トニービン (Tony Bin) はアイルランド生まれの競走馬である。イタリア調教馬としてモルヴェド以来27年ぶりに凱旋門賞を制した[1]。引退後は日本で種牡馬として活躍した。
競走馬時代
アイルランドのセリ市で、日本円にして約65万円でイタリア人実業家のルチアーノ・ガウッチ(英語版)に購入された[2]。調教師はイタリアのルイジ・カミーチ。1985年から1988年の現役生活で27戦15勝の戦績を残した[3]。
デビュー戦で初勝利をあげ、イタリアGIのグランクリテリウムで3着となるものの、4歳まではダービーイタリアーノ4着、イタリア大賞3着、ジョッキークラブ大賞2着と善戦止まりであった[3]。
5歳になるとミラノ大賞典、ジョッキークラブ大賞を含む4連勝を達成し、フランスおよびイギリスへと遠征。サンクルー大賞ではセントレジャーステークス覇者のムーンマッドネス(英語版)の2着と健闘する[1]。11頭立て11番人気で挑んだヨーロッパ下半期最高峰のGI凱旋門賞では、鞍上キャッシュ・アスムッセンの好騎乗に導かれて2着となる波乱を演出した[1]。
6歳時にはイタリア共和国大統領賞、ミラノ大賞典を連勝し、再び外国遠征を敢行する。キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスにてムトトの3着に入ると、イタリアのフェデリコテシオ賞から連闘で凱旋門賞へ出走した。凱旋門賞では単勝14.9倍の5番人気であったが、最終コーナー12番手から直線で鋭い伸び脚を見せ、1番人気ムトトの追撃をクビ差抑えて優勝した。勝ちタイムは2分27秒3と、凱旋門賞史上2位のタイムであった[1]。この年の凱旋門賞はソウルオリンピックの最終日と重なっており、男子マラソンのジェリンド・ボルディンの優勝とともにイタリア国内を大いに湧かせた[1]。
ジャパンカップ
この活躍が評価され、トニービンはジャパンカップ(GI)に招待されることとなった。現役最終戦となった日本遠征では、競走馬の空輸を内規で禁止していたアリタリア航空が、自ら望んでトニービンの輸送へ手を上げた[1]。ヨーロッパ、アメリカ、オセアニア、そしてアジアの日本の代表馬が集結したこのレースは「四大陸決戦」[4]と呼ばれ、その中でも凱旋門賞馬トニービンの出走は大きな注目を集めた[5]。カミーチ調教師は「われわれは、勝つことしか考えていない」[1]、「3馬身離して勝つ」[6]と宣言し、ライバルとしては日本のタマモクロスを挙げた[注釈 1][1]。
レースでは、日本のメジロデュレンがスローペースで逃げる中で中団に位置し[7]、4コーナーではペイザバトラーやタマモクロスらの後方から進出を開始した[8]。しかし、最終直線での伸びを欠いて1着から0.4秒差の5着に終わった[8]。トニービンはレース中に骨折を発症しており、ジャパンカップを最後に引退した[3]。トニービンの新たなオーナーとなっていた社台ファームの吉田照哉はペイザバトラーを勝利に導いたクリス・マッキャロンの騎乗に感銘を受け、レース後には「米国の騎手を起用すれば…」との感想を漏らしている[注釈 2][9]。
種牡馬時代
引退後、日本の社台グループが購入し、日本で種牡馬生活を送ることになる。1994年日本リーディングサイアーを獲得。数多くの活躍馬を出したが、2000年3月10日に急性心不全のために死亡した。このため2001年産がラストクロップとなり、最終年は種付け期間中の死亡であったため、中央競馬に登録されたのはわずか4頭であった。
産駒は東京競馬場との相性がよく、産駒獲得GIのほとんどが東京競馬場での勝利である。産駒は東京競馬場で行われる芝のGIレース(2006年新設のヴィクトリアマイルを除く)を完全制覇している。
2009年7月1日に、ジュラナスリング(2000年産)が引退したことによりすべての産駒が中央競馬より姿を消した。
産駒の種牡馬成績は、ジャングルポケットや1勝ながら種牡馬入りしたミラクルアドマイヤがGI馬を出しており、孫世代のカンパニー、トーセンジョーダンなどが種牡馬入りをしている。ひ孫世代で種牡馬入りした馬はいない。2023年現在、トニービン系種牡馬はオウケンブルースリが引退し[10]、トーセンジョーダンもプライベート種牡馬[11]となっている事から存続の危機を迎えている。
産駒の特徴および傾向として、差し、追い込みといった戦法を得意とする馬が多いことが挙げられる。突出したスピードこそ無いが、後方から確実に伸び続けるロングスパートを得意としている。ゴール前の直線が長いコースに強く、東京競馬場や2001年以降の新潟競馬場との相性は良い。特に東京競馬場では圧倒的ともいえる成績を残しており、産駒のG1勝ち星の合計13勝のうち11勝は東京競馬場であげたものである。その反面やや不器用な面があり、コーナーワークや瞬時の加速などは若干不得手で、そのため中山競馬場や福島競馬場など、小回りで直線が短いコースにおける実績はとりわけ目立ったものではない。
ダートは無難にこなす程度で、本質的には芝向き。芝であれば重馬場でもさほど力は落ちない。頑健な馬体と成長力を併せ持ち、中には古馬になってからも衰えない息の長い活躍をみせる産駒もいる。
主な産駒
GI級競走優勝馬
- 1990年産
- 1991年産
- 1993年産
- 1998年産
- 1999年産
グレード制重賞優勝馬
- 1990年産
- 1991年産
- 1992年産
- 1993年産
- 1995年産
- 1996年産
- 1997年産
- 1998年産
- 1999年産
地方競馬重賞優勝馬
- 1991年産
- 1992年産
- 1993年産
- サンアドマイヤ(青藍賞)
- ミスズトニーオー(新潟グランプリ)
- 1994年産
母の父としての主な産駒
GI級競走優勝馬
GI・JpnI・JGI競走は太字で記載
- 1996年産
- 1999年産
- 2000年産
- 2001年産
- 2002年産
- 2004年産
- 2005年産
- 2006年産
- 2007年産
- 2010年産
グレード制重賞優勝馬
- 1995年産
- 1997年産
- 2000年産
- 2001年産
- 2002年産
- 2003年産
- 2004年産
- 2005年産
- 2006年産
- 2007年産
- 2008年産
- 2009年産
- 2010年産
- 2011年産
- 2012年産
- 2013年産
- 2015年産
- フロンティア:新潟2歳ステークス(父ダイワメジャー、母グレースランド)
- 2016年産
備考
初代オーナーのルチアーノ・ガウッチ/Luciano_Gaucci(名義は夫人)はかつて中田英寿が所属したイタリアのプロサッカークラブACペルージャ(現・ペルージャ・カルチョ)の元会長としても知られている[12]。
血統表
脚注
注釈
- ^ 天皇賞(秋)のレースを何度も見返した上で「速いペースで先行しながら、最後の脚もなかなかしっかりしていた。すばらしい馬だ」とも述べている。
- ^ トニービンに騎乗したJ.リードはイギリス所属の騎手である。
出典
外部リンク
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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