長野久義
長野 久義 (ちょうの ひさよし、1984年 12月6日 - )は、佐賀県 三養基郡 基山町 出身のプロ野球選手 (外野手 )。右投右打。読売ジャイアンツ 所属。
妻はテレビ朝日 アナウンサー の下平さやか [ 2] 。
経歴
プロ入り前
佐賀県基山町立基山小学校1年生の時に地元の少年軟式野球チーム「基山バッファローズ」に入部。6年生時に主将 を務める。基山町立基山中学校 時代は九州硬式少年野球協会フレッシュリーグ所属の「筑紫野ドリームズ」に在籍。筑陽学園高校 へ一般入試で入学し、2002年 春季九州大会では準決勝に進むが本多雄一 のいた鹿児島実 に敗退。同年夏の甲子園県予選 も準々決勝で柳川高 に敗れ、甲子園には出場できなかった。
プロの誘いはあったが、日本大学生産工学部 マネジメント工学科へ進学、硬式野球部 (東都大学野球連盟 加盟)へ所属。2年次までは三塁手 だったが、打撃力を生かすため、3年次となる2005年 の東都大学野球春季1部リーグ戦から中堅手 に転向。また、長野は外のスライダー を振ってしまう癖があったため、野球部の後輩にアドバイスを受けて、あえてホームベースから離れることになる。離れることにより、バットが届く球ならストライク、届かないならボールと見極めることで、弱点を克服した。
4年次となった2006年 に急成長し、春季は12試合出場、打率 .489(47打数 23安打 )、主将を務めた秋季は13試合出場、打率.404(52打数21安打)で1995年秋・1996年春の高須洋介 (青学大 )以来となる2季連続首位打者となり、ベストナイン にも満票選出された。強肩・俊足を兼ね備え、プロの注目を集めた。同年秋の日米大学野球選手権、IBAFインターコンチネンタルカップ 、2006年アジア競技大会 に日本代表として出場。東都大学リーグ通算87試合出場、290打数85安打、打率.293、10本塁打 、40打点 。
同年秋のドラフト会議 で北海道日本ハムファイターズ から4巡目指名を受けたが、読売ジャイアンツ への入団を熱望していたことから入団を拒否[ 3] 。この長野の意に反した指名に対して日本大学野球部監督・鈴木博識 は「日本ハムは長野が一番嫌いな球団」とまで言い放つほど激怒した[ 4] 。
2007年 に本田技研工業 へ入社。同社のノンプロチームHonda硬式野球部 へ入部した。Hondaでは第62回JABA東京スポニチ大会 で社会人 デビュー。主に3番・右翼手 としてチームのベスト4入りに貢献し、同大会で新人賞。また4月の第55回JABA静岡大会 では準決勝で先制本塁打を打つ活躍が認められ、大会最優秀選手に選出された。
2008年 、ドラフト会議 で巨人以外に指名された場合はプロ入りせず会社に残留する意志を固めていた[ 5] が、巨人以外でも入団するとの情報を得ていた千葉ロッテマリーンズ が2巡目で“強行”指名[ 6] 。当日のボビー・バレンタイン との面会を拒否し[ 7] [ 8] 、11月25日の入団交渉後、12月3日に入団拒否を明らかにした。翌日にロッテ球団側に直接入団拒否を申し入れ、球団側も了承。Honda残留が決定し、2009年のドラフトで巨人の指名を待つこととなった。当初巨人は長野の1位指名を確約していたが[ 9] 、東海大学 への進学が内定していた東海大相模高校 ・大田泰示 がプロ志望届提出期限当日になって一転プロ入りを表明したことから[ 10] 1位指名を大田へと変更することとなった[ 9] 。ドラフト当日は福岡ソフトバンクホークス との抽選の結果、巨人が大田との交渉権を獲得したことで外れ1位での長野の指名が頓挫したため2位指名する予定であったが、ウェイバー順で巨人よりも先に指名できるロッテに指名される結果となった。
2009年 2月5日、巨人は長野にドラフト1位指名する方針を公表した。Hondaでは第80回都市対抗野球大会 で打率.579(19打数11安打)の活躍で首位打者を獲得。チームを13年ぶりの優勝に導いた。10月29日のドラフト会議 では巨人から確約通り単独1位で指名を受けた。ドラフト指名を2回拒否して3回目の指名を受けたのは、巨人の先輩に当たる岡本光 (1982年に3回目の指名)以来となった。直後、原辰徳 と対面し二岡智宏 の移籍で空き番となっていた背番号7 のユニフォームを手渡された。11月23日、契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で契約合意[ 11] 。同日、東京ドーム で行われた「ジャイアンツファンフェスタ」で入団発表を行った。
第一次巨人時代
第一次巨人時代 (2018年4月7日 明治神宮野球場 )
2010年 は、新人合同自主トレで、柔軟性・持久力には課題を残す[ 12] ものの、打撃で鋭い打球、守備練習で快足を披露し信頼を得る。オープン戦でも結果を残し、同期の土本恭平 、市川友也 と共に開幕一軍を決めた。3月26日の東京ヤクルトスワローズ との開幕戦で左翼手 として守備から途中出場し、プロ入り初出場を果たす。3月28日のヤクルト戦で2番・中堅手 としてプロ入り初の先発出場を果たした。その後は6、7番を中心に起用されたが、8月以後は不振に陥って先発落ちが多くなり、9月17日、不振でプロ入り初の二軍降格を経験した。終盤には坂本勇人 に代わって1番での出場を経験するなど、4、5番を除く全打順での先発出場を経験した。10月8日のヤクルト戦は勝てば2位・負ければ3位が決まる試合であり、9回裏一死満塁で打席が回ってきたが、三振に倒れた(チームは敗退し3位が決定)。1年目は128試合に出場し、打率.288・19本塁打を記録し、規定打席 にも到達した。19本塁打は1998年 の高橋由伸 と並び、巨人の新人では3位の記録だった。また新人王 を獲得し、前々年の山口鉄也 ・前年の松本哲也 に続き、3年連続の巨人からの新人王となった。
2011年 は、4月12日のヤクルト戦で6番・中堅手としてプロ入り初の開幕戦に先発出場し、押本健彦 から3点本塁打を含む5打数3安打5打点の活躍を見せた。7月14日の阪神タイガース 戦では、前日の死球の影響で先発を外れたアレックス・ラミレス に代わり、巨人軍第75代4番 として出場を果たした。終盤は、阪神のマット・マートン と熾烈な首位打者争いを展開した。10月22日の横浜ベイスターズ 戦では、1点ビハインドの9回裏無死満塁の場面で山口俊 からNPB史上8人目となる代打逆転サヨナラ満塁本塁打を記録し、首位打者 を獲得した。巨人の入団2年目での首位打者は、1959年 の長嶋茂雄 以来、52年ぶり3人目。また、巨人の選手の首位打者は2009年のアレックス・ラミレス以来2年ぶりだが、日本人選手に限定すると2001年の松井秀喜 以来10年ぶりで、日本人右打者だと1971年の長嶋茂雄以来40年ぶりであった。また、サヨナラ賞 を受賞し、セ・リーグ通算1000本目の満塁本塁打となった。統一球導入の影響により多くの選手が打率低下に苦しんだが、打率.316、17本塁打、OPS.847と好成績を収めた。また、自身初となるベストナイン とゴールデングラブ賞 を受賞した。
2012年 は、2年連続となる打率3割(.301)を記録。20盗塁 (リーグ2位)、出塁率 .382(リーグ2位)を記録した。また、同僚の坂本勇人と最多安打 (173安打)を獲得し、1番打者としての役割を存分に果たす活躍を見せた。最多安打により、入団以来3年連続でタイトルを獲得、また、2年連続でベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した。ポストシーズンも絶好調で、クライマックスシリーズ 初戦から、日本ハムとの日本シリーズ で巨人が日本一を決めるまで全試合で安打を記録した。第2戦では決勝の初回先頭打者本塁打を打った[ 注 1] 。2本塁打を打つなど攻守[ 注 2] にわたって活躍し、優秀選手に選出された。11月6日、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」 」の日本代表に選出された[ 13] [ 14] 。さらに12月4日に、第3回WBC 日本代表候補選手34人が発表され[ 15] 候補入りした[ 16] 。
2013年 は、2月20日に第3回WBC日本代表選手28人が発表され[ 17] 、代表入りした[ 18] [ 19] [ 20] 。主軸として期待されたが、強化試合から不振に陥った。長野は「打てなくてピーピー言われているが、本番に入ったら任せてください」と意気込んでいたが[ 21] 、本戦でも[ 22] 不振が続き、打撃コーチの立浪和義 からも「打席で迎えにいっている。練習でしっかり修正してもらいたい」と苦言を呈された[ 23] 。当初は先発起用されたものの、最後の試合となった決勝ラウンドなど後半は先発から外れることも多く[ 24] 、最終的に打率.222に終わったが[ 25] 、出塁率.364、チーム3位タイの6打点を記録した。5月15日のロッテ戦で、セス・グライシンガー の打球を素早く処理して一塁で封殺し、巨人では1988年 の呂明賜 以来となる右ゴロを記録した[ 26] 。前半戦は打率.259と長く不振が続いたが、後半戦は打率.313と復調を見せた。8月29日の阪神タイガース 戦では、松田遼馬 から自身2度目のサヨナラ本塁打を打った。9月12日のDeNA戦ではトニ・ブランコ 、10月2日のヤクルト戦では打者走者松岡健一 を一塁で封殺し、シーズン3度の右ゴロを記録した。シーズン3度の右ゴロは球団では中島治康 以来70年ぶりだった[ 27] 。前半戦の不振もあって、入団以来続いていたタイトル獲得は途切れ、3年連続3割も逃したものの、3年連続でベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した。
2014年 は、6月に月間打率.357を記録し、7月下旬から8月初旬には4番を務める試合もあったが、先発落ちや代打を送られての交代も経験した。8月13日の阪神戦から8月21日のヤクルト戦までの8試合で3本塁打7打点と調子が上がり始めたが、8月21日の試合で右膝を負傷し、右膝関節挫傷と診断され[ 28] 、以降9試合スタメンから外れた。9月2日に先発復帰すると、同月6日の対ヤクルト戦(明治神宮野球場 )で2点を追う7回一死満塁の打席で石山泰稚 から逆転満塁本塁打を放った[ 29] 。11月19日に右膝半月板の修復手術と右肘のクリーニング手術を受けた[ 30] 。
2015年 は、このシーズンは絶不調でスタメンから外れることも多くなった[ 31] 。ボール球によく手を出してしまうことで、原監督から視力検査を受けるように指示されたことも報じられた[ 32] 。不調は終盤まで続き、本塁打数は前年を上回ったものの、打率・安打・打点・出塁率・盗塁などほとんどの部門で自己ワーストの成績に終わった。
2016年 は、村田修一 に代わり選手会長を務めることになった[ 33] 。8月16日、出場選手登録期間が7年に達し国内FA(フリーエージェント)権を取得した。6月から約1か月ほど4番を務めるなど3年ぶりに全試合出場を果たし、安打数や打率は前年を大きく上回ったものの、11本塁打、42打点はいずれも自己ワーストの数字に終わった。
2017年 は、オープン戦からの打撃不振や精彩を欠く守備が開幕から目立ち、春先はスタメンから外される試合もあった。好機での凡退が1年を通じて目立ち、自己ワーストの17個の併殺打を喫し、得点圏打率も.204と低い数字で、2年続けて50打点にも届かなかった。
2018年 は、序盤は不振に陥り先発を外されることが多かったが、8月は18日の対中日戦(東京ドーム)で3回一死無走者の打席で通算100本目の東京ドームでの看板直撃本塁打を放つ[ 34] など、月間打率.473と復調した[ 35] 。同月31日に背筋痛を訴え4年ぶりに出場選手登録を抹消された[ 36] が、9月16日に一軍に復帰[ 37] 。同月28日の対DeNA戦(東京ドーム)では、自身5年ぶり3本目となるサヨナラ本塁打[ 38] 、同月30日の対広島戦(東京ドーム)ではサヨナラ適時打を打ち、チームの土壇場でのCS出場に貢献した[ 39] 。序盤の不調や離脱の影響でプロ入り後初めて規定打席に届かず、116試合の出場に終わったが、球団では長嶋、原に次いで歴代3位となる、入団初年度から9年連続100安打を達成した[ 37] 。
広島時代
2019年 1月7日、広島東洋カープ の丸佳浩 が巨人にFA 移籍したことによる人的補償として、広島に移籍することが巨人から発表された[ 40] [ 41] 。同年1月23日に日本野球機構からの移籍選手公示が行われた[ 42] 。1月23日にMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島 内で入団発表記者会見が行われた[ 43] [ 44] 。背番号は5 に決まった。
広島時代 (2019年3月12日 マツダスタジアム )
オープン戦から2010年のルーキーイヤー以来守っていなかった左翼手の守備に挑戦した。開幕直後は左翼手で先発出場したものの、左投手が先発の時に出場機会が限られたこともあってなかなか調子が上がらず、7月には再調整のため登録抹消された。サビエル・バティスタ のドーピング問題による出場停止もあって8月下旬に一軍登録されると、次第に調子を上げ、左投手が先発の時には4番を任された。9月は月間打率3割を超えた。しかし72試合の出場で打率.250、5本塁打、20打点とプロ入りして初めて出場試合が100未満、本塁打も2桁に届かず、盗塁も0に終わった。
2020年 は、開幕戦の先発出場こそ逃したが中堅手のレギュラーである西川龍馬 が故障で離脱した時には、中堅手として先発出場した。西川が復帰すると主に代打として前年を上回る95試合に出場し、打率.285、10本塁打、42打点、1盗塁と全ての打撃部門で前年を上回る成績を残した。更に、代打打率は、(100打席以上打席に立った選手)チームメイトの坂倉の.346を1割程上回るリーグ1位の.440を記録した。同年9月22日の対巨人戦(東京ドーム)では2点を追う4回二死一・三塁の打席で菅野智之 から一時逆転打となる3点本塁打を放ち、史上39人目となる全球団から本塁打 と球団通算8500本塁打を同時に達成した[ 45] 。
2021年 も開幕一軍入りしたが、5月20日に新型コロナウイルスのPCR検査で陽性判定を受けたことが発表され[ 46] 、5月21日に「感染拡大防止特例2021」の対象選手として出場選手登録を抹消された[ 47] 。シーズン通算で、出場試合71、打率.216、2本塁打、13打点はすべてキャリアワーストとなった[ 48] 。オフに、4500万円減となる推定年俸1億2000万円で契約を更改した[ 48] 。
2022年 は主に代打で起用され、夏場に一時調子を上げ、スタメンの機会も増えるが58試合の出場で打率.211、3本塁打、15打点だった。同年7月16日の対巨人戦(東京ドーム)では3回無死満塁の打席で戸根千明 から放った満塁本塁打を含む自身2度目の2打席連続本塁打を放った[ 49] 。
巨人復帰
2022年11月2日に読売ジャイアンツへの無償トレード が報道された[ 50] 。広島の鈴木球団本部長は、「彼は2度もドラフトを拒否し、巨人を貫いた選手。いつかユニフォームを脱ぐことがあるとすれば、やっぱり巨人で脱ぐべきではないかと思っていた」と巨人に提案し合意した。もし合意しなかった場合は広島と契約する方針だったと明かした[ 51] 。週明けにも正式な移籍手続きを行う予定だと球団から正式発表され[ 52] 、5年ぶりの古巣復帰となった[ 53] 。11月11日にNPBがトレードを公示した[ 54] 。背番号は広島移籍前と同じ7 に決まった[ 55] 。推定年俸は1億円減となる2000万円となった[ 56] 。
2023年 は、4月2日の対中日戦(東京ドーム)で7回一死満塁の場面でルイス・ブリンソン の代打として出場し、勝野昌慶 から復帰後初安打・初打点となる決勝適時打[ 注 3] [ 57] 、同月26日の対阪神戦(阪神甲子園球場 )では8回一死一・三塁の場面で代打で出場し、岩貞祐太 から復帰後初本塁打となる代打3点本塁打を放った[ 注 4] [ 58] 。5月27日の対阪神戦(阪神甲子園球場)で7回無死一塁の打席で遊ゴロ併殺打を放った際に打席内で転倒し負傷交代。翌28日にベンチ入りメンバーから外され、翌29日に出場選手登録を抹消された[ 59] 。7月1日に一軍に復帰する[ 60] と、7月は月間打率.375を記録した[ 61] 。8月は10日の対阪神戦(東京ドーム)で巨人復帰後では2018年9月22日の対ヤクルト戦(東京ドーム)以来1906日ぶりの猛打賞[ 62] 、13日の対DeNA戦(東京ドーム)では1回無死無走者の打席で石田健大 から広島時代の2020年8月15日の対阪神戦(京セラドーム大阪 )以来、約3年ぶりの三塁打[ 63] 、16日の対中日ドラゴンズ 戦(バンテリンドーム ナゴヤ )では3回に二盗を成功させ、巨人復帰後初盗塁を記録した[ 61] 。シーズン通算では75試合に出場し、打率.259、6本塁打、19打点を記録[ 56] 。12月1日、2000万円増となる推定年俸4000万円で契約を更改した[ 64] 。
選手としての特徴
打撃
ヒットゾーンが広く、ボールゾーン打率がリーグ平均を大きく上回る[ 65] 。打者ボックスではホームベースから離れて構える。これは外角のスライダー の見極めに難があったためで、Honda時代にコーチの助言で離れて立つようになった[ 66] 。内角のボールは鋭く踏み込んでレフトに、外角はライトに捌く広角打法 を持ち味とする[ 67] 。2012年までの通算の対左打率.289に対し対右打率.305と右打者ながら右投手に強く、特別苦手とする球種もない[ 68] 。本人は犠牲バント を課題に挙げており[ 69] 、犠打数は2015年の「5」がシーズン最多となっている。
基本的に、「打率.280、15本塁打、50打点、10盗塁」前後の数字を毎年コンスタントに記録できる打者であるためか、チーム状況に応じて複数の打順 で起用される傾向の強い打者である。実際、2013年は「4番、9番を除く全打順」、2014年は「2番を除く全打順」、2015年は「2番、9番を除く全打順」と、7つ以上の打順で起用されるシーズンが3年続き、2016年は「1番、3番、4番、5番、6番」と5つの打順で起用された。そのため、2016年のシーズンオフには、長野の起用法や打順が一定しないことを懸念する趣旨の記事がスポーツニッポン において書かれたこともある[ 70] 。
走塁・守備
走塁面では50メートル5.8秒、右打者ながら一塁到達3.97秒を記録する俊足である[ 71] 。
守備では右翼手 と中堅手 で起用されている。主に右翼手として起用された2010年はリーグの外野手中最多失策を記録、UZR は-4.9であった[ 72] 。強肩ではあるが送球面の課題を指摘されている。長野が山なりの返球をしたことで相手走者に防げるはずの進塁を許し、首脳陣からは低い送球で返球するように指導を受けた[ 73] 。シーズン後に「プロに入る前は守備と走塁はできるかなと思ってたけど、ダメでした。来シーズンは頑張ります」と語った[ 74] 。翌2011年は主に中堅手として起用され、毎試合前に大西崇之 外野守備コーチと捕球・送球動作について確認を行い[ 75] 、ゴールデングラブ賞 を受賞。2012年は前半戦は中堅手、後半戦は右翼手としてプレー。2年連続でゴールデングラブ賞に輝いたが、中堅手でのUZR-1.3、右翼手でのUZR-6.8と、いずれも平均を下回る数値を記録[ 76] 。送球面では遠投120メートルの強肩で[ 77] 、2013年には強肩を生かしてシーズン3度のライトゴロを完成させた[ 78] 。
その他
動体視力 が良く、ルーキー時代の身体能力測定の「深視力 」測定では「一流アスリートが100人やっても1回出るか出ないか」と言われている「誤差ゼロ」を2回計測した[ 79] 。
スロースターターの傾向があり、プロ入りした2010年以降、毎年6月以降に打率を上げていく[ 80] 。
人物
愛称は「チョーさん 」[ 81] 。
巨人時代にチームメイトだった坂本勇人 とは、ともに攻撃の要・チームの顔としてマスコミから「サカチョーコンビ」と称されていた[ 82] 。2012年には、前述の通り2人で最多安打のタイトルを分け合っている。
球界一の気配りが出来る男と称され[ 83] 、多くの選手たちから慕われている[ 84] 。
広島に移籍する際、球団から背番号「5」と「9」を打診されて「5」を選択した。その理由は現役時代に「9」を背負った監督の緒方孝市 の秘蔵っ子であり[ 85] 、前年まで「9」を背負った丸佳浩の後継者として期待される野間峻祥 に長野自身が配慮したためである[ 86] 。その後「9」は、2022年途中に日本球界に復帰した秋山翔吾 が着用した。
外国人選手に対しては、英語 やスペイン語 を駆使して積極的にコミュニケーションを取っている[ 83] 。広島時代には同僚のホセ・ピレラ が韓国球界 のサムスン に移籍が決まると、サムスンOBで巨人時代の同僚であった李承燁 に連絡を取り、「(ピレラのことを)良くしてやって欲しい」と頼んでいる[ 83] 。
2015年 3月、テレビ朝日アナウンサーの下平さやか と結婚した。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度
球 団
試 合
打 席
打 数
得 点
安 打
二 塁 打
三 塁 打
本 塁 打
塁 打
打 点
盗 塁
盗 塁 死
犠 打
犠 飛
四 球
敬 遠
死 球
三 振
併 殺 打
打 率
出 塁 率
長 打 率
O P S
2010
巨人
128
459
430
66
124
24
3
19
211
52
12
4
2
0
25
4
2
72
10
.288
.330
.491
.821
2011
140
578
519
58
164
20
4
17
243
69
19
8
3
2
48
5
6
85
11
.316
.379
.468
.847
2012
144
653
574
84
173
29
2
14
248
60
20
7
2
1
75
5
1
100
5
.301
.382
.432
.815
2013
144
642
590
82
166
21
3
19
250
65
14
5
3
0
48
0
1
101
6
.281
.336
.424
.760
2014
130
523
472
67
140
29
1
13
210
62
8
4
4
2
42
0
3
75
8
.297
.356
.445
.801
2015
130
479
434
49
109
20
3
15
180
52
3
2
5
2
34
0
4
81
12
.251
.310
.415
.725
2016
143
618
576
58
163
28
4
11
232
42
8
2
1
3
33
0
5
78
7
.283
.326
.403
.729
2017
134
516
463
52
121
20
3
16
195
46
6
0
1
1
46
2
5
98
17
.261
.334
.421
.755
2018
116
426
383
49
111
16
0
13
166
52
3
2
0
1
41
4
1
69
5
.290
.359
.433
.793
2019
広島
72
197
180
13
45
7
1
5
69
20
0
2
0
1
15
2
1
40
11
.250
.310
.383
.693
2020
95
299
267
30
76
17
1
10
125
42
1
0
0
2
29
0
1
61
5
.285
.355
.468
.823
2021
71
140
125
6
27
3
0
2
36
13
1
0
0
0
14
0
1
30
2
.216
.300
.288
.588
2022
58
134
123
11
26
5
0
3
40
15
2
0
0
1
10
0
0
34
3
.211
.269
.325
.594
2023
巨人
75
176
158
15
41
7
1
6
68
19
1
1
0
1
17
4
0
40
2
.259
.330
.430
.760
2024
54
98
89
5
23
3
1
0
28
14
1
1
0
0
9
1
0
25
2
.258
.327
.315
.641
通算:15年
1634
5938
5383
645
1509
249
27
163
2301
623
99
38
21
17
486
27
31
989
106
.280
.342
.427
.770
2024年度シーズン終了時
各年度の太字 はリーグ最高
年度別打撃成績所属リーグ内順位
年 度
年 齢
リ | グ
打 率
安 打
二 塁 打
三 塁 打
本 塁 打
打 点
盗 塁
出 塁 率
2010
26
セ・リーグ
-
-
-
-
-
-
-
-
2011
27
1位
3位
-
5位
7位
7位
2位
2位
2012
28
4位
1位
3位
-
6位
9位
3位
2位
2013
29
10位
2位
-
7位
9位
9位
9位
-
2014
30
-
-
8位
-
-
-
-
-
2015
31
-
-
-
7位
-
-
-
-
2016
32
-
4位
3位
6位
-
-
-
-
2017
33
-
-
-
-
-
-
-
-
2018
34
-
-
-
-
-
-
-
-
2019
35
-
-
-
-
-
-
-
-
2020
36
-
-
-
-
-
-
-
-
2021
37
-
-
-
-
-
-
-
-
2022
38
-
-
-
-
-
-
-
-
2023
39
-
-
-
-
-
-
-
-
2024
40
-
-
-
-
-
-
-
-
-は10位未満(打率、出塁率は規定打席未到達の場合も-と表記)
WBCでの打撃成績
年度別守備成績
年 度
球 団
外野
試 合
刺 殺
補 殺
失 策
併 殺
守 備 率
2010
巨人
121
211
3
5
0
.977
2011
139
262
6
3
1
.989
2012
143
221
9
2
2
.991
2013
142
240
8
2
0
.992
2014
127
200
4
3
1
.986
2015
122
183
2
3
1
.984
2016
141
209
5
1
1
.995
2017
127
180
2
2
0
.980
2018
113
198
1
1
0
.985
2019
広島
42
56
1
2
0
.966
2020
67
106
5
2
1
.982
2021
30
34
0
1
0
.971
2022
24
41
2
0
1
1.000
2023
巨人
44
53
0
1
0
.981
2024
19
30
0
0
1
1.000
通算
1401
2224
48
28
8
.988
タイトル
表彰
記録
初記録
節目の記録
100本塁打:2016年4月14日、対東京ヤクルトスワローズ6回戦(明治神宮野球場 )、1回表に小川泰弘 から左越ソロ ※史上276人目
1000安打:2016年8月14日、対東京ヤクルトスワローズ20回戦(明治神宮野球場)、9回表に近藤一樹 から右前安打 ※史上284人目
1000試合出場:2017年5月28日、対広島東洋カープ11回戦(東京ドーム)、7番・右翼手で先発出場 ※史上483人目[ 88]
150本塁打:2020年10月31日、対中日ドラゴンズ22回戦(ナゴヤドーム )、8回表にルイス・ゴンサレス から左越2ラン ※史上176人目[ 89]
1500試合出場:2022年8月23日、対東京ヤクルトスワローズ19回戦(明治神宮野球場)、9回表に矢野雅哉 の代打で出場 ※史上202人目[ 90]
1500安打:2024年6月25日、対横浜DeNAベイスターズ9回戦(HARD OFF ECOスタジアム新潟 )、9回表に坂本裕哉 から中前適時打 ※史上138人目、球団最年長での達成[ 91]
その他の記録
背番号
7 (2010年 - 2018年、2023年 - )
5 (2019年 - 2022年)
登場曲
「Just Stand Up! 」Artists Stand Up To Cancer(2010年 - 2013年)
「Hate That I Love You(K-Klassic Remix feat. Ne-Yo)」RIHANNA (2010年開幕 - 途中)
「Crash ~戦慄~」Royal Hunt (2010年6月18日のみ、途中 - 閉幕)
「Hey Baby」Ashanti (2011年開幕 - 途中)
「Ride on time 」MAX (2011年途中)
「Run The World (Girls)」Beyonce (2011年途中)
「Hips Don't Lie feat. Wyclef Jean」Shakira (2011年途中 - 閉幕)
「All Dressed In Love」Jennifer Hudson (2011年途中 - 2013年)
「Papi」Jennifer Lopez (2012年途中 - 閉幕)
「July 1st 」浜崎あゆみ (2012年から毎年7月1日に行われる主催試合において曲名と試合日に合わせて1打席目のみ限定で使用)
「Gun Shot feat. Beenie Man」Nicki Minaj (2013年開幕 - 途中)
「Club Rocker feat. Flo Rida」Inna (2013年途中)
「New Day」Alicia Keys (2013年途中 - 2014年閉幕、2020年途中、2021年途中 - 2022年)
「俺たちの明日 」エレファントカシマシ (2013年のCS、日本シリーズの1打席目のみ限定使用)
「Raise your Glass」P!NK (2014年)
「Blow Me (One Last Kiss)」P!NK (2014年)
「Living For Love」Madonna (2015年開幕 - 途中)
「Bang Bang 」Jessie J , Ariana Grande & Nicki Minaj (2015年開幕 - 途中)
「Today's the Day」P!NK (2015年途中 - 2018年途中、2023年 - )
「So What」P!NK (2017年途中)
「Never Give Up」Sia (2017年途中 - 閉幕、2021年途中 - 2022年)
「Feel Good feat. Daya」Gryffin & Illenium(2018年途中)
「Rockabye feat. Sean Paul & Anne-Marie」Clean Bandit (2018年途中 - 閉幕)
「Don't wanna cry 」安室奈美恵 (2018年9月16日のみ)※安室奈美恵の引退日に合わせて使用
「Sugar」Maroon 5 (2018年9月28日のみ)※村田修一引退セレモニーに合わせて使用
「Walk Me Home」P!nk(2019年開幕 - 途中)
「Remember」Gryffin & ZOHARA(2019年開幕 - 途中)
「Can We Pretend feat. Cash Cash」P!nk(2019年途中 - 閉幕)
「September 」Earth, Wind&Fire (2019年9月27日) ※阿部慎之助ホーム最終戦に合わせて使用
「You Shoud Be Sad (Mike Mago Remix)」Halsey(2020年開幕 - 途中)
「Inside Out」Zedd & Griff(2020年途中 - 閉幕)
「Floating Through Space」Sia & David Guetta(2021年開幕 - 途中)
代表歴
著書
『長野久義メッセージBOOK 信じる力』(廣済堂出版:2012年5月)
脚注
注釈
^ 先頭打者本塁打の1点だけで終了した試合は日本シリーズ史上初だった。
^ 第2戦には中堅手としてゴロを処理して一塁走者稲葉篤紀 を二塁で封殺 させて中(センター)ゴロでの補殺 を記録。
^ 長野の巨人在籍時での安打・打点は2018年10月4日の対広島戦(マツダスタジアム)以来1641日ぶり。
^ 長野の巨人在籍時での本塁打は2018年10月4日の対広島戦(マツダスタジアム)以来1665日ぶり。
^ 2011年当時は月間賞の設立以前であり、名称は「スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞」とのみ。
出典
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
長野久義 に関連するカテゴリがあります。
監督・コーチ
監督 一軍コーチ 二軍監督・コーチ 三軍監督・コーチ 巡回コーチ
業績 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代
1980 木下富雄 , 山根和夫 , 平野光泰
1981 平田薫 , 江川卓 , 河埜和正
1982 大田卓司 , スティーブ , 中尾孝義
1983 田淵幸一 , テリー , 中畑清
1984 山本浩二 , 高橋慶彦 , 福本豊
1985 R.ゲイル , 真弓明信 , 長崎啓二
1986 清原和博 , 石毛宏典 , 津田恒実
1987 石毛宏典 , 秋山幸二 , 槙原寛己
1988 清原和博 , 森山良二 , 郭源治
1989 岡崎郁 , 香田勲男 , 阿波野秀幸
1990年代
1990 渡辺久信 , 辻発彦 , 伊東勤
1991 工藤公康 , 渡辺久信 , 野村謙二郎
1992 石毛宏典 , 秋山幸二 , 飯田哲也
1993 飯田哲也 , 高津臣吾 , 潮崎哲也
1994 桑田真澄 , H.コトー , 辻発彦
1995 T.ブロス , 池山隆寛 , 高津臣吾
1996 大島公一 , 鈴木平 , イチロー
1997 石井一久 , 稲葉篤紀 , 池山隆寛
1998 斎藤隆 , 石井琢朗 , 駒田徳広
1999 工藤公康 , 永井智浩 , 城島健司
2000年代
2000 仁志敏久 , 村田真一 , 高橋尚成
2001 岩村明憲 , 石井一久 , 真中満
2002 清原和博 , 上原浩治 , 斉藤宜之
2003 井口資仁 , 城島健司 , 桧山進次郎
2004 A.カブレラ , 和田一浩 , 谷繁元信
2005 渡辺俊介 , サブロー , 李承燁
2006 ダルビッシュ有 , F.セギノール , 森本稀哲
2007 山井大介 , 森野将彦 , 荒木雅博
2008 中島裕之 , 平尾博嗣 , 鈴木尚広
2009 亀井義行 , D.ゴンザレス , 小谷野栄一
2010年代
2010 内竜也 , 清田育宏 , 大島洋平
2011 杉内俊哉 , B.ファルケンボーグ , 和田一浩
2012 長野久義 , 阿部慎之助 , J.ボウカー
2013 田中将大 , 銀次 , 内海哲也
2014 柳田悠岐 , D.サファテ , 武田翔太
2015 明石健志 , R.バンデンハーク , 武田翔太
2016 A.バース , 西川遥輝 , 中田翔
2017 柳田悠岐 , 内川聖一 , 濵口遥大
2018 森唯斗 , 柳田悠岐 , 中村晃
2019 高橋礼 , A.デスパイネ , 松田宣浩
2020年代
2020 M.ムーア , 中村晃 , 柳田悠岐
2021 高橋奎二 , D.サンタナ , 杉本裕太郎
2022 吉田正尚 , 山﨑福也 , 塩見泰隆
2023 森下翔太 , S.ノイジー , 山本由伸
2024 筒香嘉智 , A.ジャクソン , A.ケイ
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
記述のない年は該当者なし
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1950年代
1950 青田昇 , 岩本義行 , 小鶴誠
1951 青田昇 , 岩本義行 , 金田正泰
1952 杉山悟 , 南村不可止 , 与那嶺要
1953 金田正泰 , 南村不可止 , 与那嶺要
1954 杉山悟 , 与那嶺要 , 渡辺博之
1955 町田行彦 , 与那嶺要 , 渡辺博之
1956 青田昇 , 田宮謙次郎 , 与那嶺要
1957 青田昇 , 田宮謙次郎 , 与那嶺要
1958 田宮謙次郎 , 森徹 , 与那嶺要
1959 大和田明 , 坂崎一彦 , 森徹
1960年代
1960 中利夫 , 並木輝男 , 森徹
1961 江藤慎一 , 近藤和彦 , 森永勝治
1962 近藤和彦 , 並木輝男 , 森永勝治
1963 江藤慎一 , 近藤和彦 , 藤井栄治
1964 江藤慎一 , 近藤和彦 , 重松省三
1965 江藤慎一 , 近藤和彦 , 中暁生
1966 江藤慎一 , 中暁生 , 山本一義
1967 近藤和彦 , 柴田勲 , 中暁生
1968 江藤慎一 , D.ロバーツ , 山内一弘
1969 高田繁 , D.ロバーツ , 山本一義
1970年代
1970 江尻亮 , 高田繁 , 中暁生
1971 柴田勲 , 高田繁 , 水谷実雄
1972 柴田勲 , 高田繁 , 若松勉
1973 江尻亮 , 柴田勲 , 若松勉
1974 G.マーチン , 末次利光 , 若松勉
1975 井上弘昭 , 山本浩二 , ロジャー
1976 張本勲 , 谷沢健一 , 若松勉
1977 張本勲 , 山本浩二 , 若松勉
1978 C.マニエル , 山本浩二 , 若松勉
1979 M.ラインバック , 山本浩二 , 若松勉
1980年代
1980 杉浦亨 , 山本浩二 , 若松勉
1981 J.ライトル , 田尾安志 , 山本浩二
1982 田尾安志 , 長崎啓二 , 山本浩二
1983 田尾安志 , 松本匡史 , 山本浩二
1984 山崎隆造 , 山本浩二 , 若松勉
1985 杉浦享 , 真弓明信 , 山崎隆造
1986 W.クロマティ , 山本浩二 , 吉村禎章
1987 W.クロマティ , C.ポンセ , 吉村禎章
1988 C.ポンセ , J.パチョレック , 広沢克己
1989 W.クロマティ , 彦野利勝 , 山崎賢一
1990年代
1990 J.パチョレック , 原辰徳 , 広沢克己
1991 R.J.レイノルズ , 原辰徳 , 広沢克己
1992 飯田哲也 , 前田智徳 , L.シーツ
1993 A.パウエル , 新庄剛志 , 前田智徳
1994 A.パウエル , G.ブラッグス , 前田智徳
1995 A.パウエル , 金本知憲 , 松井秀喜
1996 A.パウエル , 松井秀喜 , 山崎武司
1997 鈴木尚典 , D.ホージー , 松井秀喜
1998 鈴木尚典 , 前田智徳 , 松井秀喜
1999 関川浩一 , 高橋由伸 , 松井秀喜
2000年代
2000 金本知憲 , 新庄剛志 , 松井秀喜
2001 稲葉篤紀 , 金本知憲 , 松井秀喜
2002 清水隆行 , 福留孝介 , 松井秀喜
2003 赤星憲広 , A.ラミレス , 福留孝介
2004 金本知憲 , 嶋重宣 , T.ローズ
2005 青木宣親 , 赤星憲広 , 金本知憲
2006 青木宣親 , 金本知憲 , 福留孝介
2007 青木宣親 , A.ラミレス , 高橋由伸
2008 A.ラミレス , 青木宣親 , 金本知憲
2009 A.ラミレス , 青木宣親 , 内川聖一
2010年代
2010 M.マートン , 青木宣親 , 和田一浩
2011 長野久義 , M.マートン , 青木宣親
2012 長野久義 , 大島洋平 , W.バレンティン
2013 W.バレンティン , M.マートン , 長野久義
2014 M.マートン , 丸佳浩 , 雄平
2015 筒香嘉智 , 福留孝介 , 平田良介
2016 鈴木誠也 , 筒香嘉智 , 丸佳浩
2017 丸佳浩 , 鈴木誠也 , 筒香嘉智
2018 丸佳浩 , 鈴木誠也 , N.ソト
2019 丸佳浩 , 鈴木誠也 , N.ソト
2020年代
2020 佐野恵太 , 丸佳浩 , 鈴木誠也
2021 鈴木誠也 , 近本光司 , 塩見泰隆
2022 近本光司 , 佐野恵太 , 岡林勇希
2023 近本光司 , 西川龍馬 , 岡林勇希
2024 近本光司 , D.サンタナ , 細川成也
1970年代
1972 柴田勲 , 高田繁 , 山本浩司
1973 柴田勲 , 高田繁 , 山本浩司
1974 柴田勲 , 高田繁 , 山本浩司
1975 高田繁 , 山本浩二 , ローン
1976 池辺巌 , 柴田勲 , 山本浩二
1977 柴田勲 , 山本浩二 , 若松勉
1978 J.ライトル , 山本浩二 , 若松勉
1979 J.ライトル , J.スコット , 山本浩二
1980年代
1980 J.ライトル , J.スコット , 山本浩二
1981 J.ライトル , 松本匡史 , 山本浩二
1982 北村照文 , 平野謙 , 松本匡史
1983 北村照文 , 長嶋清幸 , 松本匡史
1984 長嶋清幸 , 屋鋪要 , 山崎隆造
1985 平野謙 , 屋鋪要 , 山崎隆造
1986 平野謙 , 屋鋪要 , 長嶋清幸
1987 長嶋清幸 , 屋鋪要 , 山崎隆造
1988 彦野利勝 , 屋鋪要 , 山崎隆造
1989 栗山英樹 , 彦野利勝 , 山崎賢一
1990年代
1990 彦野利勝 , 柳田浩一 , 山崎賢一
1991 飯田哲也 , 前田智徳 , R.J.レイノルズ
1992 飯田哲也 , 亀山努 , 前田智徳
1993 飯田哲也 , 新庄剛志 , 前田智徳
1994 飯田哲也 , 新庄剛志 , 前田智徳
1995 飯田哲也 , 緒方孝市 , 音重鎮
1996 飯田哲也 , 緒方孝市 , 新庄剛志
1997 飯田哲也 , 緒方孝市 , 新庄剛志
1998 緒方孝市 , 新庄剛志 , 高橋由伸
1999 緒方孝市 , 新庄剛志 , 高橋由伸
2000年代
2000 新庄剛志 , 高橋由伸 , 松井秀喜
2001 赤星憲広 , 高橋由伸 , 松井秀喜
2002 高橋由伸 , 福留孝介 , 松井秀喜
2003 赤星憲広 , 高橋由伸 , 福留孝介
2004 赤星憲広 , アレックス , 英智
2005 赤星憲広 , 金城龍彦 , 福留孝介
2006 青木宣親 , 赤星憲広 , 福留孝介
2007 青木宣親 , 高橋由伸 , 金城龍彦
2008 青木宣親 , 赤星憲広 , 鈴木尚広
2009 青木宣親 , 松本哲也 , 亀井義行
2010年代
2010 青木宣親 , 廣瀬純 , 赤松真人
2011 長野久義 , 青木宣親 , 大島洋平
2012 大島洋平 , 長野久義 , 荒波翔
2013 長野久義 , 丸佳浩 , 荒波翔
2014 丸佳浩 , 大島洋平 , 大和
2015 福留孝介 , 丸佳浩 , 大島洋平
2016 丸佳浩 , 大島洋平 , 鈴木誠也
2017 丸佳浩 , 桑原将志 , 鈴木誠也
2018 丸佳浩 , 大島洋平 , 平田良介
2019 丸佳浩 , 鈴木誠也 , 大島洋平
2020年代
2020 鈴木誠也 , 大島洋平 , 青木宣親
2021 鈴木誠也 , 近本光司 , 大島洋平
2022 塩見泰隆 , 岡林勇希 , 近本光司
2023 近本光司 , 岡林勇希 , 桑原将志
2024 秋山翔吾 , 岡林勇希 , 近本光司
1972年から1985年まではダイヤモンドグラブ賞
野球日本代表