アルフレド・デスパイネ
アルフレド・デスパイネ・ロドリゲス(Alfredo Despaigne Rodriguez、1986年6月17日 - )は、キューバ・サンティアゴ・デ・クーバ州出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。
経歴
キューバ国外移籍解禁前
キューバの名門体育大学マニュエル・ファハルド国立体育大学卒業。
2004年に台湾で開かれた第21回AAA世界野球選手権大会のキューバ代表に選出された。この大会では、4番打者だった。決勝の日本戦で勝利し優勝した。その年に国内リーグデビューし、新人王の次点に輝く。
2007年11月に、台湾で行われた第37回IBAFワールドカップのキューバ代表に選出された。
2008年8月に、2008年北京オリンピックの野球競技のキューバ代表に選出された。準決勝戦のアメリカ合衆国戦では、スティーブン・ストラスバーグから本塁打を記録した。最終的に、9試合で3本塁打12打点を記録した。
2008 - 2009シーズンでは、国内リーグでのシーズン本塁打記録(前年アレクセイ・ベルが記録した31本)を上回る32本塁打を打った。2009年3月に開催された第2回WBCのキューバ代表に選出された[1]。2月には長女が誕生した[2]。
2009 - 2010シーズンは、初の首位打者(.404)と本塁打王(31本)の二冠、打点もリーグ2位を記録した。7月には、東京で開催された第5回世界大学野球選手権大会のキューバ代表に選出された。決勝戦のアメリカ戦では、2本塁打4打点を記録した。この大会では、MVPを獲得。10月に開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップのキューバ代表にも選出された。またこの大会においてアレックス・ラミレスからZETTのグローブとバットをもらって「なんてすばらしいバットなんだ」と大喜びしている[3]。
2010 - 2011シーズンは、途中の公用や足の故障の影響もあり前年を下回る数字で無冠に終わった。
2011 - 2012シーズンは、36本塁打(前年の国内リーグシーズン本塁打記録33本を更新)・105打点とともに自己最高を記録して本塁打王と打点王の二冠に輝き、革命後の国内リーグではウィルフレッド・サンチェスとオマール・リナレスに並ぶ最多タイとなる3度目のMVPを獲得した。11月6日に、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」のキューバ代表が発表され[4]代表入りした[5]。同日、台湾で行われたサンダーシリーズのため来台した[6]。サンダーシリーズ終了後の、14日に来日した[7]。
2013年3月に開催された第3回WBCのキューバ代表に選出された[8]。この大会では福岡ラウンドでMVPを受賞し、大会最多タイの3本塁打と2位タイの9打点を記録した。
メキシカンリーグ時代
2013年6月22日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのカンペチェ・パイレーツに期間限定で移籍することがキューバ野球連盟から承認される。33試合の出場で打率.338、8本塁打、24打点、OPS.928の成績を残した。
2013 - 2014シーズンは途中からキューバ国内リーグのアビスパス・デ・サンティアーゴ・デ・クーバに所属した。
2014年もパイレーツで開幕からプレーし20試合で打率.346、5本塁打、15打点、OPS1.010の成績を残していたが、5月15日に、ドミニカ共和国の偽造パスポートで選手登録されていたことが発覚し、パイレーツから解雇され帰国した。デスパイネはこの問題について帰国後のインタビューで「何も知らなかったし、いまだに何が起こっているのか、本当のことがわからない」と述べている[9]。
ロッテ時代
2014年7月15日に日本プロ野球、千葉ロッテマリーンズと契約することが発表され[10]、7月24日に入団会見を行った[11]。背番号は49[11]。
7月29日の対北海道日本ハムファイターズ戦(QVCマリンフィールド)で一軍公式戦初出場。初打席で三塁打を打つ[12]。8月1日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)では来日初本塁打を記録する[13]。8月20日の対オリックス戦で右脇腹を痛め、翌21日、習志野市内の病院で検査を受け、「右腰背筋挫傷」で全治2週間の見込みと診断され、一軍出場選手登録を抹消されたが[14]、10日の抹消期間で復帰し、一軍出場選手登録された8月31日の対日本ハム戦において、先制点となる6号ソロ本塁打を打つ[15]。シーズン途中の入団で僅か45試合の出場ながら12本塁打を記録した。キューバへの帰国後、母国では「最強スラッガーの帰還」とデスパイネのキューバへの凱旋は大きく報道された[16]。シーズンオフの12月8日に、2年契約の年俸総額5億円プラス出来高(金額は推定)で[17]翌シーズン以降の契約に合意したことが発表された[18]。
2015年1月16日に背番号を54に変更することが発表される[19]。2月8日、2015年カリビアンシリーズにおいて、所属するベゲーロス・デ・ピナール・デル・リオが初優勝を果たす。キューバ代表としては55年ぶりの優勝となった[20]。チームメイトには、フレデリク・セペダやユリエスキ・グリエルの他に、後にソフトバンクでチームメイトとなるリバン・モイネロやロッテに入団したロエル・サントスがいた。
キューバ国内リーグ出場で来日が遅れていたが4月11日に来日し[21]、4月15日に一軍出場選手登録される[22]。4月20日には第54回キューバリーグ(2014 - 2015シーズン)において、自身2度目のシーズンMVPを獲得。また指名打者でベストナインに選出された[23]。7試合で打率.192と低迷していたが、4月25日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦においてチームの連敗をストップする3点本塁打を打つ[24]。5月27日のセ・パ交流戦、対広島東洋カープ戦では8号ソロ本塁打を記録するが[25]、4回表の走塁中に膝を痛め7回裏の守備から途中交代する[26]。翌28日に広島市内の病院で検査を受け、「右膝内側側副靱帯損傷」と診断され離脱を余儀なくされる[27]。6月20日、約1か月ぶりに一軍に復帰し[28]、6月23日の対日本ハム戦では、9号となるソロ本塁打を打ち回復をみせる[29]。7月にはパンアメリカン競技大会にキューバ代表で出場。7月8日、同大会に参加する為に離日した[30]。7月22日に再来日[31]。7月25日の対楽天戦でチームに復帰し、先制点となるレフト前適時打を打つ[32]。昨シーズンから自身が本塁打を打った試合はチームが勝利し、その記録を16連勝に伸ばしていたが、9月4日の対埼玉西武ライオンズ戦の16号本塁打でその記録は途絶えた[33]。リーグ3位を争う9月28日の対西武戦では、初回の適時打に続き、3回には18号2点本塁打を打つ活躍で、クライマックスシリーズ進出に貢献する[34]。NPBレギュラーシーズンでは前半戦は打率.263、OPS.883と好調だったが、パンアメリカン競技大会から復帰後の後半戦は打率.253、OPS.759と調子を落とした。日本ハムとのクライマックスシリーズファーストステージでは、1勝1敗で迎えた10月12日の第3戦において、7回表同点の場面で決勝打となる本塁打を打ちファイナルステージ進出を決める[35]。
11月にはWBSCプレミア12にキューバ代表として出場した。
2016年もカリビアンシリーズに出場したが、2月27日には来日し[36]、初めてオープン戦に参加する[37]。3月25日の日本ハムとの開幕戦で適時打を挙げると[38]、3月、4月は打率.285、5本塁打と好スタートをきる。5月の月間打率は.247と低迷するが、6月12日のセ・パ交流戦、対東京ヤクルトスワローズ戦で11号3点本塁打を含む4打点を挙げるなど[39]、6月は月間打率.365、4本塁打、16打点を記録。7月は再び月間打率.238、1本塁打と低迷するが、8月21日の対西武戦において、来日3年目で20号本塁打の大台に乗せ[40]、8月30日の対オリックス戦で24号ソロ本塁打を打つなど[41]、8月の月間打率は.298、9本塁打を記録する。しかし、9月11日に以前から左手首に痛みを抱えていた箇所が悪化し、出場選手登録を抹消される[42]。前年を上回る134試合に出場し24本塁打を記録したが、ロッテとの契約は満了。残留交渉を続けていたロッテが突如来期契約を結ばないことを12月20日に発表し[43]、12月21日に自由契約公示された[44]。
2017年1月29日、カリビアンシリーズの出場メンバーに選出される[45]。2月7日には、3月に開催された第4回WBCのキューバ代表に選出された[46]。
ソフトバンク時代
2月11日、福岡ソフトバンクホークスと契約したことが発表された。年俸は3年総額12億円(金額は推定)で、背番号はロッテ時代と同じ54[47]。第4回WBCでは、3月10日の1次ラウンドのオーストラリア戦で、1点を追う5回裏二死満塁の場面で逆転満塁本塁打を打ち、2次ラウンド進出を決める[48]。3月14日の2次ラウンドの日本戦では、3安打を打つも同年からチームメイトとなる内川聖一の犠牲フライが決勝打となり、5対8で敗れる[49]。キューバ代表が進出した第4回WBC、2次ラウンドB組は日本で開催されたが、一旦帰国の途に就き、3月24日に再来日[50]。翌25日に入団会見を行った[51]。
WBC出場の影響も無く、3月31日の古巣ロッテとの開幕戦に「5番・指名打者」で先発出場[52]。4月8日の対西武戦では、来日4年目にして初盗塁を記録する[53]。3月、4月は打率.250だったが、5月27日の対日本ハム戦での4試合連続本塁打を記録するなど[54]、5月の月間打率は.312、月間10本塁打まで上昇。6月2日のセ・パ交流戦、対横浜DeNAベイスターズ戦で2打点を挙げ、本塁打はブランドン・レアードと並び、打点は浅村栄斗と並ぶリーグトップタイに躍り出る[55]。6月11日のセ・パ交流戦、対阪神タイガース戦において、初回に先制打となるライト前適時打を打つが[56]、3回裏の走塁中に右太もも裏を痛め、5回の打席から途中交代する[57]。同日に福岡市内の病院で検査を受け、「右太もも裏の肉離れ」と診断され離脱を余儀なくされる[58]。6月23日の対西武戦で代打で復帰し[59]、7月1日の対楽天戦で自己最速の20号を満塁本塁打で記録する[60]。7月14日、15日に行われたマイナビオールスターゲーム2017において、選手間投票で選出される[61]。7月15日にロッテのホームグラウンド、ZOZOマリンスタジアムで行われた第2戦では、ロッテ時代の応援歌が歌われる中で本塁打を打った。この活躍により第2戦のオールスターゲームMVPを獲得する[62]。オールスターゲーム後の8月は、8月13日の日本プロ野球自己最多を更新する25号ソロ本塁打[63]を含む月間7本塁打を、9月、10月は9月3日の楽天との首位攻防戦において、0-0で迎えた9回裏二死一塁の場面で、則本昂大からサヨナラ適時打を打ち、その活躍で最も印象深いサヨナラ打を打った打者を表彰する9・10月度の「スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞」を受賞する[64]。また9月18日の対西武戦での直近5試合で4本目、100打点の大台に乗る34号本塁打など[65]、6本塁打、21打点を上積みし、本塁打ではレアードの32本を上回る35本塁打で最多本塁打のタイトルに、打点では柳田悠岐、浅村の99打点を凌ぐ103打点で最多打点のタイトルの2冠に輝き、チームの2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。楽天とのクライマックスシリーズファイナルステージでは、10月20日の第3戦では、初回に先制点となるライト前への適時打[66]、10月21日の第4戦では、1点リードの3回裏に3年連続となるクライマックスシリーズでの本塁打を打つなど活躍し[67]、日本シリーズに進出する。横浜との日本シリーズでは、10月28日の第1戦、10月29日の第2戦において、ともに1回裏に先頭打者としてヒットで出塁した柳田悠岐を2戦連続適時打で返す活躍をみせ[68]、チームの2年ぶりの日本一奪還に貢献した。シーズンオフには、指名打者部門において初めて日本プロ野球のベストナインを受賞する[69]。
また母国キューバにおいても、ソフトバンクでの日本一に貢献とキューバ国内リーグでアラサネス・デ・グランマの一員としてリーグ制覇を達成、第4回WBCでの貢献などを評価され、2017年のキューバ最優秀選手に選出される[70]。
2018年はシーズン途中に自身と同じキューバ出身のジュリスベル・グラシアル、アリエル・ミランダが加入。また故障[71]の影響でシーズン中は鳴りを潜めたものの、対日ハム戦のクライマックスシリーズで計3本塁打[72]打ちファイナルステージ進出に貢献した。
2019年、9月4日の楽天戦で来日通算150号本塁打となった。同年は故障者が続出する中、4番DHの座を守り続け、最終的に自己最高の36本塁打を打った。指名打者部門でのベストナインも2年ぶりに受賞した。オフの12月2日に自由契約公示された。
2020年1月23日、球団と新たに2年契約を結んだ[73]。東京オリンピック・野球競技のアメリカ大陸予選のキューバ代表に選ばれたため、開幕前の来日は不可能な状況だった[74]が、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行のため、この予選は延期となった。しかし新型コロナの影響によってキューバから出国できない状態となり、結局6月19日のシーズン開幕には間に合わなかった[75]。7月19日に来日し、隔離と調整[76]を経て8月21日に一軍昇格、即スタメン(5番・指名打者)でシーズン初出場を果たした。8月26日に左膝痛のため一旦登録抹消された[77]が、9月8日に一軍に再昇格した。9月9日(楽天戦・楽天生命パーク)には、シーズン第1号を含む2本の本塁打(2回右翼ソロ・5回右翼3ラン)を涌井秀章から打ち、勝利に貢献した[78]。10月1日に右脛骨骨挫傷で再度一軍登録を抹消された[79]が、11月4日に一軍再昇格すると同日の試合(対ロッテ・ZOZOマリンスタジアム)で、陳偉殷から6号ソロ本塁打を含む2打数2安打2四球とチームの勝利に貢献した[80]。巨人との日本シリーズ第2戦では、鍵谷陽平から球団初となるシリーズでの満塁本塁打を含むシリーズ最多タイの1試合6打点の活躍[81]で、チームの4連覇に貢献した。
2021年は、開幕以来27試合で打率.220,1本塁打、6打点と不振で、5月3日に1軍登録を抹消され
[82]、そのまま同24日に東京オリンピック予選出場の為に離日した[83]。6月9日に再来日し[84]、規定の待期期間を経て8月1日に1軍に合流した[85]。8月21日の対千葉ロッテ戦では、開幕カード以来の本塁打を記録する[86]。シーズン後半には復調し、一時は1割台だった打率も9月30日には.271まで回復した[87]。レギュラーシーズンは、東京オリンピック予選出場による離脱や故障によって80試合に出場、打率.264、10本塁打、41打点にとどまった[88]。オフに、推定年俸2億7000万円で残留することが発表された[88]。
2022年は、キューバリーグで痛めた右足首の療養の為に開幕には間に合わず[89]、1軍登録は5月17日と遅れる[90]。6月3日のセ・パ交流戦・対中日ドラゴンズ戦では、シーズン初本塁打を記録する[91]。しかし6月28日、新型コロナウィルスの陽性判定を受け、規定により1軍登録を抹消される[92]。1軍復帰は7月13日となり[93]、翌14日の対オリックス戦では2ラン本塁打を記録[94]。度重なる離脱がありながらも、89試合に出場し、打率.269、14本塁打、40打点の成績でレギュラーシーズンを終えた[95]。オフの12月2日に自由契約公示された[96]。
2023年は、3月に開催された第5回WBCのキューバ代表に選出された。NPBの開幕時点ではソフトバンクとの再契約はなされず、約10年ぶりにキューバ国内リーグでプレーしていたが、6月13日にソフトバンクが再獲得を発表した。背番号は25[97]。二軍での調整後、7月4日に出場選手登録されると、同6日の日本ハム戦(PayPayドーム)で復帰後初出場し、6回裏に復帰後初安打を放った。その後、同8、9日の楽天戦(楽天モバイルパーク宮城)で1安打ずつを放ったが、安打はこの3本のみで、この後9月20日まで34打席連続無安打となり、同日の試合で1塁に駆け込んだ際脚を痛め翌日登録抹消、その後一軍での出場はなかった。12月1日、退団することが発表された[98]。
選手としての特徴・人物
- キューバ国内リーグにおけるシーズン最多本塁打を記録したパワーヒッター[99]。また、日本時代の2017年には得点圏打率リーグトップを記録するなど勝負強く[100]、さらに状況に応じた打撃ができる器用さも兼ね備えている[101]。
- 反面、MLB経験はおろかアメリカ球界経験そのものが無い。そのようなキャリアでありながらNPBの本塁打王・打点王の二冠王に輝いた異例の経歴の持ち主。比較的年代の近い選手で似たような例としてはメジャー昇格を果たせなかったタイロン・ウッズが存在する。
- 元チームメイトの同じスペイン語圏であるメキシコ出身のルイス・クルーズ、ドミニカ共和国出身のカルロス・ロサと仲が良く、千葉県の焼き肉店に行くことがあった[102]。
- 愛称は「デスパ」「親方」[103][104]。
- 以前からキューバ代表などではチームメイトだったが、2017年からソフトバンクでもチームメイトとなった母国の後輩のリバン・モイネロをグラウンド内外で支え、食事に連れて行ったり、自宅に招いて料理を振る舞ったりと面倒をみている。モイネロは、「デスパイネのおかげもあって、楽しめているよ。日本で4年目と経験もあって、何でも教えてくれる。打者目線でも色々と教えてくれる存在」とコメントしている[105]。
- 日本時代からヒーローインタビューの際に「デスパ、いいね~」の決め台詞が定番となり、ファンを楽しませている[106]。
- 福岡のラテンバンド「ピントコン ピントゥーラ」が2017年5月にデスパイネに楽曲を提供し登場曲として使用している[107]。
- キューバ時代から長らくつける背番号54に強い愛着を持っている[108]。ロッテ時代に当初の49から54に変更した際は「今回もつけることができて非常に嬉しい。マリーンズでは偉大な投手(黒木知宏)が背にしていた番号。とても光栄だ」と語っている[108]。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2004-2005
|
GRA
|
86 |
349 |
333 |
59 |
103 |
17 |
6 |
11 |
165 |
42 |
5 |
3 |
3 |
1 |
13 |
0 |
3 |
63 |
6 |
.309 |
.340 |
.495 |
.835
|
2005-2006
|
86 |
381 |
344 |
66 |
112 |
22 |
3 |
15 |
185 |
72 |
3 |
5 |
0 |
5 |
25 |
6 |
7 |
35 |
2 |
.326 |
.378 |
.538 |
.916
|
2006-2007
|
89 |
389 |
336 |
60 |
108 |
20 |
3 |
16 |
182 |
66 |
7 |
5 |
1 |
1 |
44 |
12 |
7 |
26 |
6 |
.321 |
.410 |
.542 |
.951
|
2007-2008
|
88 |
389 |
321 |
75 |
117 |
33 |
4 |
24 |
230 |
78 |
14 |
6 |
0 |
0 |
53 |
19 |
15 |
46 |
4 |
.364 |
.476 |
.717 |
1.192
|
2008-2009
|
90 |
405 |
328 |
73 |
123 |
25 |
2 |
32 |
248 |
97 |
16 |
6 |
0 |
5 |
61 |
15 |
11 |
45 |
8 |
.375 |
.481 |
.756 |
1.238
|
2009-2010
|
87 |
376 |
317 |
79 |
128 |
37 |
0 |
31 |
258 |
97 |
7 |
3 |
0 |
3 |
40 |
11 |
16 |
34 |
8 |
.404 |
.489 |
.814 |
1.303
|
2010-2011
|
67 |
303 |
261 |
56 |
93 |
7 |
0 |
27 |
181 |
74 |
1 |
2 |
0 |
2 |
33 |
6 |
7 |
42 |
10 |
.356 |
.439 |
.693 |
1.132
|
2011-2012
|
87 |
447 |
344 |
87 |
112 |
19 |
0 |
36 |
239 |
105 |
4 |
2 |
0 |
1 |
91 |
27 |
11 |
47 |
15 |
.326 |
.479 |
.695 |
1.174
|
2012-2013
|
GRA/PRI
|
79 |
342 |
262 |
52 |
100 |
19 |
0 |
17 |
170 |
50 |
2 |
1 |
0 |
1 |
71 |
26 |
8 |
44 |
8 |
.382 |
.523 |
.649 |
1.172
|
2013-2014
|
GRA/SCU
|
59 |
253 |
190 |
35 |
59 |
8 |
1 |
12 |
105 |
41 |
0 |
1 |
0 |
2 |
55 |
24 |
6 |
26 |
5 |
.311 |
.474 |
.553 |
1.027
|
2014
|
ロッテ
|
45 |
182 |
161 |
26 |
50 |
13 |
1 |
12 |
101 |
33 |
0 |
0 |
0 |
3 |
16 |
1 |
2 |
36 |
6 |
.311 |
.374 |
.627 |
1.001
|
2015
|
103 |
409 |
353 |
49 |
91 |
18 |
0 |
18 |
163 |
62 |
0 |
1 |
0 |
3 |
49 |
2 |
4 |
89 |
9 |
.258 |
.352 |
.462 |
.814
|
2016
|
134 |
570 |
496 |
81 |
139 |
27 |
0 |
24 |
238 |
92 |
0 |
3 |
0 |
7 |
64 |
3 |
3 |
89 |
25 |
.280 |
.361 |
.480 |
.841
|
2017
|
ソフトバンク
|
136 |
545 |
478 |
66 |
125 |
15 |
0 |
35 |
245 |
103 |
3 |
1 |
0 |
3 |
59 |
2 |
5 |
119 |
14 |
.262 |
.347 |
.513 |
.859
|
2018
|
116 |
469 |
407 |
62 |
97 |
15 |
1 |
29 |
201 |
74 |
0 |
0 |
0 |
3 |
55 |
4 |
4 |
93 |
13 |
.238 |
.333 |
.494 |
.826
|
2019
|
130 |
519 |
448 |
61 |
116 |
9 |
0 |
36 |
233 |
88 |
0 |
1 |
0 |
3 |
63 |
1 |
5 |
119 |
6 |
.259 |
.355 |
.520 |
.875
|
2020
|
25 |
97 |
85 |
9 |
19 |
1 |
0 |
6 |
38 |
12 |
0 |
0 |
0 |
0 |
12 |
1 |
0 |
11 |
5 |
.224 |
.320 |
.447 |
.767
|
2021
|
80 |
308 |
261 |
27 |
69 |
13 |
1 |
10 |
114 |
41 |
0 |
1 |
0 |
0 |
44 |
2 |
2 |
64 |
12 |
.264 |
.373 |
.437 |
.810
|
2022
|
89 |
331 |
297 |
29 |
80 |
10 |
0 |
14 |
132 |
40 |
0 |
0 |
0 |
2 |
28 |
1 |
4 |
80 |
5 |
.269 |
.338 |
.444 |
.783
|
2023
|
20 |
49 |
42 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
7 |
0 |
0 |
13 |
2 |
.071 |
.204 |
.071 |
.276
|
CNS:10年
|
815 |
3624 |
3023 |
641 |
1052 |
207 |
18 |
220 |
1955 |
721 |
58 |
34 |
4 |
21 |
485 |
146 |
91 |
406 |
72 |
.348 |
.450 |
.647 |
1.096
|
NPB:10年
|
878 |
3479 |
3028 |
410 |
789 |
121 |
3 |
184 |
1468 |
545 |
3 |
7 |
0 |
25 |
397 |
17 |
29 |
713 |
97 |
.261 |
.349 |
.485 |
.834
|
- 2023年度シーズン終了時
- 各年度の太字はそのシーズンにおけるリーグ最高、赤太字はキューバ国内リーグにおける歴代最高。
- キューバで通常用いられる個人通算成績はプレーオフや選抜リーグなども合算するため、この表の合計とは一致しない
- 2012 - 2013シーズンと2013 - 2014シーズンは所属チームが第一ラウンドで敗退したため、後半戦の第二ラウンドは別チームでプレー
オリンピックでの打撃成績
年
度 |
代
表 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率
|
2008
|
キューバ
|
9 |
-- |
34 |
5 |
13 |
2 |
1 |
3 |
26 |
12 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
10 |
1 |
.382 |
.400 |
.765
|
WBCでの打撃成績
年
度 |
代
表 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率
|
2009
|
キューバ
|
5 |
19 |
17 |
1 |
4 |
0 |
0 |
1 |
7 |
2 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
4 |
0 |
.235 |
.316 |
.412
|
2013
|
6 |
23 |
18 |
5 |
7 |
1 |
0 |
3 |
17 |
8 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
2 |
1 |
0 |
.389 |
.522 |
.944
|
2017
|
6 |
24 |
19 |
6 |
9 |
0 |
0 |
3 |
18 |
6 |
1 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
1 |
3 |
0 |
.474 |
.583 |
.947
|
2023
|
5 |
23 |
21 |
2 |
7 |
3 |
0 |
0 |
10 |
5 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
0 |
3 |
1 |
.333 |
.348 |
.476
|
WBSCプレミア12での打撃成績
年
度 |
代
表 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率
|
2015
|
キューバ
|
6 |
25 |
23 |
3 |
6 |
0 |
0 |
1 |
9 |
4 |
0 |
0 |
0 |
1 |
2 |
0 |
0 |
7 |
0 |
.261 |
.308 |
.391
|
2019
|
3 |
12 |
12 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
.167 |
.167 |
.167
|
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
外野
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2014
|
ロッテ
|
19 |
29 |
1 |
3 |
0 |
.909
|
2015
|
8 |
13 |
0 |
0 |
0 |
1.000
|
2016
|
8 |
12 |
0 |
0 |
0 |
1.000
|
2017
|
ソフトバンク
|
3 |
2 |
0 |
0 |
0 |
1.000
|
2018
|
4 |
3 |
0 |
0 |
0 |
1.000
|
2019
|
10 |
12 |
0 |
0 |
0 |
1.000
|
2020
|
4 |
2 |
0 |
0 |
0 |
1.000
|
通算
|
56 |
73 |
1 |
3 |
0 |
.961
|
タイトル
- NPB
表彰
- NPB
- キューバ代表
記録
NPB
- 初記録
- 節目の記録
- その他の記録
背番号
- NPB
- 49(2014年7月22日 - 同年終了)
- 54(2015年 - 2022年)
- 25(2023年6月26日 - 同年終了)
登場曲
- 「El Mio Tu Si Suenas」Los Desiguales(2014年 - 2016年)
- 「Mas Fashion」Los Desiguales(2015年 - 2016年)
- 「Vacaciones」Wisin(2017年)
- 「La Gozadera (feat. Marc Anthony)」Gente De Zona(2017年)
- 「SHaKy SHaKy」Daddy Yankee(2017年)
- 「デスパイネ!」Pinto con Pintura(2017年)
- 「Hula Hoop」Daddy Yankee(2017年、2019年 - )
- 「Pa' La Camara」Chacal(2018年)
- 「Dura」Daddy Yankee(2018年 - )
- 「METELE CON TO」※デスパイネオリジナル曲(2018年 - )
- 「Rompe」Daddy Yankee(2020年)
[111]
代表歴
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
業績 |
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1950年代 |
- 1951 川上哲治, 野口明, 林義一
- 1952 飯島滋弥
- 1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男
- 1954 中西太, 山内和弘
- 1955 山内和弘, 西沢道夫
- 1956 森下正夫, 吉田義男
- 1957 大下弘, 宮本敏雄
- 1958 宮本敏雄, 中西太
- 1959 山内和弘, 中利夫
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---|
1960年代 |
- 1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲
- 1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎
- 1962 ブルーム, 張本勲
- 1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅
- 1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ
- 1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一
- 1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識
- 1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男
- 1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司
- 1969 土井正博, 船田和英
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1970年代 |
- 1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎
- 1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司
- 1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩
- 1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之
- 1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲
- 1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博
- 1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司
- 1977 若松勉, 野村克也, 王貞治
- 1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之
- 1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二
|
---|
1980年代 |
- 1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊
- 1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博
- 1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之
- 1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満
- 1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓
- 1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美
- 1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章
- 1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博
- 1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三
- 1989 村田兆治, 彦野利勝
|
---|
1990年代 |
- 1990 R.ブライアント, 清原和博
- 1991 古田敦也, 広沢克己
- 1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広
- 1993 清原和博, T.オマリー
- 1994 秋山幸二, G.ブラッグス
- 1995 落合博満, 松井秀喜
- 1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲
- 1997 松井稼頭央, 清原和博
- 1998 川上憲伸, 松井秀喜
- 1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志
|
---|
2000年代 |
- 2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博
- 2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋
- 2002 G.アリアス, 的山哲也
- 2003 高橋由伸, 金本知憲
- 2004 松坂大輔, SHINJO
- 2005 金城龍彦, 前田智徳
- 2006 青木宣親, 藤本敦士
- 2007 A.ラミレス, 阿部慎之助
- 2008 山﨑武司, 荒木雅博
- 2009 青木宣親, 松中信彦
|
---|
2010年代 |
- 2010 阿部慎之助, 片岡易之
- 2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀
- 2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼
- 2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一
- 2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐
- 2015 藤浪晋太郎, 會澤翼
- 2016 筒香嘉智, 大谷翔平
- 2017 内川聖一, A.デスパイネ
- 2018 森友哉, 源田壮亮
- 2019 森友哉, 近本光司
|
---|
2020年代 | |
---|
|
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
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1980年代 |
- 1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰
- 1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正
- 1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義
- 1983 田淵幸一, テリー, 中畑清
- 1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊
- 1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二
- 1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実
- 1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己
- 1988 清原和博, 森山良二, 郭源治
- 1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸
|
---|
1990年代 |
- 1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤
- 1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎
- 1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也
- 1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也
- 1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦
- 1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾
- 1996 大島公一, 鈴木平, イチロー
- 1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛
- 1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広
- 1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司
|
---|
2000年代 |
- 2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成
- 2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満
- 2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之
- 2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎
- 2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信
- 2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁
- 2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲
- 2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博
- 2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広
- 2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一
|
---|
2010年代 |
- 2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平
- 2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩
- 2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー
- 2013 田中将大, 銀次, 内海哲也
- 2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太
- 2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太
- 2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔
- 2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大
- 2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃
- 2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩
|
---|
2020年代 |
- 2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐
- 2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎
- 2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆
- 2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸
- 2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ
|
---|
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1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
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2020年代 | |
---|
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野球キューバ代表 |
---|
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