赤田将吾

赤田 将吾
埼玉西武ライオンズ 二軍野手コーチ #86
江戸川区球場にて (2022年8月12日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県曽於郡大崎町
生年月日 (1980-09-01) 1980年9月1日(44歳)
身長
体重
179 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手二塁手
プロ入り 1998年 ドラフト2位
初出場 1999年8月20日
最終出場 2014年10月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 埼玉西武ライオンズ (2015 - )

赤田 将吾(あかだ しょうご、1980年9月1日 - )は、鹿児島県曽於郡大崎町出身の元プロ野球選手外野手内野手)。右投両打。現在は埼玉西武ライオンズの二軍野手コーチを務める。

経歴

プロ入り前

出身地の大崎町が野球よりソフトボールが盛んだったこともあり、同郷の先輩である福留孝介と同様に中沖小学校時代はソフトボールをしていた。大崎中学校を経て、宮崎の日南学園高校に進学。試合前のシートノックの時に赤田のフィールディングを見ていたプロ野球チームのスカウトが、同高校の監督に守備のうまさを指摘したところ、レギュラーとして起用されるようになったという[1]

高校3年時には「4番・二塁手」として、夏の甲子園大会で活躍(3回戦敗退)。大会後には松坂大輔横浜高)、杉内俊哉鹿児島実業高)らと共にU-18日本代表の一員として、第3回AAAアジア野球選手権大会に出場しチーム三冠王となる活躍で優勝に貢献した。

1998年のプロ野球ドラフト会議西武ライオンズから2位指名を受けて入団。松坂大輔と再びチームメイトとなった。

西武時代

1999年フレッシュオールスターゲームに先発出場し、一軍にも昇格、13試合に出場し、5盗塁を記録した。

2000年高木浩之の不調もあり二塁での先発出場の機会もあったが、ルーズショルダーの影響もあり、2001年からは外野手に転向した。

2002年、元々右打ちだったが俊足を生かすためスイッチヒッターに転向する。

2003年は夏場以降好調で打率.250の成績を残した。

2004年小関竜也の不調で終盤から二番打者に定着し、122試合の出場で初の規定打席到達。佐藤友亮との一・二番コンビで高い出塁率を誇った。過去5年間で3本しか打っていない本塁打をこの年だけで9本打った。プレーオフ日本シリーズをいずれも勝ち抜いてチームとしては12年ぶりとなる日本シリーズ優勝を経験した。

2005年は二番・中堅手のレギュラーを獲得し、夏頃から打率を急上昇させた。打率.272、自己最高の131試合の出場で盗塁20を記録。またこの年の9月1日(25歳の誕生日)にオフィシャルサイト 「侍魂」 を設立。

2006年は主に1番または9番打者として堅実な打撃を見せ、出場124試合で打率は自己最高の.293を記録した。また、リーグ最多タイの三塁打7(西岡剛鉄平川﨑宗則と並ぶ)[2]、チーム3位(自己最多)の25犠打、3年連続2桁盗塁を記録した。この年も夏場から調子を上げ、交流戦以降の打率は3割を超えた。

2007年には松坂大輔ボストン・レッドソックスに移籍したため、代わって選手会長に就任したが、開幕直前の3月15日に右太ももを痛め、リハビリに時間がかかり、シーズン終盤の9月5日に一軍登録。しかし出場20試合で打率は.162に終わり、レギュラー再獲得はならなかった。

2008年4月25日のオリックス・バファローズ戦では自身初のサヨナラ満塁本塁打を放ったが[3]、同年5月1日の福岡ソフトバンクホークス戦で大飛球を追ってフェンスに激突[4]、左足首関節捻挫で長期離脱を余儀なくされてしまう。この年も前年より出場機会を増やしたが68試合に留まった。同年のクライマックスシリーズでは12打数6安打、1本塁打、3打点を記録。日本シリーズでは後藤武敏との併用ながら11打数3安打という数字を残し、球団史上初のアジアシリーズ制覇も経験した。

2009年はレギュラーを取り戻すまでには至らず代走や守備固めなどで57試合に出場した。

2010年2月18日、阿部真宏との交換トレードオリックス・バファローズへ移籍[5]。トレード直前の2月5日にオリックス外野手の小瀬浩之がキャンプ地で転落死し、外野手が手薄になったという事情があった[6]

オリックス時代

オリックス時代

2010年は、オープン戦で阪神の藤川球児から本塁打を放つなど好調で二番・右翼手として開幕戦に先発出場を果たし、4月4日の対千葉ロッテマリーンズ戦で6年ぶりとなる左打席での本塁打を小野晋吾から打った(2005年から2008年に記録した本塁打はすべて右打席で記録したものである。)。4月10日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で自身初の2打席連続本塁打、4月20日の北海道日本ハムファイターズ戦で移籍後初のサヨナラ安打[7]、5月18日の対広島東洋カープ戦では左右打席本塁打を記録するなど序盤は好調だったが[8]、次第に不調に陥り二軍降格する。その後は一軍と二軍を行き来し、この年は79試合の出場で打率.217に終わった。

2011年6月14日に一軍登録。主に七番打者として起用され、77試合に出場し規定打席には届かなかったものの、打率.305を記録した。同シーズンは楽天戦だけで3度のサヨナラ安打を記録しており[9]、そのうち7月5日にライアン・スパイアーから記録したものはオリックス球団(オリックス・ブレーブス以降)史上初の3試合連続サヨナラ勝利の3試合目に当たる[10][11]。7月10日に取得した国内フリーエージェント権を行使せずに2年契約を結び残留。オフに背番号を7へ変更。

2012年は開幕一軍入りを果たし、開幕第4戦目の4月3日、日本ハム戦で決勝打となる適時打を打ってシーズン初白星に貢献し、8月22日の日本ハム戦では2年ぶりの本塁打も打ったものの、シーズン全体では26試合の出場に留まった。2013年1月25日[12]八木智哉糸井嘉男との交換トレードで、木佐貫洋大引啓次と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍した[13]

日本ハム時代

日本ハム時代
(2013年、阪神甲子園球場にて)

2013年は57試合に出場し、限られた出番で打率.273の成績を残した。

2014年はわずか8試合の出場に終わった。シーズン終了後に戦力外通告を受け、10月22日に球団から退団が発表され、一旦は現役続行の意思を表示したが[14]、同月27日に現役引退が発表された[15]

現役引退後

2014年10月29日、埼玉西武ライオンズに翌2015年から新設される「二軍育成コーチ」への就任が発表された[16]。その後、2017年からは二軍打撃兼外野守備走塁コーチ[17]に配置転換された。

2017年台湾で開催された2017アジアウインターベースボールリーグにおいて、NPBウエスタン選抜の打撃コーチを務めた[18]

2019年からは一軍打撃コーチを[19]2022年は二軍外野守備・走塁コーチを務め、2023年シーズンから一軍外野守備・走塁コーチを務める[20]2025年からは二軍野手コーチに配置転換された。

選手としての特徴・人物

左打席では高い出塁率、右打席ではパンチ力を生かした打撃と3年連続2桁盗塁を記録した俊足を武器としている[21]

プロ入り後にスイッチヒッターに挑戦したが、同じ境遇にあったチームメイトの松井稼頭央の打撃を参考に死にもの狂いで練習し、自分の物にした[21]

森本稀哲上原浩治の公式YouTubeチャンネルにて、松坂世代ベストナインの左翼手として赤田の名前を挙げている[22]

西武同期入団で同学年の松坂大輔とは親友[23]

スポーツマンNo.1決定戦

スポーツマンNo.1決定戦には2000年の第6回に19歳で初出場。その後2005年(第11回)、2006年(第12回)、2007年(第13回)、2008年(第14回)と5回出場し、最高成績は第11回大会の総合2位[24]

プロスポーツマン大会
大会 放送日 総合順位
第6回大会 2000年1月1日 5位
第11回大会 2005年1月1日 2位
第12回大会 2006年1月1日 5位
第13回大会 2007年1月1日 6位
第14回大会 2008年1月1日 8位

その他詳細はスポーツマンNo.1決定戦 総合順位 種目別順位の項目を参照。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1999 西武 13 50 49 7 14 2 0 0 16 5 5 1 0 0 0 0 1 9 1 .286 .300 .327 .627
2000 31 79 65 10 10 0 1 1 15 3 2 0 0 0 13 0 1 26 2 .154 .304 .231 .535
2001 17 35 32 2 6 1 0 0 7 2 0 0 0 1 2 0 0 5 1 .188 .229 .219 .447
2002 37 62 57 4 9 1 0 1 13 2 3 1 4 0 1 0 0 17 2 .158 .172 .228 .400
2003 46 94 88 24 22 7 3 1 38 13 4 1 1 0 5 0 0 19 0 .250 .290 .432 .722
2004 122 436 374 68 97 18 2 9 146 41 16 5 15 3 42 1 2 87 3 .259 .335 .390 .725
2005 131 478 427 56 116 19 3 3 150 24 20 6 18 1 30 0 2 93 8 .272 .322 .351 .673
2006 124 518 451 50 132 16 7 2 168 34 16 9 25 4 36 1 2 79 3 .293 .345 .373 .717
2007 20 44 37 6 6 1 0 0 7 2 1 0 1 0 5 0 1 8 0 .162 .279 .189 .468
2008 68 180 160 29 39 7 1 2 54 13 2 1 3 2 14 0 1 37 4 .244 .305 .338 .643
2009 57 88 78 14 16 4 0 0 20 3 1 1 3 1 6 0 0 19 1 .205 .259 .256 .515
2010 オリックス 79 290 253 42 55 8 1 8 89 34 3 1 14 1 22 0 0 66 5 .217 .279 .352 .631
2011 77 246 226 17 69 8 1 0 79 17 0 3 2 0 18 0 0 52 3 .305 .357 .350 .706
2012 26 76 72 8 10 1 2 1 18 5 1 0 0 0 4 0 0 22 0 .139 .184 .250 .434
2013 日本ハム 57 160 143 16 39 6 0 2 51 12 1 2 1 1 15 0 0 36 1 .273 .340 .357 .697
2014 8 19 13 4 3 0 0 0 3 1 0 0 0 1 5 0 0 3 0 .231 .421 .231 .652
通算:16年 913 2855 2525 357 643 99 21 30 874 211 75 31 87 15 218 2 10 578 34 .255 .315 .346 .663
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



一塁 二塁 外野




































1999 西武 - 4 5 13 0 2 1.000 -
2000 5 22 3 1 1 .962 20 28 26 3 5 .947 -
2001 - - 13 21 0 0 0 1.000
2002 - 2 0 0 0 0 .--- 34 36 1 0 0 1.000
2003 - - 43 49 0 0 0 1.000
2004 - - 114 195 4 2 1 .990
2005 - - 128 240 3 2 1 .992
2006 - - 122 254 10 2 4 .992
2007 - - 15 21 1 0 0 1.000
2008 - - 57 94 3 0 0 1.000
2009 - - 42 49 1 0 0 1.000
2010 オリックス - - 69 112 3 2 0 .983
2011 - - 45 59 1 0 0 1.000
2012 - - 15 28 1 0 0 1.000
2013 日本ハム 4 21 0 1 2 .955 - 46 57 3 1 0 .984
通算 9 43 3 2 3 .958 26 33 39 3 7 .960 743 1215 31 9 6 .993

表彰

記録

初記録
その他の記録

背番号

  • 9(1999年 - 2009年)
  • 4(2010年 - 2011年)
  • 7(2012年)
  • 10(2013年 - 2014年)
  • 77(2015年 - 2018年)
  • 86(2019年 - )

登場曲

脚注

  1. ^ 週刊ベースボール 2007年12月17日号「LOCKER ROOM」コーナー。
  2. ^ 2006年度 パシフィック・リーグ 三塁打【リーダーズ(打撃部門)】」『NPB.jp 日本野球機構』。2023年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧
  3. ^ 【西武】赤田が延長11回サヨナラ満塁弾 - 野球ニュース」『日刊スポーツ』2008年4月26日。2022年9月19日閲覧
  4. ^ フェンスに激突 赤田が左足首最悪骨折?」『スポニチ Sponichi Annex 野球』スポーツニッポン新聞社、2008年5月1日。2023年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧
  5. ^ オリが西武赤田獲得、阿部と緊急トレード」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2010年2月19日。2023年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧
  6. ^ 小瀬選手の穴埋める…西武・赤田がオリ移籍」『Sponichi Annex』2010年2月19日。2018年3月2日閲覧小瀬の死亡については、小瀬浩之の項目を参照されたい。
  7. ^ 赤田“新天地”で初のサヨナラ打」『スポニチ Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2010年4月20日。2023年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧
  8. ^ 右だ左だ赤田弾!日本人6人目両打席1発 - 野球ニュース」『日刊スポーツ』2010年5月19日。2022年9月19日閲覧
  9. ^ 赤田3本目のサヨナラ打!オリックス3位浮上」『スポニチ Sponichi Annex』2011年9月15日。2022年9月19日閲覧
  10. ^ 他の2度は8月9日にダレル・ラズナーから、9月15日に小山伸一郎から打った。
  11. ^ 赤田が決めた!オリ初3連続サヨナラ - プロ野球ニュース」『日刊スポーツ』2011年7月6日。2022年9月19日閲覧
  12. ^ 日付は支配下選手登録公示日。
  13. ^ 糸井オリックスへトレード、ポスティングで溝/復刻」『日刊スポーツ』2017年1月24日。2022年9月19日閲覧
  14. ^ 赤田選手退団のお知らせ 日本ハム球団公式サイト2014年10月22日配信
  15. ^ 日本ハム・赤田将吾が引退」『朝日新聞』朝日新聞デジタル、2014年10月27日。2014年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月26日閲覧
  16. ^ 赤田将吾氏 来季二軍育成コーチ就任のお知らせ」『埼玉西武ライオンズ』2014年10月29日。2014年10月29日閲覧
  17. ^ 2017年度 コーチングスタッフ発表!」『埼玉西武ライオンズ』2016年10月11日。2023年4月26日閲覧
  18. ^ 2017アジアウインターベースボールリーグ(AWB)NPBメンバー一覧」『日本野球機構』2017年11月17日。2017年11月21日閲覧
  19. ^ 2019年度 コーチングスタッフ発表!」『埼玉西武ライオンズ』2018年11月4日。2023年4月26日閲覧
  20. ^ 2023シーズン コーチングスタッフ決定」『埼玉西武ライオンズ』2022年10月18日。2023年4月26日閲覧
  21. ^ a b 赤田将吾」『VICTORY ALL SPORTS NEWS』2017年10月14日。2021年2月20日閲覧
  22. ^ 【プロ入り94名】森本稀哲が選ぶ松坂世代ベストナイン【ホームラン打つのにフライが捕れない男?】【謎の強打者シャーパって誰?】【もはや家族同然SP 2/4】【巨人】 上原浩治の雑談魂 2021/07/02 (2021年7月5日閲覧)
  23. ^ 西武98年同期入団の赤田一軍打撃コーチから松坂に鬼注文 1年間ローテで2桁勝利を!!」『東スポWeb』2019年12月7日。2021年10月14日閲覧
  24. ^ 2006/1/1 新年明けましておめでとうございます!」『赤田将吾オフィシャルウェブサイト』2006年1月1日。2015年3月8日閲覧

関連項目

外部リンク