1989年の国際F3000選手権は、FIA主催のフォーミュラ3000選手権、5年目のシーズン。4月9日のシルバーストンで開幕し、10月22日のディジョン・プレノワで閉幕した。シリーズチャンピオンはジャン・アレジ(フランス)が獲得した。アレジはこの年の後半、ティレルからF1に参戦した。
シーズン概要
開幕戦シルバーストンでは、前年度の眼疾患から復帰したトーマス・ダニエルソンが優勝した。第2戦のヴァレルンガではマーティン・ドネリーが勝利したが、使用されたノーズパーツがクラッシュテストで合格していない物だとして失格となった。エディ・ジョーダン・レーシングはレイナードのノーズコーンに改修を行ったが、クラッシュテストを通過していなかったため起きた失策だった[1]。繰り上がりでファースト・レーシングのファブリツィオ・ジョヴァナルディの初優勝となった。
ポー・グランプリではエリック・ベルナールが中断後の再スタートでEJRの2台、ジャン・アレジとドネリーを抑えた。しかしながらベルナールはポール・ベルモンドのクラッシュに絡み、アレジが優勝した。ベルナールはコースに復帰したものの2位争いの間にマーク・ブランデルと接触、リタイアした。ベルナールは次戦のヘレスで優勝する。続くエンナ・ペルグーサではアンドレア・キエーザが接戦を制した。
一方で3名のF3000ドライバー(アレジ、ベルナール、ドネリー)が7月に行われたF1第7戦
フランスGPでF1デビューを果たした。ティレルをドライブしたアレジは4位という特に印象的な結果を残した。彼はF3000のスケジュールが許す限りF1参戦を継続することとなった。
EJRは続く3戦を制し、アレジのタイトル獲得が濃厚となった。ライバルのエリック・コマスはル・マンで勝利しアレジは1ポイントとなったが、最終戦でコマスが優勝して同ポイントとなっても勝利数で上回っているためタイトルを確定した。アレジは日本グランプリに出場するため最終戦のディジョン・プレノワを欠場した。
開催スケジュール
注:
- Race 1: J.J.レートがファステストラップを記録したが、事前に認可を受けていないレブリミッターを使用していたためレース後に失格となり記録が抹消された[2]。
- Race 2: マーティン・ドネリーがレースで勝利したが、使用したノーズコーンが義務づけられたクラッシュテストを通過していなかったため失格となり、2位以下の順位が繰り上がった。
レース結果とランキング
ドライバーズ・チャンピオンシップ
ポイントは1位から6位まで順に9,6,4,3,2,1ポイントが与えられる。
注:
シーズン概観
R=リタイア NS=スタートせず NQ=予選落ち DIS(1)=disqualified after finishing as winner
参照