1967年の西鉄ライオンズ

1967年の西鉄ライオンズ
成績
パシフィック・リーグ2位
66勝64敗10分 勝率.508[1]
本拠地
都市 福岡県福岡市
球場 平和台野球場
球団組織
経営母体 西日本鉄道
監督 中西太(選手兼任)
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1968 »

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1967年の西鉄ライオンズでは、1967年の西鉄ライオンズの動向をまとめる。

この年の西鉄ライオンズは、中西太選手兼任監督の6年目のシーズンである。

概要

1956年からの3連覇時の主力だった高倉照幸城戸則文が相次いで他球団へ移籍したこの年、中西監督は宮寺勝利村上公康の入団であぶれた和田博実を外野手にコンバートさせるという荒療治に打って出た。それ以外にもこの年入団の基満男、前年巨人から移籍の船田和英といった若手野手が活躍するなど、若返りが顕著になった。チームは開幕ダッシュに成功した阪急を追いかけるものの、一進一退のゲームが続いて苦戦を強いられた。終盤は南海東映とのAクラス争いとなったが、最後は66勝64敗10分の2位で終えた。しかし初優勝の阪急が貯金20だったのに対してチームは貯金を2つしか作れなかったのがモロに響いた。投手陣はベテラン稲尾和久田中勉池永正明の三本柱のほか、清俊彦与田順欣などもそれなりの成績を残した。この年のオフに後年東尾修加藤初らとともに投手陣の柱として活躍した河原明がドラフト1位で、社会人から東田正義竹之内雅史がそれぞれ2位・3位で入団するなど、弱小時代の選手たちがチームの主力となっていく。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 和田博実
2 三好守
3 バーマ
4 ロイ
5 伊藤光四郎
6 河野旭輝
7 船田和英
8 宮寺勝利
9 田中勉
1967年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 阪急 -- 阪急 -- 阪急 -- 阪急 -- 阪急 -- 阪急 -- 阪急 --
2位 西鉄 西鉄 1.5 東映 5.5 東映 6.5 東映 11.0 東映 9.5 西鉄 9.0
3位 東映 3.0 東映 3.0 西鉄 8.0 南海 9.0 南海 西鉄 11.0 東映 10.0
4位 南海 3.5 近鉄 5.0 南海 9.0 西鉄 9.0 東京 12.0 南海 12.0 南海 11.0
5位 近鉄 3.5 東京 5.5 東京 10.5 東京 9.5 西鉄 12.5 東京 15.0 東京 14,0
6位 東京 5.0 南海 6.0 近鉄 12.0 近鉄 14.0 近鉄 19.5 近鉄 18.5 近鉄 16.0


1967年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪急ブレーブス 75 55 4 .577 優勝
2位 西鉄ライオンズ 66 64 10 .508 9.0
3位 東映フライヤーズ 65 65 4 .500 10.0
4位 南海ホークス 64 66 3 .492 11.0
5位 東京オリオンズ 61 69 7 .469 14.0
6位 近鉄バファローズ 59 71 2 .454 16.0

[1]

オールスターゲーム1967

ファン投票 監督推薦
選出なし 池永正明
宮寺勝利

できごと

選手・スタッフ

[2]

表彰選手

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
池永正明 最多勝利 23勝 初受賞
ベストナイン
選出なし

ドラフト

順位 選手名 守備位置 所属 結果
1位 河原明 投手 大分商業高 入団
2位 東田正義 外野手 三重交通 入団
3位 竹之内雅史 内野手 日本通運 入団
4位 後藤清 投手 電電東海 入団
5位 辻原幸雄 投手 川内高 入団
6位 長嶺俊一 投手 宮崎・本庄高 拒否・電電九州入社
7位 山田智千 外野手 日立製作所 拒否
8位 牧重見 投手 宮崎大宮高 拒否・サッポロビール入社
9位 黒木政次 外野手 高鍋高 拒否・リッカーミシン入社
10位 吉田和幸 内野手 報徳学園高 拒否・駒澤大学進学
11位 山田久志 投手 富士製鐵釜石 拒否
12位 桑名仁 投手 八幡中央高 拒否
13位 山岡実 捕手 田原本農業高 入団
14位 宮崎寛 投手 佐賀・鹿島高 拒否・住友金属入社
15位 古賀雄一 捕手 三池工業高 拒否・東洋紡岩国入社

出典