アジアエクスプレス(欧字名:Asia Express)は、アメリカ合衆国で生産され日本で調教された競走馬(外国産馬)、種牡馬。馬名の意味は『アジアの超特急』。主な勝ち鞍は2013年の朝日杯フューチュリティステークス。
競走馬時代
デビュー前
父・ヘニーヒューズは現役時代にアメリカで出走し通算10戦6勝、2006年のキングズビショップステークス(G1)とヴォスバーグステークス(G1)を制した[2]。現役引退後の2007年からアメリカとオーストラリアを往復するシャトル種牡馬となり、アジアエクスプレスはこの時期に生産された産駒である。2013年からは日本の優駿スタリオンステーションに導入された[3]。
母・ランニングボブキャッツは現役時代にアメリカで出走し通算31戦9勝、芝とダート両方の重賞を制した[4]。
本馬は米国のオカラスタッドで生誕した後、2013年2月にフロリダ州で行われたOBSマーチセールで日本のノーザンファームによって23万ドル(当時のレートで約2200万円)で購入される[5]。オーナーとなった馬場幸夫は、この馬に「南満州鉄道で走っていた『あじあ号』のように豪快かつパワフルな走りをして欲しい」という願いを込めて、アジアエクスプレスと命名したという[6]。
2歳(2013年)
2013年11月3日、東京5Rダート1400mの新馬戦で鞍上ウンベルト・リスポリでデビュー。直線で鋭く伸びて2着オータムラヴに5馬身差をつけてデビュー戦を勝利で飾った[7]。
11月23日、鞍上にライアン・ムーアを迎え、東京7Rダート1600mのオキザリス賞(2歳500万下)を7馬身差で圧勝した[8]。
当初は12月18日開催予定の南関東公営競馬交流重賞(JpnI)競走であるダートの全日本2歳優駿(川崎競馬場)に出走を予定していたが、除外となったため12月15日の芝の朝日杯フューチュリティステークスへ出走することになった[9]。
2戦目に引き続き鞍上ライアン・ムーアで挑み、最後の直線で逃げるベルカントをかわして先頭に立つと、後続のショウナンアチーヴ、ウインフルブルームを振り切り優勝、GI初優勝を果たした[10]。鞍上のムーアは「芝でもダートでも勝てるというのは本当に特別な馬」と称えた[11]。1984年のグレード制導入後、芝コース未経験の馬が芝のGI級競走で優勝したのは初めてである[12]。
3歳(2014年)
3月23日のスプリングステークスが初戦として選ばれ、戸崎圭太が手綱を取ることになった。1番人気に支持され、中団から直線脚を伸ばすがロサギガンティアの2着に敗れた[13]。
続く皐月賞では5番人気に推された。積極果敢にウインフルブルームの2番手でレースを進めるが、直線では最後まで食い下がって3着に粘ったウインフルブルームとは対照的に手ごたえが怪しくなりイスラボニータの6着に敗れた[14]。レース後、陣営はダート路線に再転向を示唆した[15]。
ダート再転向の初戦は6月22日のユニコーンステークス。1.3倍の断然人気を背負いながら直線まったく手応えなく12着に沈んだ[16]。
休養を挟んで出走した8月10日のレパードステークスでは、前走大敗ながらも1番人気に押されると、期待に応えて2着のクライスマイルに3馬身1/2差をつけて圧勝し、復活を果たした[17]。
その後左前トウ骨遠位端骨折が判明、復帰まで4か月かかる見通しのため、年内は休養に入った[18][19]。
4歳(2015年)
2015年3月26日の名古屋大賞典で復帰し、逃げたメイショウコロンボを直線で追い込んだが届かず2着に敗れた[20]。
4月18日のアンタレスステークスではハナを奪ったが、直線でクリノスターオーとの競り合いに敗れ2着となった[21]。
5月の平安ステークスはインカンテーションの5着に終わる[22]。休養を挟み、8月のBSN賞に出走するも4着に敗れる[23]。その後、脚部不安で1年3か月休養した。
5歳(2016年)
2016年11月20日の福島民友カップで復帰するも15着としんがり負けを喫した[24]。そして12月9日付けで競走馬登録を抹消し現役を引退、北海道新冠町の優駿スタリオンステーションにて種牡馬となる[25]。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[26]およびJBISサーチ[27]に基づく。
競走日 |
競馬場 |
競走名 |
格 |
距離 (馬場) |
頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 |
タイム (上り3F) |
着差 |
騎手 |
斤量 [kg] |
1着馬(2着馬) |
馬体重 [kg]
|
2013.11.03
|
東京
|
2歳新馬
|
|
ダ1400m(良)
|
16
|
7
|
13
|
001.60(1人)
|
01着
|
R1:26.5(36.9)
|
-0.9
|
0U.リスポリ
|
55
|
(オータムラヴ)
|
534
|
0000.11.23
|
東京
|
オキザリス賞
|
500万下
|
ダ1600m(良)
|
16
|
1
|
2
|
002.30(1人)
|
01着
|
R1:37.9(37.6)
|
-1.1
|
0R.ムーア
|
55
|
(ペアン)
|
536
|
0000.12.15
|
中山
|
朝日杯FS
|
GI
|
芝1600m(良)
|
16
|
3
|
6
|
008.70(4人)
|
01着
|
R1:34.7(35.3)
|
-0.2
|
0R.ムーア
|
55
|
(ショウナンアチーヴ)
|
528
|
2014.03.23
|
中山
|
スプリングS
|
GII
|
芝1800m(良)
|
15
|
3
|
4
|
002.30(1人)
|
02着
|
R1:48.6(35.1)
|
-0.2
|
0戸崎圭太
|
56
|
ロサギガンティア
|
528
|
0000.04.20
|
中山
|
皐月賞
|
GI
|
芝2000m(良)
|
18
|
8
|
16
|
007.50(5人)
|
06着
|
R2:00.0(35.5)
|
-0.4
|
0戸崎圭太
|
57
|
イスラボニータ
|
524
|
0000.06.22
|
東京
|
ユニコーンS
|
GIII
|
ダ1600m(稍)
|
16
|
1
|
2
|
001.30(1人)
|
12着
|
R1:37.7(37.7)
|
-1.7
|
0戸崎圭太
|
56
|
レッドアルヴィス
|
526
|
0000.08.10
|
新潟
|
レパードS
|
GIII
|
ダ1800m(稍)
|
15
|
7
|
13
|
003.30(1人)
|
01着
|
R1:50.4(35.6)
|
-0.6
|
0戸崎圭太
|
56
|
(クライスマイル)
|
534
|
2015.03.26
|
名古屋
|
名古屋大賞典
|
JpnIII
|
ダ1900m(良)
|
11
|
7
|
10
|
001.50(1人)
|
02着
|
R2:00.9(38.3)
|
-0.1
|
0戸崎圭太
|
55
|
メイショウコロンボ
|
538
|
0000.04.18
|
阪神
|
アンタレスS
|
GIII
|
ダ1800m(良)
|
16
|
2
|
3
|
003.00(1人)
|
02着
|
R1:49.7(37.5)
|
-0.1
|
0戸崎圭太
|
57
|
クリノスターオー
|
538
|
0000.05.23
|
京都
|
平安S
|
GIII
|
ダ1900m(良)
|
16
|
7
|
13
|
003.90(1人)
|
05着
|
R1:55.6(37.0)
|
-0.5
|
0戸崎圭太
|
57
|
インカンテーション
|
538
|
0000.08.29
|
新潟
|
BSN賞
|
OP
|
ダ1800m(不)
|
14
|
2
|
2
|
002.50(1人)
|
04着
|
R1:49.8(37.3)
|
-0.3
|
0北村宏司
|
57.5
|
ダノンリバティ
|
550
|
2016.11.20
|
福島
|
福島民友C
|
OP
|
ダ1700m(稍)
|
15
|
3
|
4
|
006.10(3人)
|
15着
|
R1:46.6(39.8)
|
-2.0
|
0津村明秀
|
58
|
トラキチシャチョウ
|
554
|
種牡馬時代
引退後は種牡馬となり、優駿スタリオンステーションで繋養される[28]。
2020年に初年度産駒がデビュー。6月30日、門別競馬場の2歳未勝利戦でソロユニットが2戦目で勝ち上がり、これが産駒の初勝利となった。8月27日、門別競馬場で行われたリリーカップでソロユニットが勝利し、産駒の重賞初制覇となった[29]。
2024年5月25日、ピューロマジックが葵ステークスを制し、産駒JRA重賞初制覇を果たした。
主な産駒
グレード制重賞及びダートグレード競走優勝馬
地方重賞優勝馬
血統表
脚注
参考文献
外部リンク
表彰・G1,重賞勝ち鞍 |
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(旧)最優秀3歳牡馬 |
1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
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最優秀2歳牡馬 |
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- 1 2001年より馬齢表記法が数え年から満年齢に移行
*2 1954-1971年は「啓衆社賞」、1972-1986年は「優駿賞」として実施 *3 1986年は2頭同時受賞
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朝日杯3歳ステークス |
1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
---|
1990年代 | |
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2000年代 | |
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朝日杯フューチュリティステークス |
|
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