2002年の西武ライオンズでは、2002年シーズンについての西武ライオンズの動向をまとめる。
この年の西武ライオンズは、伊原春樹監督の1年目のシーズンであり、4年ぶり19度目(1998年以来)のリーグ優勝を果たしたシーズンである。
概要
1998年以来、西鉄時代を含め通算19度目のリーグ優勝を果たす。チーム打率、本塁打、盗塁、防御率すべてリーグ1位を記録し、球史に残るバランスチームと評された。[3]2位の大阪近鉄に16.5ゲーム差と大差をつけて4年ぶりの優勝果たした[4]。しかし日本シリーズでは第1戦にこの年6勝と振るわなかった松坂大輔の先発策が裏目に出たのが災いしたか松坂は3回4失点でKO、第2戦以降も投手陣が相次いで打ち込まれ後がなくなった第4戦も先制を許し一時は5回裏にエバンスの同点2ランで追い付くも6回表に2番手で登板した松坂が斉藤宜之に決勝タイムリーを許し力尽く。読売ジャイアンツにストレート負けの4連敗を喫した[5][1]。
チーム成績
レギュラーシーズン
2002年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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最終成績
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1位
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ダイエー |
--
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西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
2位
|
西武 |
2.0
|
ダイエー |
3.0
|
近鉄 |
3.0
|
近鉄 |
7.0
|
近鉄 |
13.0
|
近鉄 |
16.5
|
3位
|
日本ハム |
4.0
|
近鉄
|
ダイエー |
8.0
|
ダイエー |
9.5
|
ダイエー |
15.5
|
ダイエー
|
4位
|
近鉄 |
5.5
|
日本ハム |
4.0
|
日本ハム |
9.5
|
日本ハム |
11.0
|
日本ハム |
24.5
|
ロッテ |
23.0
|
5位
|
オリックス |
6.0
|
オリックス |
10.5
|
ロッテ |
16.5
|
ロッテ |
17.0
|
ロッテ |
26.5
|
日本ハム |
28.0
|
6位
|
ロッテ |
9.5
|
ロッテ |
12.5
|
オリックス |
17.0
|
オリックス |
18.5
|
オリックス |
31.5
|
オリックス |
39.0
|
期間 成績
|
14勝9敗1分 勝率.609
|
14勝8敗 勝率.636
|
12勝5敗 勝率.706
|
12勝9敗 勝率.571
|
21勝5敗 勝率.808
|
17勝13敗 勝率.567
|
[2]
日本シリーズ
2002年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月26日(土) |
第1戦 |
西武ライオンズ |
1 - 4 |
読売ジャイアンツ |
東京ドーム
|
10月27日(日) |
第2戦 |
西武ライオンズ |
4 - 9 |
読売ジャイアンツ
|
10月28日(月) |
移動日
|
10月29日(火) |
第3戦 |
読売ジャイアンツ |
10 - 2 |
西武ライオンズ |
西武ドーム
|
10月30日(水) |
第4戦 |
読売ジャイアンツ |
6 - 2 |
西武ライオンズ
|
優勝:読売ジャイアンツ(2年ぶり20回目)
|
[1]
入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前レギュラーシーズン終了から本シーズン開幕までの支配下選手・育成選手の登録・抹消について記述する。なお、抹消の去就は、球団職員又はスポーツ関係・芸能関係の職業に転身した場合等、去就が公のものとして扱われるもののみを記載し、空欄は前述以外の一般職業に転身もしくは去就不明を示す。また、退団区分は自由契約・任意引退・詳細不明である場合については、記載しない。
支配下選手
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登録 |
抹消
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No |
選手名 |
前所属 |
区分 |
No |
選手名 |
去就 |
区分
|
投手
|
|
|
|
|
21 |
西崎幸広 |
解説者 |
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|
32 |
デルトロ |
2001年10月6日死亡 |
支配下登録抹消
|
捕手
|
47 |
細川亨 |
青森大学 |
ドラフト自由枠 |
|
|
|
|
内野手
|
60 |
中村剛也 |
大阪桐蔭高 |
ドラフト2位 |
|
|
|
|
外野手
|
52 |
栗山巧 |
育英高 |
ドラフト4位 |
|
|
|
|
シーズン開幕後
本節では、本シーズン開幕から終了までの入退団について記述する。
支配下選手
|
登録 |
抹消
|
月 |
No |
選手名 |
守備 |
前所属 |
区分 |
区分 |
No |
選手名 |
守備 |
去就
|
4月 |
99 |
張誌家 |
投手 |
|
新外国人
|
オールスターゲーム2002
- 太字はファン投票による選出、取消線は出場辞退、▲は出場辞退選手発生による補充。
できごと
- 8月16日 - 対大阪近鉄戦(西武ドーム)で9点差からの逆転勝ちを記録(通算7回目)。西武12-10近鉄[6]
選手・スタッフ
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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[7]
表彰選手
- 伊東勤(捕手、4年ぶり10度目)
- アレックス・カブレラ(一塁手、初受賞)
- 高木浩之(二塁手、初受賞)
- 松井稼頭央(遊撃手、6年連続6度目)
- 小関竜也(外野手、初受賞)
- 和田一浩(指名打者、初受賞)
- 西口文也(投手、4年ぶり3度目)
- 高木浩之(二塁手、初受賞)
- 松井稼頭央(遊撃手、4年ぶり3度目)
- 小関竜也(外野手、初受賞)
ドラフト
出典
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1950年代 | |
---|
1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
---|
2020年代 | |
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1950年オフに西日本パイレーツと球団合併 |
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1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|