1965年のル・マン24時間レース(24 Heures du Mans 1965 )は、33回目[1]のル・マン24時間レースであり、1965年6月19日から6月20日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。
概要
フォードは引き続きフェラーリを打ち負かそうと、フォード・GT40が6台、ACコブラが5台と計11台を投入したように、金にあかせた物量作戦に出た[2]。
ガスタービンエンジンを搭載したローバー・BRM、31号車がグラハム・ヒル/ジャッキー・スチュワート組のドライバーで出場した[3]。
出走は51台[4][1]。
従前の耐久レースの常識は「ゴールまで走り切るのが第一で、自分のペースを守って走ることが鉄則」であったが、このレースの前半は記録的速さになり、以後「相手に負けないペースで走り続け、生き残ったマシンが勝つ」という時代に入った[2]。トップ争いを続けたフォード・GT40とワークスのフェラーリ・330P2は次々リタイヤ[2]した。
完走は14台[1][4]。
残ったのは24時間で4677.110km[3][1][4]を平均速度194.880km/h[2][1]で走ったN.A.R.T[3]チーム、マステン・グレゴリー(Masten Gregory )/ヨッヘン・リント組[1][4]のフェラーリ・250LM[1]、21号車であった。フェラーリは6連勝[1][4]、9勝目[1][4]。
ローバー・BRMは10位[3]。
出典
- ^ a b c d e f g h i 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.223「資料1」。
- ^ a b c d 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.27-154「ルマン24時間レースの歴史」。
- ^ a b c d 『ル・マンの英国車』pp.124-127「1965」。
- ^ a b c d e f 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.298-303。
参考文献