1991年の野球(1991ねんのやきゅう)では、1991年の野球界における動向をまとめる。
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
日本シリーズ
1991年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
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10月19日(土) |
第1戦 |
広島東洋カープ |
3 - 11 |
西武ライオンズ |
西武ライオンズ球場
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10月20日(日) |
第2戦 |
広島東洋カープ |
4 - 2 |
西武ライオンズ
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10月21日(月) |
移動日
|
10月22日(火) |
第3戦 |
西武ライオンズ |
1 - 0 |
広島東洋カープ |
広島市民球場
|
10月23日(水) |
第4戦 |
西武ライオンズ |
3 - 7 |
広島東洋カープ
|
10月24日(木) |
第5戦 |
西武ライオンズ |
0 - 3 |
広島東洋カープ
|
10月25日(金) |
移動日
|
10月26日(土) |
第6戦 |
広島東洋カープ |
1 - 6 |
西武ライオンズ |
西武ライオンズ球場
|
10月27日(日) |
第7戦 |
雨天中止
|
10月28日(月) |
広島東洋カープ |
1 - 7 |
西武ライオンズ
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優勝:西武ライオンズ(2年連続10回目)
|
個人タイトル
ベストナイン
高校野球
大学野球
社会人野球
メジャーリーグ
できごと
1月
2月
3月
- 3月8日 - 日本人選手初の年俸調停となっていた中日の落合博満について、調停委員会は球団提示の2億2千万(落合は当初3億を要求、その後2億7千万に)の結論を出した[8]。
- 3月27日 - ヤクルトの球団オーナーに桑原潤が就任。
4月
5月
6月
- 6月1日 - 日本ハムの大島康徳が水戸での対近鉄4回戦の一回裏に安打を打ち、プロ通算3500塁打を達成[40]。
- 6月5日 - 阪神はナゴヤ球場での対中日11回戦に0-2で敗れ、球団通算3000敗を記録[41]。
- 6月6日
- 広島の大野豊が横浜スタジアムでの対大洋9回戦で今季10セーブ目を挙げ、プロ野球タイ記録の10連続セーブ[42]。
- 岡田豊審判員が西武球場での西武対近鉄11回戦で左翼線審を務め、パ・リーグ史上初の通算3000試合出場を達成[43]。
- 6月7日 - ダイエーの門田博光が平和台球場での対日本ハム9回戦の一回裏に8号2点本塁打を打ち、プロ通算550本塁打を達成[44]。
- 6月8日 - 広島の大野豊が盛岡での対ヤクルト7回戦で今季11セーブ目を挙げ、連続11セーブのプロ野球新記録[45]。
- 6月13日 - 阪神はグリーンスタジアム神戸での対ヤクルト10回戦に2-5で敗れ球団タイ記録の9連敗となる[46]。
- 6月14日 - 阪神は神宮球場での対ヤクルト11回戦に5-19で敗れ、球団新記録の10連敗。これまで12球団で唯一2桁連敗がなかった[47]。
- 6月15日 - 阪神は甲子園球場での対中日13回戦に13-4で勝利し、連敗を10で止める[48]。
- 6月16日
- 広島の川口和久が広島市民球場での対巨人14回戦で今季4勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[49]。
- ヤクルトの角富士夫が横浜スタジアムでの対大洋13回戦の9回表に犠打を決め、プロ通算200犠打を達成。史上10人目[50]。
- 6月18日
- 中日の彦野利勝がナゴヤ球場での対大洋11回戦の九回裏に3号サヨナラ本塁打を放つが、一塁を回ったところで右膝を押さえて倒れ、代走の山口幸司がホームイン[51]。
- 西武の秋山幸二が山形での対オリックス13回戦を欠場し、1985年から続いていた連続試合出場が833で止まる[52]。
- 6月19日 - 近鉄の石本貴昭の中日への金銭トレードが成立したと近鉄、中日両球団が発表[53]。
- 6月22日 - ヤクルトは札幌市円山球場での対阪神12回戦に8-2で勝利し、球団史上初の10連勝を記録[54]。
- 6月25日 - 近鉄の鈴木貴久が平和台球場での対ダイエー10回戦の6回表に8号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成。史上165人目[55]。
- 6月26日
- ヤクルトは東京ドームでの対巨人13回戦に5-6でサヨナラ負けし、連勝が12で止まる[56]。
- 西武球場での西武対日本ハム12回戦で西武の秋山幸二が一回裏に18号本塁打を打ち、プロ通算250本塁打を達成[57]。また、西武の伊東勤がこの試合に出場し、プロ通算1000試合出場を達成。史上294人目[58]。
- 6月28日
- 川崎球場でのロッテ対西武9回戦で西武は一回表から五回表までの5イニング連続本塁打のパリーグ新記録[59]。
- オリックスの藤井康雄が藤井寺球場での対近鉄12回戦の九回表に11号3点本塁打を打ち、プロ通算100本塁打を達成[60]。
- 6月30日 - 中日の落合博満がナゴヤ球場での対巨人10回戦で香田勲男からプロ通算3000塁打を達成[61]。
7月
- 7月9日 - 近鉄の球団社長の前田泰男はオジー・カンセコが退団すると明らかにした[62]。
- 7月10日 - 巨人の篠塚利夫が札幌市円山球場での対広島16回戦の九回裏に安打を打ち、プロ通算1500安打を達成[63]。
- 7月14日 - 中日の宇野勝が東京ドームでの対巨人13回戦の二回表に桑田真澄から三振を喫し、日本人選手としてプロ野球新記録の23試合連続三振[64]。
- 7月18日 - オリックスの石嶺和彦が北九州市民球場での対ダイエー12回戦に4番・指名打者として出場し、プロ通算1000試合出場を達成[65]。
- 7月19日 - 中日の中村武志がナゴヤ球場での対巨人14回戦で、八回裏一死満塁の場面で代打で登場し12号満塁本塁打、十回裏に13号サヨナラ本塁打を放ち、史上5人目の一試合で満塁本塁打、サヨナラ本塁打の両方を打った選手となる[66]。試合後、巨人ファン約30名が巨人ナインの乗せたバスを取り囲み立ち往生する騒ぎが起きる[67]。
- 7月31日 - プロ野球のオーナー会議が都内のホテルで開かれ、ロッテの球団社長代行の重光昭夫は来季より本拠地を川崎球場から千葉マリンスタジアムへ移転することを表明[68]。
8月
9月
- 9月1日 - 巨人の川相昌弘が甲子園球場での対阪神23回戦の一回表に無死一塁から犠打を決め、自身が1990年に記録した年間最多犠打58を更新する今季59個目の犠打[78]。
- 9月4日 - プロ野球実行委員会が名古屋市内のホテルで開かれ、ロッテの千葉への本拠地移転を正式に承認[79]。
- 9月5日 - 中日の落合博満がナゴヤ球場での対大洋23回戦の七回裏に盛田幸妃から四球を選び、プロ通算1000四死球を達成[80]。
- 9月6日 - オリックスのブーマー・ウェルズがグリーンスタジアム神戸での対ダイエー19回戦に出場し、1000試合出場を達成[81]。
- 9月7日 - 広島の川口和久が東京ドームでの対巨人23回戦の四回表に岡崎郁から三振奪い、プロ通算1000奪三振を達成[82]。
- 9月20日 - ジュニア日本選手権の巨人対広島戦が平塚球場で行われ、7回裏巨人の攻撃中に降雨のため試合が中断し、5-5の引き分けに終わり再試合となる[83]。
- 9月21日 - ジュニア日本選手権の再試合が平塚球場で行われ、巨人が広島に8-7でサヨナラ勝ちし、2年連続5度目の優勝達成[84]。
- 9月23日 - 中日の球団社長の中山了は、監督の星野仙一が今季限りで辞任を申し出ていることを明らかにする[85]。
- 9月26日 - 阪神の真弓明信が甲子園球場での対ヤクルト26回戦で二回裏に17号本塁打、四回裏に二塁打、六回裏に適時二塁打を打ち、プロ通算3000塁打を達成[86]。
- 9月27日 - ダイエーは今井雄太郎と広橋公寿が今季限りでの現役引退すると発表[87]。
- 9月28日
- ダイエーの門田博光が平和台球場での対日本ハム25回戦で2三振を喫し、これでプロ通算1479三振となり、野村克也の通算1478三振を抜いて、プロ野球史上2位の三振数となる[88]。
- 大洋の屋鋪要が東京ドームでの対巨人25回戦で2盗塁を決め、プロ通算300盗塁を達成[89]。
- 9月29日 - ロッテの西村徳文が川崎球場での対近鉄25回戦で2盗塁を決め、プロ通算300盗塁を達成[90]。
10月
11月
12月
誕生
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
死去
脚注
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野球の歴史 |
1870年代 | |
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1900年代 | |
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1910年代 | |
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1920年代 | |
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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