1679年、フランスの軍人であり、探検家でもあったダニエル・グレイソロンがこの地を探索し、当時この地における二大勢力であったスー族とオジブワ族がぶつかっていたこの地に入植地を建設した。グレイソロンの目的はこの地において毛皮の商取引を成立させることであった。グレイソロンの働きにより、オジブワ族を介してフランス人入植者とスー族とが取引を行うルートが成立した。1692年には、ハドソン湾会社が現在のダルースのフォンデュラック地区(Fond du Lac)に小さな取引所を開設した。
しかしその後100年にわたって、取引所が増設されることはなかった。1792年になってようやく、セントルイス川の対岸、ウィスコンシン州側にこの地で2番目となる取引所がノースウェスト会社のジーン・バプティスト・カドット(Jean Baptiste Cadotte)によって開設された。この取引所は1800年に焼失してしまったが、すぐにドイツ人移民のヨハン・ヤコブ・アストル(John Jacob Astor)によってミネソタ州側に新たな取引所が開設された。この取引所は当初ネイティブ・アメリカンがイギリス人とフランス人との取引を強く主張していたため難航した。しかしアストルはアメリカ合衆国議会を説得し、アメリカ合衆国領土内での外国人の取引を禁じる法律を作らせ、独占市場を作り上げることでこの事態を乗り切った。アストルのアメリカ毛皮会社は1816年から1817年にかけては更生状態に置かれた。1830年代後半ごろからは、それまで毛皮の購買層であったヨーロッパ人が毛皮の代わりに絹を身にまとうようになったため、この取引所は再び危機に瀕した。
しかし、誰もがダルースが町として成功する可能性を信じていたわけではなかった。ダルースの可能性に対しての疑いの声は、ケンタッキー州選出の下院議員、J・プロクター・ノットが1871年1月27日にアメリカ合衆国下院で行った演説、The Untold Delights of Duluth(ダルースの語られざる歓喜)で現された。この演説は、ダルースをエデンの園に見立てて、西への資本投下を批判したものであった。この演説は民間伝承集やジョーク集で再版され、この種のものとしては古典的な部類に入るものとされている。近隣のプロクター市はJ・プロクター・ノットにちなんで名付けられた。
ダルースの非公式な姉妹都市であるジョージア州ダルースの市名は、エバン・P・ハウエル(Evan P. Howell)がこの演説にちなんでつけたものであった。もとはハウエルの祖父であったエバン・ハウエル(Evan Howell)にちなんでハウエルズ・クロスロードと呼ばれていたこの町では、1871年に鉄道が開通したとき、この「ダルースの歓喜」の演説がまだ人気の高いものであった。
このような地形であるため、ちょうど日本の神戸市やブラジルのリオデジャネイロの市街地が海岸線に沿って発展しているのと同じように、ダルースの市街地は南西から北東方向へ湖岸線に沿って細長く延びている。一方、丘の斜面や上にも住宅地が広がっているため、ダルースは心臓破りの急坂が多いことで有名である。ピードモントハイツ地区(Piedmont Heights)やベイビューハイツ地区(Bayview Heights)など丘の頂上付近に形成されている住宅地は、スペリオル湖や市街地を見下ろす天然の展望台になっている。近年では、丘を越えてさらに内陸にも開発が進み、郊外型の大型スーパーマーケットやショッピングモールが進出している。これらの新興住宅地は、地元ではOver the Hill(丘の向こう)と呼ばれている。
一方、ダルースは夏の避暑地・観光地としても知られている。ダルース市内の観光の中心となっているのはダルース港とスペリオル湖をつなぐ運河沿いに整備されたキャナル・パークである。5kmにおよぶ湖畔の遊歩道からは、滔々と水を湛えるスペリオル湖や、湖上を行き交う世界各国の商船を望むことができる。運河に架かるエアリアル橋はダルースのシンボルとなっている橋である。同橋梁はダルース港に出入りする船舶の通航を妨げないよう、1905年に運搬橋として架けられたが、交通量が増加したため1930年に昇開橋に改造され、現在でも使用されている。キャナル・パーク園内、エアリアル橋の隣に建つスペリオル湖海事ビジターセンター(Lake Superior Maritime Visitor Center)は、スペリオル湖を行き交う商船に関する広範囲な展示物を展示している。同じくエアリアル橋の近くに立地するグレート・レイクス水族館(Great Lakes Aquarium)は、アメリカ合衆国内で唯一、淡水の水槽のみを有する水族館として建てられたものである。3年半の歳月と3,400万ドルの費用を投じて建設されたこの水族館は、スペリオル湖とその周辺に生息する魚類や水生生物を主に飼育している。2006年には深海魚の飼育を始め、同水族館初となる海水の水槽がつくられた。1899年に建てられたダルース・ミッサビ・アンド・アイアン・レンジ鉄道の旧駅、エンディオン・ディーポ(Endion Depot)は、州間高速道路I-35の建設に伴って1985年にキャナル・パークに移設された。ロマネスク調のこの駅舎は1975年に国の史跡に指定されており、現在は旅行会社の社屋として使われている。突端に灯台の建つ埠頭、ライトハウス・ピアも園内の名所のひとつである。キャナル・パークの周辺には、1980年代に倉庫を改造してできたレストランやバー、各種ショップが建ち並んでいる。
ダルース港にはウィリアム・A・アービン号(William A. Irvin)が係留されている。1938年に世界恐慌後初の大型船舶としてオハイオ州ロレインの造船会社で造られたこの船はUSスチール所有で、ダルースから下流のミシガン湖岸やエリー湖岸にあった同社の製鉄所へ鉄鉱石を運んでいた。同船は1978年に現役を引退し、1986年にはダルース港に浮かぶ博物館として一般に公開された。1989年には、同船は国の史跡に指定された。
港より西側、ダウンタウンのミシガン通りにはダルースの旧中央駅であるダルース・ディーポが建っている。1892年に建てられたこのフレンチ・ノーマン調の駅舎は、ダルースを代表する歴史的建造物のひとつである。同駅舎は1971年に国の史跡に指定され、改装後1973年にセントルイス郡伝承文化芸術センター・旧ユニオン駅(St. Louis County Heritage and Arts Center's Historic Union Depot)として再生された。現在、ダルース・ディーポには4つの博物館・美術館と1つの劇場があり、3つの演技芸術団体が本部オフィスを置いている。また、夏季限定で列車を走らせ、観光ツアーを組んでいるノース・ショア観光鉄道の各列車はこのダルース・ディーポから出発する。なお、ダルース・ディーポ内で開館している博物館・美術館、およびダルース・ディーポに本部オフィスを置く演技芸術団体については、後の芸術の節で詳しく述べる。
ダルース市内の路線バスはダルース交通局(Duluth Transit Authority)によって運営されている。同交通局はダルース市内のみならず、ダルース・スペリオル間、またスペリオル市内にもバスの路線を有している。同交通局が運行している路線数は17系統にのぼる。夏季の観光シーズン中、6月初めから8月末(または9月初め)までは、同交通局によってダウンタウン、ウォーターフロント、キャナル・パークを結んで周回するトロリーバス、ポート・トウン・トロリー(Port Town Trolley)が運行される。
成熟した都市であるダルースは文化・芸術面でも充実している。ダルースの芸術の中心となっているのはダウンタウンに位置し、4つの博物館・美術館と1つの劇場を抱え、3つの演技芸術団体が本部オフィスを置くダルース・ディーポである。ダルース芸術院(Duluth Art Institute)は美術館のほか美術学校を有し、さらに地元美術家への各種サービスも行っている。ダルース子供博物館(Duluth Children's Museum)は子供たちが身近なものから世界の人々、文化に関するものまであらゆるものを知ることができる展示物を定期的に更新されるテーマに沿って展示している。セントルイス郡歴史協会(St. Louis County Historical Society)はディーポ内に本部を置いているのみならず、歴史博物館も有している。このほか、ディーポ内にはスペリオル湖鉄道博物館(Lake Superior Railroad Museum)もある。
ディーポ内にある劇場、ダルース劇場(Duluth Playhouse)では演劇やミュージカルの公演が行われる。同劇場ではブロードウェイのミュージカルが演じられることもある。ダルースとスペリオルが共有するオーケストラ、ダルース・スペリオル・シンフォニー・オーケストラ(Duluth Superior Symphony Orchestra)はディーポ内に本部オフィスを構えている。同じくディーポに本部を置くアローヘッド・コラール(Arrowhead Chorale)はミネソタ州北部とウィスコンシン州北部の声楽家を集めた合唱団である。また、ダルース発祥のプロバレエ団、ミネソタ・バレエ(Minnesota Ballet)もディーポに本部を置いている。
また、ミネソタ大学ダルース校もいくつかの文化・芸術施設を有している。トゥウィード美術館(Tweed Museum of Art)はアメリカ合衆国の風景画のコレクションで知られている。このほか、キャンパス内の文化・芸術施設としては、マーシャル・W・アルワース・プラネタリウム(Marshall W. Alworth Planetarium)、ウェバー音楽ホール(Weber Music Hall)、マーシャル演技芸術センター(Marshall Performing Arts Center)が挙げられる。
ミネソタ大学ダルース校のアイスホッケーの試合は、寒い冬のダルースで最も盛り上がるスポーツイベントのひとつである。試合は地元テレビ局で放送され、何千人もの観客がホームの試合の行われるダルース・エンターテイメント・コンベンション・センター(Duluth Entertainment Convention Center、DECC)に応援に駆けつける。同校はNHL屈指のスター選手となったブレット・ハルをはじめ、何人かの卒業生(および中退者)をNHLに送り込んでいる。また女子のチームは強豪のひとつに数えられており、2001年から2003年までは3年連続で全米優勝に輝いた。ダルースでの開催となった2003年の決勝ではハーバード大学と対戦し、2度の延長の末に勝利した。なお、同校のスポーツチームは、男女アイスホッケー部のみがディビジョンI(日本の体育会の第一部に相当)に属し、その他のスポーツはディビジョンII(第二部)で戦っている。