オリンピック・マルセイユ (仏 : Olympique de Marseille 、フランス語発音: [ɔlɛ̃pik də maʁsɛj] , 現地発音: [ɔlɛ̃ˈpikə də maχˈsɛjə] ; オック語 : Olimpic de Marselha , 発音 [ulimˈpi de maʀˈsejɔ] )は、フランス ・マルセイユ に本拠地を置くプロサッカー クラブ。OM (IPA: [o.ɛm] , 現地発音: [oˈɛmə] )または単にマルセイユ (Marseille)としても知られる。
概要
フランスプロフットボールリーグ (LFP) のトップディヴィジョン・リーグ・アン に所属している。愛称はロエム (L'OM)、クラブのスローガンは "Droit Au But (ゴールへ一直線 )" であり、エンブレムやユニフォームにその文字が窺える。
1899年 に設立。リーグ・アン においてサンテティエンヌ の10回に次ぐ9回の優勝経験を有する他、リーグ・アンのクラブの中で唯一UEFAチャンピオンズリーグ の優勝経験がある[ 1] 。ル・クラスィク (またはフランスダービー)と呼ばれるパリ・サンジェルマン との一戦はフランス中の注目を集めるとされている。またオリンピック・リヨン との対戦はショック・ドゥ・オランピック (オリンピック・ダービー)と呼ばれる。
フランスのクラブとしてはパリ・サンジェルマンFC と共に欧州でも最も人気のあるサッカークラブの一つである(2006年の調査)[ 2] 。
2013年2月、『デロイト 』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグ によると、2011-12シーズンのクラブ収入は1億4350万ユーロ(約161億円)であり、欧州第16位である。当時はフランスで最も収入の高いクラブであったが、2010年代は慢性的な財政難を抱えるようになり、2020年のランキングでは宿敵パリ・サンジェルマンFC 、オリンピック・リヨン に抜かれトップ20圏外となっている[ 3] [ 4] 。
歴史
ルネ・デュフォール・ドゥ・モンミライユ
オランピク・ドゥ・マルセイユはフランスのスポーツ指導者ルネ・デュフォール・ドゥ・モンミライユ (フランス語版 ) によって総合スポーツクラブとして1892年に設立された。設立後の5年間はSporting Club, US Phocéenne and Football Club de Marseilleと呼ばれた。1899年に、ポカイア からのギリシャ人 が25世紀前にマッサリア(現在のマルセイユ)に入植したことに敬意を表して、古代オリンピック から単語Olympiqueを取ってクラブ名を「Olympique de Marseille」とした。
当初は、ラグビーユニオン がクラブの最も重要なチームスポーツであり、 「Droit Au But」(ゴールへ一直線)という標語はラグビーから来ている。1898年からフランススポーツ競技連合 (英語版 ) (USFSA)に加盟し、イングランド人とドイツ人のおかげで1902年にようやくフットボールがプレーされるようになった。1904年、オランピク・ドゥ・マルセイユはマルセイユと近郊のチームが参加する初のChampionnat du Littoralで優勝し、第11回のフランス全国選手権 で最終ラウンドに参加した。当時、「football」という単語はラグビーを意味しており、人々はサッカーを「Association」と呼んでいた。
1911年のチーム
1920年代、オランピク・ドゥ・マルセイユはフランスで重要なチームとなり、1924年、1926年、1927年にクープ・ドゥ・フランス で優勝した。1929年にはClub Françaisを破り、フランス全国選手権で優勝した。
黄金期
1986年に会長に就任したベルナール・タピ の豊富な財力により欧州王座を目標に、1980年代後半から1990年代初頭にかけてアラン・ジレス 、カールハインツ・フェルスター 、ジャン=ピエール・パパン 、クリス・ワドル 、エンソ・フランチェスコリ らを獲得、またディエゴ・マラドーナ をも獲得すべく触手したが、獲得は出来なかった[ 5] 。リーグ4連覇、更に1990-91シーズンにUEFAチャンピオンズカップ決勝 まで進出し[ 6] 、1991-92シーズンを最後にパパン、ワドルらが退団したが、ルディ・フェラー らを獲得した1992-93シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ決勝 でACミラン をバジール・ボリ のゴールで1-0と破り[ 7] 、同大会ではフランスのクラブとしては初の優勝 を飾った。
しかし、リーグでの八百長 発覚により1992-93シーズンのリーグ・アン優勝を剥奪され、同年のチャンピオンズリーグ優勝についても、タイトル自体は剥奪されなかったものの、チャンピオンとして活動する権利を奪われ、トヨタカップ への出場権が剥奪され[ 8] 、同時にタピの脱税などスキャンダルが相次ぎ、アレン・ボクシッチ 、マルセル・デサイー 、フランク・ソゼー 、パウロ・フットレ らがシーズン途中に移籍、シーズン終了後チームは八百長のペナルティーにより2部降格となった。1994-95シーズン、ディディエ・デシャン 、ファビアン・バルテズ ら一部の主力選手は残留して優勝するも、ペナルティは続いたため昇格が認められず、1995-96シーズンに2位という結果で1部復帰を果たした。
ドレフュス会長時代
1996年、フランス人実業家ロベール・ルイ・ドレフュス (英語版 ) が会長に就任すると、移籍市場ではローラン・ブラン 、ウィリアム・ギャラス 、ファブリッツィオ・ラバネッリ ら実力者を次々に獲得してチームの立て直しと戦力強化を図る。
1998-99シーズン、自国開催のワールドカップ優勝メンバーだったクリストフ・デュガリー とロベール・ピレス がチームに加入。リーグでは2位、UEFAカップでは決勝へ進出するも、ブランのバックパスミスからの失点などでパルマ相手に敗れて準優勝。
1999-00シーズン、ブランをインテルへ放出したことで、チームのバランスが崩れてリーグでは低迷する。UEFAチャンピオンズリーグでは2次グループリーグラウンドまで進出するもラツィオ 、チェルシーFC 、フェイエノールト と同組となり最下位での敗退。主力選手を次々に放出したことで戦力低下し、以降リーグ優勝から遠ざかった。
2001年には元会長のタピがスポーツディレクターとして復帰。アフリカの有望選手や若手など積極的に補強するも低迷は続いた。リーグ・アンにおける2000年代はリヨン が2001-02シーズン以降2007-08シーズンまで7連覇を記録したが、その間もリーグ・アンの平均観客動員数1位の座はマルセイユが守り続けていた。近年は安定して5万人を超える平均観客動員数を誇っており(2003-04から2007-08シーズン間の過去5シーズンで4シーズン達成)、フランス国内における人気の程が覗える。
過渡期
2004-05シーズンには元日本代表 監督 のフィリップ・トルシエ が指揮を執り、その縁もあって中田浩二 も在籍した。
欧州カップ戦においては、2003-04、2007-08シーズンにチャンピオンズリーグに出場をしているが、いずれもグループリーグラウンドで敗退を喫している。もっとも2003-04シーズンでは、出場したチャンピオンズリーグのグループリーグで3位に入り、決勝トーナメントより出場の権利を得たUEFAカップ にて準優勝(決勝でバレンシア に0-2で敗れる)しており、2000年代の欧州カップ戦において目覚しい活躍がないわけではない。
2006-07シーズンはリヨン に次ぐ2位に入り、4シーズンぶりのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得したものの、首位リヨンとの勝ち点差は17であった。MFフランク・リベリー をバイエルン・ミュンヘン に約49億円[ 9] の移籍金で移籍させ、MFカリム・ジアニ 、MFボウデヴィン・ゼンデン 、MFブノワ・シェイル 、DFガエル・ジヴェ などを獲得した。しかし、開幕から不振が続き、2007年9月にアルベール・エモン 監督が解任された。一時期は19位まで低迷したチームを後任のエリック・ゲレツ 監督が立て直し、GKセドリック・カラッソ からポジションを奪ったGKスティーヴ・マンダンダ などが台頭し、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
2008年夏にはMFサミル・ナスリ をアーセナル に放出したが、ライバルのリヨンからMFハテム・ベン・アルファ を獲得した。DFイウトン 、FWバカリ・コネ などの新戦力がレギュラーに定着し、2009年1月にシャフタール・ドネツク から獲得したFWブランドン が後半戦だけで7得点するなど、新加入選手が軒並み期待通りの働きを見せた。31節から35節まで首位を守り、ボルドー 、リヨンと最終節まで優勝を争ったが、勝ち点3差で優勝を逃した。しかし、敗戦数は2007-08シーズンの10から5に減らした。
久方ぶりの歓喜
2009年7月4日、約13年間に渡ってクラブの筆頭株主であったロベール・ルイ・ドレフュスが白血病 により死去した[ 10] 。遺言により夫人のマルガリータ・ルイ・ドレフュス (英語版 ) がクラブ株式を相続し筆頭株主となった。2009年夏、クラブのアイドルであるディディエ・デシャン を監督に招聘し、MFルイス・ゴンサレス 、DFガブリエル・エインセ 、DFスレイマン・ディアワラ 、FWフェルナンド・モリエンテス など大型補強を施した。UEFAチャンピオンズリーグ からの敗退が決まってからは尻上がりに調子を上げ、リーグカップ優勝で18シーズンぶりのタイトルを獲得するとリーグ優勝も果たした[ 11] 。
2010年夏、セサル・アスピリクエタ を補強していたマルセイユは移籍期限直前にトゥールーズFC からFWアンドレ=ピエール・ジニャック 、OGCニース からFWロイク・レミー の2人を約3000万ユーロの資金を使って補強した[ 12] [ 13] 。この年は1992-93年度 以来18年ぶりにチャンピオンズリーグで決勝トーナメントに進出。リーグ戦は2連覇こそ逃したものの、5年連続でチャンピオンズリーグ出場権を獲得、リーグカップ2連覇も果たした。
低迷期
2011年夏、ガブリエル・エインセ 、エドゥアール・シセ 、そしてチーム最古参選手だったタイエ・タイウォ が退団。ボルドーからMFアルー・ディアラ 、FCロリアン からDFジェレミー・モレル 、MFモルガン・アマルフィターノ 、ASモナコ からDFニコラ・ヌクル が入団した。しかしこのシーズンも序盤では不振で、第7節のETG 戦がリーグ戦初勝利であった。シーズン中盤にはリーグ戦13試合不敗という記録を残したが、後半戦になって成績が低迷し、サポーターのストライキもしばしばあった。[ 14] リーグでは10位という結果に終わったが、チャンピオンズリーグではインテル・ミラノ を破ってベスト8に進出した。また、リーグカップ3連覇も果たした。
2012年夏、監督のディディエ・デシャン がフランス代表 監督に就任し、代わりにエリ・ボー を招聘。しかしCL出場権も逃し、財政難に見舞われていた[ 15] マルセイユは、緊縮財政でセサル・アスピリクエタ をチェルシー へ、アルー・ディアラ をウェストハム・ユナイテッドFC へ、ステファーヌ・エムビア をクイーンズ・パーク・レンジャーズFC (QPR)へ放出。QPRから元イングランド代表MFジョーイ・バートン をレンタルで獲得した。
2014年5月2日、マルセロ・ビエルサ が2014-2015 シーズンからの監督就任が合意したことを発表した。戦術マニアと評されるビエルサに率いられたチームは得点ランキング2位となる21ゴールを挙げたFWアンドレ=ピエール・ジニャック や、ディミトリ・ペイェ らが活躍し、シーズンを4位で終える。
2015-16 シーズン、ディミトリ・パイェ をウェストハム・ユナイテッドFC 、マリオ・レミナ をユヴェントス に、ジャネリ・インビュラ をFCポルト 、アンドレ・アイェウ をスウォンジー・シティ 、フロリアン・トヴァン をニューカッスル・ユナイテッド に放出し、一方ニューカッスル からレミ・カベッラ を獲得したのを始め、ロランド・フォンセカ 、カリム・レキク などを獲得した。しかし2015年8月の第1節SMカーン 戦の敗戦後にビエルサが電撃辞任する波乱の幕開けとなる。クラブは急遽、前オリンピアコスFC 監督のミチェル を新監督に招聘し、2016年冬の移籍市場でトヴァン をレンタルで復帰させるも、前シーズンの立役者であったジニャックの退団などの影響もあり低迷。2016年4月の第34節時点で15位という極度の成績不振により、フランス・カップ 準決勝の前夜にミチェルを解任、後任にはアシスタントコーチを務めていたフランク・パッシ を昇格させた。フランス・カップは9年ぶりに決勝戦に進出したがパリ・サンジェルマンに4-2で敗れた。リーグでは13位となり、これはクラブにとって15年間で最悪の結果となった。シーズン終盤にはサポーターによる抗議行動なども起こった中、2016年4月にマルガリータ・ルイ・ドレフュスがクラブの身売りの意向を表明、7月にはヴァンサン・ラブルン会長も辞任した。
新たなオーナーと再生
2016-17 シーズンをフランク・パッシ暫定監督のもとでスタートさせ、夏の移籍市場では多くの主要選手を売却しクラブ売却のため財政的な清算を進めた。長年チームを支えていたGKスティーヴ・マンダンダ はクリスタル・パレス へ、前シーズンに台頭したFWミシー・バチュアイ をクラブ最高額となる4000万ユーロでチェルシー へ売却した。補強面ではハノーファー96 からDF酒井宏樹 、スウォンジ・シティ からバフェティンビ・ゴミス らを獲得した。
2016年8月、かつてMLB のロサンゼルス・ドジャース のオーナーを務めたアメリカ人実業家フランク・マッコート (英語版 ) によるクラブ買収の合意が発表された。同年10月に正式に調印され、マッコートにクラブ株式の95%が4,500万ユーロで譲渡され、ドレフュス家は引き続き5%を保有することとなった。フランス人実業家でユーロディズニー やインターネット事業の経営に携わっていたジャック=アンリ・エイロー (英語版 ) が新会長に就任。またシーズン第9節時点で12位と低迷していたフランク・パッシを解任し、新監督に元ASローマ 監督のリュディ・ガルシア を起用、アンドニ・スビサレッタ をスポーツディレクターに任命した。冬の移籍市場ではユヴェントス からDFパトリス・エヴラ を獲得。ストライカーのバフェティンビ・ゴミス が21ゴール、フロリアン・トヴァン が15ゴールを挙げ、リーグ順位は5位となりUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。
2017-18 シーズンは、セビージャ からDFアディル・ラミ 、ヴォルフスブルク からMFルイス・グスタヴォ 、モナコ 所属のFWヴァレール・ジェルマン を獲得。またGKスティーヴ・マンダンダ が1年ぶりに復帰した。また冬の移籍市場でディミトリ・ペイェ が1年半ぶりに復帰した。リーグ・アンは22勝で最終順位は4位。またヨーロッパリーグでは準決勝でレッドブル・ザルツブルク を3-2で破り、2004年のバレンシア 戦以来14年ぶりの欧州カップ戦の決勝進出を果たしたが、ファイナル ではアトレティコ・マドリード に0-3で敗れた。
2018年夏、チームの主力であったMFザンボ・アンギサ をフラムFC に売却し、後釜としてガルシア監督下のASローマ でプレーしていたオランダ代表MFケヴィン・ストロートマン をクラブ史上2番目の移籍金で獲得した。しかしヨーロッパリーグ はグループステージで敗退、2018-19シーズン のリーグ・アンは18勝7分13敗の5位に終わり、リュディ・ガルシア は監督を辞任した。
2019年5月、新監督にアンドレ・ビラス・ボアス が就任した[ 16] 。9000万ユーロを超える赤字を抱えるマルセイユは、ロランド・フォンセカ 、バロテッリ 、アイメン・アブデヌール 、アディル・ラミ 、トマーシュ・フボチャン 、ルイス・グスタヴォ らを放出または契約延長せず、2019-20シーズン を迎えたが、世界的なコロナウイルスの大流行のために10試合を残した3月8日の第28節でシーズン終了となり、16勝を挙げたマルセイユは一試合平均勝点による順位決定方式で2位となった。この結果、2013-14シーズン 以来のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を得た[ 17] 。
2020年6月19日、UEFAクラブ財務管理機関は、1年前に署名された合意に従わなかったことを理由に、マルセイユに300万ユーロの罰金と、2020-21〜2021-22シーズンのUEFAヨーロッパ大会への参加にともなう収入の15%の徴収を課し、2022-23シーズンまでクラブの登録選手人数に制限を加えると発表した[ 18] 。
2020-2021シーズン、アンドニ・スビサレッタ がスポーツディレクターを退任し、バレンシアCF の近年の躍進を支えたスポーツディレクターであったパブロ・ロンゴリアが後任となった[ 19] 。夏の移籍市場では、若手のDFレオナルド・バレルディ (ボルシア・ドルトムント からローン移籍)やMFパプ・ゲイェ [ 20] 、フリー移籍でベテランDF長友佑都 を獲得した。
ユニフォーム
オリンピック・マルセイユのホームユニフォーム は白 を基調とし、襟や手首部分にチームカラーの水色 のストライプが入る。アウェイユニフォームはチームカラーの水色を基調としている。
ライバル
ル・クラスィク (ザ・クラシックの意[ 21] 、フランス・ダービーやル・クラシコとも呼ばれる)[ 22] [ 23] は、パリ・サンジェルマンFC とオリンピック・マルセイユの間で行われるダービーマッチの名称で、フランスにおけるナショナル・ダービーである。対戦の名称は、レアル・マドリード とFCバルセロナ (ともにスペイン)が対戦するエル・クラシコ に由来している。
PSGとマルセイユのライバル意識が1980年代後半から1990年代初頭にかけて激しさを増すと、有料テレビ局でPSGの元オーナー・Canal+ とマルセイユのベルナール・タピ 会長が両者の対立を煽り、フランス中のサッカーファンにとって興味深い試合に仕立て上げた[ 24] 。両クラブはスタッド・ヴェロドローム (マルセイユ)とパルク・デ・プランス (PSG)という世界クラスのスタジアムを持ち、白熱した雰囲気や熱烈なサポーターを持つことで名高い。両クラブのサポーターは憎しみ合っており、両クラブサポーターの衝突を防ぐために万全の警備体制が敷かれるが、それでも両者が出会うと暴力事件に事欠かない[ 25] 。
マルセイユの国章 それぞれの本拠地であるパリ とマルセイユ は、フランスで最も大きな2都市である。両クラブのタイトル数を合わせると、リーグ・アン で11回優勝、クープ・ドゥ・フランス で18回優勝、クープ・ドゥ・ラ・リーグ で6回優勝、トロフェ・デ・シャンピオン で5回優勝している。ヨーロッパの主要大会で優勝経験があるのは、PSG(1995-96シーズンのUEFAカップウィナーズカップ )とマルセイユ(1992-93シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ )のみである。両者がリーグ・アンの覇権を握っており、真に全国的なクラブであり忠実で情熱的なファンクラブを持つ。
タイトル
国内タイトル
リーグ・アン (ディヴィジョン1):9回
1936-37, 1947-48, 1970-71, 1971-72, 1988-89, 1989-90, 1990-91, 1991-92, 2009-10
リーグ・ドゥ (ディヴィジョン2):1回
クープ・ドゥ・フランス :10回
1923-24, 1925-26, 1926-27, 1934-35, 1937-38, 1942-43, 1968-69, 1971-72, 1975-76, 1988-89
クープ・ドゥ・ラ・リーグ :3回
2009-10, 2010-11, 2011-12
トロフェ・デ・シャンピオン :3回
クープ・シャルル・ドラゴ :1回
国際タイトル
過去の成績
シーズン
リーグ戦
カップ戦
リーグ杯
欧州カップ
ディビジョン
試
勝
分
敗
得
失
点
順位
1968-69
ディヴィジョン・アン
34
12
9
13
51
48
33
7位
優勝
存在せず
1969-70
ディヴィジョン・アン
34
18
9
7
75
41
45
2位
ベスト64
CWC
準々決勝敗退
1970-71
ディヴィジョン・アン
38
23
9
6
94
48
55
1位
準決勝敗退
1971-72
ディヴィジョン・アン
38
24
8
6
78
37
56
1位
優勝
FC
2回戦敗退
1972-73
ディヴィジョン・アン
38
19
10
9
64
37
48
3位
準々決勝敗退
FC
1回戦敗退
1973-74
ディヴィジョン・アン
38
13
9
16
58
62
35
12位
ベスト64
UC
2回戦敗退
1974-75
ディヴィジョン・アン
38
18
9
11
65
45
45
2位
準々決勝敗退
1975-76
ディヴィジョン・アン
38
20
1
17
60
60
41
9位
優勝
UC
1回戦敗退
1976-77
ディヴィジョン・アン
38
14
8
16
48
63
36
12位
ベスト64
CWC
1回戦敗退
1977-78
ディヴィジョン・アン
38
20
7
11
70
41
47
4位
準々決勝敗退
1978-79
ディヴィジョン・アン
38
12
13
13
50
55
37
12位
準々決勝敗退
1979-80
ディヴィジョン・アン
38
9
6
23
45
78
24
19位
ベスト64
1980-81
ディヴィジョン・ドゥA
34
16
7
11
40
33
39
6位
6回戦敗退
1981-82
ディヴィジョン・ドゥA
34
14
15
5
48
33
43
3位
ベスト16
1982-83
ディヴィジョン・ドゥB
34
16
9
9
38
24
41
4位
ベスト32
1983-84
ディヴィジョン・ドゥA
36
22
12
2
92
32
34
1位
ベスト64
1984-85
ディヴィジョン・アン
38
13
5
20
51
67
31
17位
ベスト32
1985-86
ディヴィジョン・アン
38
11
12
15
43
39
34
12位
準優勝
1986-87
ディヴィジョン・アン
38
18
13
7
52
33
49
2位
準優勝
1987-88
ディヴィジョン・アン
38
18
5
15
49
43
41
6位
ベスト64
CWC
準決勝敗退
1988-89
ディヴィジョン・アン
38
20
13
5
56
35
73
1位
優勝
1989-90
ディヴィジョン・アン
38
22
9
7
75
34
53
1位
準決勝敗退
FC
準決勝敗退
1990-91
ディヴィジョン・アン
38
22
11
5
67
28
55
1位
準優勝
FC
準優勝
1991-92
ディヴィジョン・アン
38
23
12
3
67
21
58
1位
準決勝敗退
FC
2回戦敗退
1992-93
ディヴィジョン・アン
38
22
9
7
71
36
53
1位
準々決勝敗退
CL
優勝
1993-94
ディヴィジョン・アン
38
19
13
6
56
33
51
2位
準々決勝敗退
1994-95
ディヴィジョン・ドゥ
42
25
9
8
72
34
84
1位
準決勝敗退
1回戦敗退
UC
2回戦敗退
1995-96
ディヴィジョン・ドゥ
42
23
11
8
69
35
80
2位
準決勝敗退
準々決勝敗退
1996-97
ディヴィジョン・アン
38
12
13
13
43
48
49
11位
ベスト64
ベスト16
1997-98
ディヴィジョン・アン
34
16
9
9
47
27
57
4位
ベスト16
準々決勝敗退
1998-99
ディヴィジョン・アン
34
21
8
5
56
28
71
2位
ベスト32
ベスト32
UC
準優勝
1999-00
ディヴィジョン・アン
34
9
15
10
45
45
42
15位
ベスト32
ベスト32
CL
2次GL敗退
2000-01
ディヴィジョン・アン
34
11
7
16
31
40
40
15位
ベスト32
ベスト32
2001-02
ディヴィジョン・アン
34
11
11
12
34
39
44
9位
ベスト16
ベスト16
2002-03
リーグ・アン
38
19
8
11
41
36
65
3位
ベスト32
準決勝敗退
2003-04
リーグ・アン
38
17
6
15
51
45
57
7位
ベスト32
ベスト16
CL
GS敗退
UC
準優勝
2004-05
リーグ・アン
38
15
10
13
47
42
55
5位
ベスト64
ベスト32
2005-06
リーグ・アン
38
16
12
10
44
35
60
5位
準優勝
ベスト32
UIC
優勝
UC
ベスト16
2006-07
リーグ・アン
38
19
7
12
53
38
64
2位
準優勝
ベスト16
UIC
優勝
UC
1回戦敗退
2007-08
リーグ・アン
38
17
11
10
58
45
62
3位
ベスト16
準々決勝敗退
CL
GS敗退
UC
ベスト16
2008-09
リーグ・アン
38
22
11
5
67
35
77
2位
ベスト32
ベスト32
CL
GS敗退
UC
準々決勝敗退
2009-10
リーグ・アン
38
23
9
6
69
36
78
1位
ベスト32
優勝
CL
GS敗退
EL
ベスト16
2010-11
リーグ・アン
38
18
14
6
62
39
68
2位
ベスト64
優勝
CL
ベスト16
2011-12
リーグ・アン
38
12
12
14
45
41
48
10位
準々決勝敗退
優勝
CL
準々決勝敗退
2012-13
リーグ・アン
38
21
8
9
42
36
71
2位
ベスト16
ベスト16
EL
GS敗退
2013-14
リーグ・アン
38
16
12
10
53
40
60
6位
ベスト32
準々決勝敗退
CL
GS敗退
2014-15
リーグ・アン
38
21
6
11
76
42
69
4位
ベスト64
3回戦敗退
2015-16
リーグ・アン
38
10
12
10
48
42
48
13位
準優勝
準々決勝敗退
EL
ベスト32
2016-17
リーグ・アン
38
17
11
10
57
41
62
5位
ベスト16
ベスト16
2017-18
リーグ・アン
38
22
11
5
80
47
77
4位
準々決勝敗退
ベスト16
EL
準優勝
2018-19
リーグ・アン
38
18
7
13
60
52
61
5位
ベスト64
ベスト16
EL
GS敗退
2019-20
リーグ・アン
28
16
8
4
41
29
56
2位
準々決勝敗退
ベスト32
2020-21
リーグ・アン
38
16
12
10
54
47
60
5位
ベスト32
大会廃止
CL
GS敗退
2021-22
リーグ・アン
38
21
8
9
63
38
71
2位
準々決勝敗退
EL
GS敗退
ECL
準決勝敗退
2022-23
リーグ・アン
38
22
7
8
67
40
73
3位
準々決勝敗退
CL
GS敗退
2023-24
リーグ・アン
38
13
11
10
52
41
50
8位
ベスト32
EL
準決勝敗退
現所属メンバー
リーグ・アン2023-24シーズン 基本フォーメーション (4-3-3 )
2023年 11月21日 現在[ 26]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルール に基づく。
監督
レンタル移籍
in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルール に基づく。
out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルール に基づく。
歴代監督
ピーター・ファーマー 1923-1924
ビクター・ギブソン 1925-1929
チャーリー・ベル 1932-1933
ヴィンツェンツ・ディートリッヒ 1933-1935
エイセンホッフェル・ヨージェフ 1935-1938, 1939-1941
コフト・ヴィルモシュ 1938
アンドレ・ガスカール 1938-1939, 1941-1942
ポール・セツ 1942
アンドレ・ブラン 1942-1943
ローラン・アンリ 1943-1944
ジョゼフ・ゴンサレス 1943, 1944
ポール・ワルテル 1944-1946
ジュール・デバケス 1946-1947
ジュゼッペ・ジリッツィ 1947-1949, 1958
オーギュスト・ジョルダン 1949-1950
アンリ・ルスラー 1950-1954
ロジェール・ロリオン 1954-1956
ジャン・ロビン 1956-1958, 1963-1964
ルイス・マウレール 1958-1959
リュシアン・トルペル 1959-1962
オットー・グロリア 1962
アルマン・ペンヴェルヌ 1962
ルイス・ミロ 1962
ロベール・ドメルグ 1966-1968
ジャン・ジョルカエフ 1968
リュシアン・ルデュク 1970-1972
クルト・リンダー 1972-1973
マリオ・ザテッリ 1964-1966, 1968-1970, 1972, 1973-1974
ジョゼフ・ボネル 1973
フェルナンド・リエラ 1973-1974
ホセ・アリバス 1976-1977
イヴァン・マルコヴィッチ 1977-1978
ジュレ・ズヴンカ 1974-1976, 1978-1980
ジャン・ロビン 1980
アルベール・バトー 1980-1981
ピエール・カユザック 1984-1985
ジャルコ・オラレヴィッチ 1985-1986
ジェラール・バニデ 1986-1988
ジェラール・ジリ 1988-1990, 1994, 1995-1997
フランツ・ベッケンバウアー 1990
レイモン・ゲタルス 1991-1992, 1992-1993
トミスラフ・イヴィッチ 1991
ジャン・フェルナンデス 1992, 2005-2006
マルク・ブリエ 1993-1994
アンリ・スタンブリ 1994-1995
ローラン・クルビ 1997-1999
ベルナール・カソーニ 1999-2000
アベウ・ブラガ 2000
クリストフ・ガルティエ 2000
ハビエル・クレメンテ 2000-2001
トミスラフ・イヴィッチ 2001
ジョゼ・アニゴ 2001, 2004, 2013-2014
ヨシップ・スコブラル 、 マルク・レヴィ 2001
アルベール・エモン 2001-2002, 2004, 2006-2007
アラン・ペラン 2002-2004
フィリップ・トルシエ 2004-2005
エリック・ゲレツ 2007-2009
ディディエ・デシャン 2009-2012
エリ・ボー 2012-2013
マルセロ・ビエルサ 2014-2015
ミチェル 2015-2016
フランク・パッシ 2016
リュディ・ガルシア 2016-2019
アンドレ・ビラス・ボアス 2019-2021
ホルヘ・サンパオリ 2021-2022
イゴール・トゥドール 2022-2023
マルセリーノ 2023
ジャック・アバルドナド 2023
ジェンナーロ・ガットゥーゾ 2023-2024
ジャン=ルイ・ガセ 2024
ロベルト・デ・ゼルビ 2024-
歴代所属選手
脚注
出典
外部リンク
グループリーグ
グループA グループB グループC グループD グループE グループF グループG グループH
決勝トーナメント
関連項目
UCL - UEL - UECL
AFC - UEFA
G-14 (ヨーロッパ・ビッグクラブ連合体) 2000-2008
2000-2008 2002-2008