キャプテントゥーレ (Captain Thule) は、日本の競走馬(父内国産馬)である。2008年の皐月賞優勝馬。馬名の由来は大叔父(祖母の弟)のスキーキャプテンと母のエアトゥーレの一部を足したもの。2009年2月までの担当調教助手は牧浦充徳(現・調教師)。
社台レースホースにおいて総額5000万円で募集された。
6月7日付で日本中央競馬会 (JRA) に競走馬登録された。7月8日に阪神競馬場で行われた2歳新馬戦で、祖母や母にも騎乗経験のある武豊が騎乗してデビュー。栗東の坂路で51.5秒など2歳離れした好時計を連発していたため単勝1.8倍の1番人気に支持されるが、8着という結果に終わった。なおこの競走には当競走の勝ち馬であり後に宝塚記念を勝ったアーネストリーに加え、後にGI2勝を挙げるトールポピーが2着、後にシンザン記念を勝ったドリームシグナルが3着と、GI・JpnI馬3頭・重賞馬4頭を輩出する競走となった。7月29日に小倉競馬場で行われた2歳未勝利戦でも1番人気に支持され、デビュー2戦目で初勝利を挙げる。その後短期放牧に出され帰厩後新潟2歳ステークスに向かう予定だったが、馬インフルエンザによる移動制限により帰厩が遅れ回避することになった。9月6日に帰厩し、9月16日に行われた野路菊ステークスに出走。単勝1番人気に支持されるが、レースでは後方から追い込み3着という結果だった。続く重賞初挑戦となったデイリー杯2歳ステークスでは、追い切りで49.8秒という2歳馬ながら栗東坂路で50秒切る強烈なタイムを出していたが周りは低評価。調教駆けするタイプとみられていたが、当時騎乗停止中だった武の代役で川田将雅が騎乗し先行策でレースを制し重賞初勝利を挙げた。次走は全日本2歳優駿にも登録を行ったが初のJpnI挑戦となる朝日杯フューチュリティステークスに出走。しかしスタートで後手を踏み逃げるゴスホークケンを捕らえることができず、さらに直線坂前でモタつき追い比べでレッツゴーキリシマを交わせず3着に敗れた。このあと全日本2歳優駿を回避しグリーンウッドへ放牧に出された。
放牧から戻った後、2008年の初戦として出走した弥生賞は4着となった。続く4月20日に行われた皐月賞ではスタート直後にハナに立つと、昼過ぎまで降っていた雨でやや緩んだ馬場を生かした鞍上・川田の好騎乗でスローペースに抑えそのままゴールまで逃げ切り初のJpnI勝利を飾った。この勝利は川田にとってもJpnI初勝利となった[2]。
次走は東京優駿の予定だったが次走に備えて栗東トレーニングセンターへ帰厩する準備をしていた所、歩様に異変が見られたため遠征滞在先の中山競馬場の診療所にて4月22日に検査を受けた。その結果、左第3手根骨の骨折が判明[3]、約1年間の休養を強いられることとなり、父アグネスタキオン同様、皐月賞勝利後の故障で東京優駿を断念することとなった。
2009年8月9日の関屋記念において、1年4ヶ月ぶりに復帰しスマイルジャックの4着に入り、久々のレースながら地力を示していた。9月12日の第60回朝日チャレンジカップに出走し、最後の直線で3歳馬ブレイクランアウトとの叩き合いを制し、皐月賞以来、1年5ヶ月ぶりの勝利を飾った。そして、11月1日の天皇賞(秋)では2番手でレースを進めるも直線で失速してしまい12着と大敗した。続く11月22日のマイルチャンピオンシップでは好スタートから道中2番手で追走したが、直線で馬場の外へよれてしまい4着に敗れた。
2010年1月24日のアメリカジョッキークラブカップに1番人気で出走。道中3番手でレースを進めたが、直線で失速し11着と大敗した。3ヶ月間隔を挟んだ4月17日のマイラーズカップでは好位集団から馬群を割って伸びてくるも3着だった。6月6日の安田記念ではリーチザクラウン・トライアンフマーチに次ぐ3番人気で出走、レースでは4番手で追走するも直線で伸びあぐねてしまいショウワモダンの7着に敗れた。秋は9月11日の朝日チャレンジカップから始動し、逃げ切りでこのレースを連覇した。10月31日の天皇賞(秋)では3番手追走も直線で失速し13着と大敗した。
2011年2月27日の中山記念ではヴィクトワールピサの2着と逃げ粘った。4月3日の大阪杯では速い流れでレースを引っ張ったがヒルノダムールの5着。金鯱賞は平均ペースで逃げ、直線で粘りを図ったがルーラーシップにかわされて2着となった。7月10日の七夕賞は1番人気に支持され、レースでは2番手に控えたが直線半ばで失速し12着に大敗。10月20日付けで現役を引退[4]。社台スタリオンステーションにて種牡馬になる事が発表された[4]。
競走馬引退後は2012年より種牡馬となり、社台スタリオンステーションで繋養される[5]。
2016年シーズンはレックススタッドで種牡馬生活を送るも[6]、同年の種付けシーズンを最後に種牡馬を引退、生まれ故郷である社台ファームで余生を送る[7]。
第1回 ロツクパーク
第2回 ウアルドマイン / 第3回 セントライト / 第4回 アルバイト / 第5回 ダイヱレク / 第6回 クリヤマト / 第7回 トキツカゼ / 第8回 ヒデヒカリ / 第9回 トサミドリ
第10回 クモノハナ / 第11回 トキノミノル / 第12回 クリノハナ / 第13回 ボストニアン / 第14回 ダイナナホウシユウ / 第15回 ケゴン / 第16回 ヘキラク / 第17回 カズヨシ / 第18回 タイセイホープ / 第19回 ウイルデイール
第20回 コダマ / 第21回 シンツバメ / 第22回 ヤマノオー / 第23回 メイズイ / 第24回 シンザン / 第25回 チトセオー / 第26回 ニホンピローエース / 第27回 リュウズキ / 第28回 マーチス / 第29回 ワイルドモア
第30回 タニノムーティエ / 第31回 ヒカルイマイ / 第32回 ランドプリンス / 第33回 ハイセイコー / 第34回 キタノカチドキ / 第35回 カブラヤオー / 第36回 トウショウボーイ / 第37回 ハードバージ / 第38回 ファンタスト / 第39回 ビンゴガルー
第40回 ハワイアンイメージ / 第41回 カツトップエース / 第42回 アズマハンター / 第43回 ミスターシービー / 第44回 シンボリルドルフ / 第45回 ミホシンザン / 第46回 ダイナコスモス / 第47回 サクラスターオー / 第48回 ヤエノムテキ / 第49回 ドクタースパート
第50回 ハクタイセイ / 第51回 トウカイテイオー / 第52回 ミホノブルボン / 第53回 ナリタタイシン / 第54回 ナリタブライアン / 第55回 ジェニュイン / 第56回 イシノサンデー / 第57回 サニーブライアン / 第58回 セイウンスカイ / 第59回 テイエムオペラオー
第60回 エアシャカール / 第61回 アグネスタキオン / 第62回 ノーリーズン / 第63回 ネオユニヴァース / 第64回 ダイワメジャー / 第65回 ディープインパクト / 第66回 メイショウサムソン / 第67回 ヴィクトリー / 第68回 キャプテントゥーレ / 第69回 アンライバルド
第70回 ヴィクトワールピサ / 第71回 オルフェーヴル / 第72回 ゴールドシップ / 第73回 ロゴタイプ / 第74回 イスラボニータ / 第75回 ドゥラメンテ / 第76回 ディーマジェスティ / 第77回 アルアイン / 第78回 エポカドーロ / 第79回 サートゥルナーリア
第80回 コントレイル / 第81回 エフフォーリア / 第82回 ジオグリフ / 第83回 ソールオリエンス / 第84回 ジャスティンミラノ
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