップの新生リヴァプール、初陣でいきなり今季最高の値を記録 Qoly (2015年10月18日)
^ [ワールドサッカーキング、フロムワン、朝日新聞出版 総力特集リヴァプール 情熱の改革]2016年2月、24、25頁
^ リバプールがドルトムントとの打ち合い制し4強入り、ヨーロッパリーグ afpbb.com (2016/04/15)
^ リヴァプールがEL決勝へ!ビジャレアルを沈めたのはこの3ゴール Qoly.jp (2016/05/06)
^ セビージャ、EL史上初の3連覇達成…後半3発でリヴァプールに逆転勝利 SOCCERKING (2016/05/19)
^ シュクルテル、フェネルバフチェ移籍決定…8年半所属のリヴァプールに別れ SOCCERKING (2016/07/15)
^ 元リヴァプールDFホセ・エンリケ、移籍先がついに決定! Qoly (2016/09/09)
^ ウェールズ代表MFアレン、リヴァプールからストークへ移籍…5年契約 SOCCERKING (2016/07/26)
^ ベンテケ、クリスタル・パレスへの移籍決定 本人は加入先を間違える SOCCERKING (2016/08/21)
^ リバプール期待の若手2人が流出。トップデビュー済みも契約延長に応じず footballchannel (2016/05/22)
^ リバプールの豪州代表DFスミスがボーンマスへ移籍 ゲキサカ (2016/07/28)
^ リバプール、S・マネ獲得を正式発表…5年契約+移籍金46億円で加入か 超ワールドサッカー! (2016/06/28)
^ [1] カルチョまとめブログ (2016/07/23)
^ リバプール、今夏フリーでのマティプ獲得が決定 超ワールドサッカー! (2016/02/15)
^ リバプールがマインツ守護神カリウスを獲得 超ワールドサッカー! (2016/05/25)
^ リヴァプール、ローマMFサラーの獲得を発表…移籍金はクラブ最高額 SOCCERKING (2017/06/23)
^ リヴァプール、若手DFロバートソンの加入を発表「とてもうれしい」 SOCCERKING (2017/07/22)
^ リヴァプール、チェンバレン獲得が正式決定! 50億円で今夏4人目の補強 SOCCERKING (2017/08/31)
^ 10年在籍したリバプールに別れ…ルーカス・レイバがラツィオ移籍を決断 ゲキサカ(2017/07/19)
^ バルサがコウチーニョ獲得を発表!…5年半契約で移籍金は歴代2位の218億円 SOCCERKING (2018/1/7)
^ ファン・ダイクのリヴァプール移籍が決定! 移籍金はDF史上最高額の114億円 SOCCERKING (2017/12/27)
^ ミルナー、CLアシスト数で大会新記録…ローマ戦の5点目をアシスト サッカーキング 2018年4月25日(2018年4月25日閲覧)
^ beats Champions League assists record -UEFA.COM 2018年4月24日(2018年4月25日閲覧)
^ サッカー=リバプール、クラブ最高額でケイタ獲得 ロイター (2017/8/30)
^ リヴァプール、ファビーニョ獲得を発表…CL決勝2日後に今夏最初の補強 SOCCERKING (2018/5/28)
^ サッカー=リバプール、スイス代表シャキリを長期契約で獲得 ロイター (2018/7/13)
^ サッカー=リバプール、GK史上最高移籍額でアリソン獲得 ロイター (2018/7/20)
^ クロップ、選手移籍に約250億円費やすも「プレッシャーなど気にしない」 SOCCERKING (2018/7/26)
^ ユーヴェ、リヴァプールMFジャンの獲得を正式発表…4年契約を締結 SOCCERKING (2018/6/21)
^ Loris Karius joins Besiktas on two-year loan Liverpool FC (2018/8/25)
^ 「面白くなくなった? そんなの関係ない!」 リバプールOBが記録的な堅守を絶賛 Football Zone (2018/12/25)
^ “またも悲願ならず…リバプールはイングランド史上最高の“準優勝チーム”に ”. SANSPO.COM(サンスポ) . SANKEI DIGITAL INC (2019年5月13日). 2019年5月13日 閲覧。 “『Opta』によると、1シーズンに30勝を挙げ、97ポイントを獲得して優勝できなかった初めてのチームになった。また、シーズン通して1敗のチームがタイトルを獲得できなかったことも初めてのことであった。さらに、クリスマス時点では首位に立っていたチームが優勝を逃すのは、これでプレミアリーグ3度目であり、3回ともすべてリヴァプールとなっている(2008-09、2013-14、2018-19)。さらにリヴァプールは、2008-09シーズンは2敗ながら優勝を逃した初めてのチームになっていた(優勝はマンチェスター・ユナイテッド)。そして2018-19シーズン、たった1敗ながら頂点に立てなかった史上初のチームとなった。”
^ “リーグ1敗V逸リバプール…クロップ監督「来季はより完璧に…」 ”. ゲキサカ . KODANSHA LTD. 2019年5月13日 閲覧。 “12日のプレミアリーグ最終節で、リバプールはウォルバーハンプトンに2-0で勝利。今季を30勝7分1敗の勝ち点97で戦い終えた。しかし首位のマンチェスター・シティもブライトンに4-1で快勝。32勝2分4敗の勝ち点98とし、勝ち点1差で史上まれにみるハイレベルな優勝争いに決着をつけた。”
^ “サラー&マネが英国史上初の快挙 同一チームから同点得点王に ”. フットボールチャンネル . kanzen Ltd. 2019年5月13日 閲覧。 “プレミアリーグ以前の時代も含めて、2人以上の得点王が生まれたシーズンは数回あるが、サラーとマネのように同一クラブの選手2人が得点王となるのはイングランドで史上初。欧州5大リーグでも1970年にアトレティコ・マドリーのルイス・アラゴネスとホセ・エウロヒオ・ガラテが同時得点王となったのが過去唯一の例だった。 昨季の得点王でもあるサラーはリバプール加入から2年連続の得点王。クラブ加入から2年連続得点王となった選手はプレミアリーグ時代では初であり、1968年にロン・デイビス氏がサウサンプトンで達成して以来51年ぶりとなった。またサラー、マネ、オーバメヤンの3人はアフリカ大陸の代表選手。得点王の3人がアフリカ大陸の代表選手で独占したのはプレミアリーグ史上初の快挙となった。”
^ 彼がまたしてもやってくれた」ミルナーがナポリ撃破&グループ突破の立役者サラーを絶賛 legendstadium 2018年12月17日
^ “信じ続けた三度目の“奇跡”!リヴァプールが2年連続決勝へ!バルサは2季連続3点差から敗退…/CL準決勝第2戦 ”. Goal.com . 2019年5月13日 閲覧。
^ “'Miracle of Anfield': How the world reacted to Liverpool's night of glory against Barcelona ” (英語). The Telegraph . The Telegraph. 2019年5月8日 閲覧。
^ “これぞアンフィールドの奇跡! リバプールが0-3からバルサを逆転して2シーズン連続のCL決勝進出! ”. Soccer Digest Web . サッカーダイジェスト. 2019年5月8日 閲覧。
^ “リヴァプール指揮官クロップ、自身3度目のCL決勝で初優勝「人生で最高の夜」 ”. www.goal.com . Goal.com. 2019年6月2日 閲覧。
^ “無敗記録はストップも…リバプールが今季のプレミアで更新できる記録の数々【超ワールドサッカー】 ”. 超ワールドサッカー . 2020年6月27日 閲覧。
^ “リヴァプールは“プレミア史上最強のチーム”へ…更新迫る数々の記録とは? | Goal.com ”. www.goal.com . 2020年6月27日 閲覧。
^ “Liverpool vs. Manchester City - 4 August 2019 ”. Soccerway . 2019年12月16日 閲覧。
^ “CL王者リヴァプールが4度目のUEFAスーパー杯制覇!…PK戦でチェルシーとの激闘制す ”. サッカーキング (2019年8月15日). 2019年9月25日 閲覧。
^ “Adam Lallana joins Brighton ”. Liverpool FC . 2020年9月24日 閲覧。
^ “Nathaniel Clyne set to leave Reds upon contract expiry ”. Liverpool FC . 2020年9月24日 閲覧。
^ “Dejan Lovren leaves LFC for Zenit St. Petersburg ”. Liverpool FC . 2020年9月24日 閲覧。
^ “Liverpool complete signing of Kostas Tsimikas ”. Liverpool FC . 2020年9月24日 閲覧。
^ “Liverpool FC complete signing of Thiago Alcantara ”. Liverpool FC . 2020年9月24日 閲覧。
^ “Liverpool FC seal signing of Diogo Jota on long-term deal ”. Liverpool FC . 2020年9月24日 閲覧。
^ “Virgil van Dijk to undergo surgery on knee injury ”. Liverpool FC . 2021年2月13日 閲覧。
^ “Joe Gomez injury update ”. Liverpool FC . 2021年2月13日 閲覧。
^ “Jürgen Klopp confirms Joel Matip injury diagnosis ”. Liverpool FC . 2021年2月13日 閲覧。
^ “Liverpool seal signing of Ben Davies on long-term deal ”. Liverpool FC . 2021年2月13日 閲覧。
^ “Liverpool complete loan deal for Ozan Kabak ”. Liverpool FC . 2021年2月13日 閲覧。
^ “Jota strikes again as Liverpool ease to record-breaking win over Leicester ” (英語). www.theguardian.com . 2020年11月23日 閲覧。
^ “リバプール、要塞アンフィールドで“4年ぶりの敗戦”。格下バーンリーに失態で激化する優勝戦線からも後退 ”. Soccer Digest Web . 2021年2月13日 閲覧。
^ “リヴァプール、“降格”以来の屈辱6連敗…ロイ・キーンは「チーム崩壊危機」を指摘 ”. 2021年11月24日 閲覧。
^ “Ranking the Premier League signings of the season ”. The Guardian . 2022年5月22日 閲覧。
^ “レッズはウルヴスに逆転勝利するも2位で終了 ” (英語). リヴァプールFC (2022年5月25日). 2022年5月25日 閲覧。
^ “マッチレポート:リヴァプールはチャンピオンズリーグ決勝でレアル・マドリードに敗れる ”. リヴァプールFC (2022年5月29日). 2022年5月30日 閲覧。
^ “無駄遣い…。リバプール、給料が高すぎる5人。費用対効果が悪いのは? ”. 2023年2月6日 閲覧。
^ “マンチェスター・C×リヴァプール ”. 2022年12月24日 閲覧。
^ “PGMOL release VAR audio from Spurs v Liverpool ” (英語). www.premierleague.com . 2024年1月29日 閲覧。
^ “Jürgen Klopp has announced his decision to step down as LFC manager at the end of the season. ”. liverpool FC. 2024年1月29日 閲覧。
^ “最終戦を終えたクロップ監督が別れの挨拶「あなたたちは世界で最高の人々」 ”. 2024年10月21日 閲覧。
^ “「心から愛しているよ」リバプールでのラストマッチを終えた名将クロップ、退団セレモニーで感謝の言葉! 後任濃厚スロット監督へのチャントも歌う ”. 2024年10月21日 閲覧。
^ “リヴァプール、スロット氏の指揮官就任を正式発表! 3年契約を締結して6月から新体制がスタート ”. 2024年10月21日 閲覧。
^ http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/b/b2/Liverpool_FC_logo.png リヴァプールFCのエンブレム,2008年8月26日閲覧
^ リバプール・フットボール・クラブについて〜歴史、エンブレム、ライバル関係〜
^ 【豊福 晋の欧州蹴球日記】ヘイゼルの悲劇と20年後の対戦 (2005年3月22日),2008年9月9日閲覧
^ Inglis (2005)
^ http://www.liverweb.org.uk/melwood.htm Liverweb,2008年10月7日閲覧
^ “3トップより凄いリバプールの魅力。聖地アンフィールドの“ご加護”。(熊崎敬) ”. Number Web - ナンバー . 2024年11月29日 閲覧。
^ “You’ll Never Walk Aloneの歴史と名シーン〜世界のサッカースタジアムで歌われる祈り〜 ”. 2020年5月28日 閲覧。
^ あのセレブはどこのサポーター? 英紙選定各プレミアクラブの著名人ファン一覧 soccerking 2015年4月6日
^ 「試合はすべてリアルタイム観戦」KOP声優・白井悠介がFCWCでリバプールに期待すること footballista 2019年12月18日
^ ある時イングランド代表の試合を観ていて、スティーブン・ジェラードって選手がかっこいいなと思って。調べたら、ビートルズが生まれた街のクラブ・リバプールに所属していることが判明してそれからファンになりました。『SWITCH』VOL.35NO.2FEB.2017p.20より引用
^ “Liverpool FC - Team ”. 2023年11月18日 閲覧。
^ a b LFC Records Archived 2008年2月12日, at the Wayback Machine . Liverpoolfc.tv,2008年9月13日閲覧http://www.lfchistory.net/stats.asp LFChistory.net,2008年9月13日閲覧
^ [2] LFChistory.net,2014年4月25日閲覧
^ “アーカイブされたコピー ”. 2008年2月24日時点のオリジナル よりアーカイブ。2008年2月22日 閲覧。 LFChistory.net,2008年9月12日閲覧
関連項目
参考文献
外部リンク
公式
ニュース
その他
関連項目
グループリーグ
グループA グループB グループC グループD グループE グループF グループG グループH
決勝トーナメント
関連項目
UCL - UEL - UECL
AFC - UEFA
G-14 (ヨーロッパ・ビッグクラブ連合体) 2000-2008
2000-2008 2002-2008