シドニー・アーウィン・ポラック(英語: Sydney Irwin Pollack, 1934年7月1日 - 2008年5月26日)は、アメリカ合衆国の映画監督・俳優・映画プロデューサー。
生涯
インディアナ州ラファイエットでウクライナから移民したユダヤ系の家庭に生まれる[1]。
俳優としてニューヨークのネイバーフッド・プレイハウスで学び、俳優として活躍し、1955年2月にはクリストファー・フライ(英語版)(Christopher Fry)作《闇も明るく(英語版)》(The Dark Is Light Enough)の米初演でブロードウェイ・デビュー。終演後、テレビ界に移り、シリーズものにエピソード出演。しかし、1958年より約2年間兵役に就いた。
1959年にはテレビ出演を再開したが、1960年には友人のジョン・フランケンハイマーの依頼で、彼の監督作『明日なき十代』(The Young Savages)に出演する少年たちの台詞指導を担当。1961年よりテレビ・シリーズのをエピソード監督するようになる。
1965年、映画も監督するようになり、『ひとりぼっちの青春』、『追憶』、『トッツィー』で高い評価を得て、アカデミー賞にもノミネートされた。そして1985年の『愛と哀しみの果て』でアカデミー作品賞とアカデミー監督賞を受賞[注 1]。
アメリカ映画界に於いて永年に亘り俳優・監督・プロデューサーとして活躍した映画人。
2008年5月26日、癌によりロサンゼルス市内の自宅にてその生涯を終えた。73歳没。
死後、プロデューサーとして関わった『愛を読むひと』で第81回アカデミー賞にてアカデミー作品賞にノミネートされた(共同でノミネートされたアンソニー・ミンゲラもこの授賞式の時にはすでに亡くなっており、故人二人でノミネートされる形となった)。
主な作品
長編映画監督作
製作
自作を除く
主な出演作品
脚注
- 注釈
- 出典
外部リンク
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