1959年の大洋ホエールズでは、1959年の大洋ホエールズの動向をまとめる。
この年の大洋ホエールズは、森茂雄球団社長が1年だけ、監督を務めたシーズンである。
概要
前年オフ、西鉄の三原脩監督が退団し大洋の監督に就任するという情報が明らかになり、ライオンズファンの猛反対で結局三原監督は留任、仕方なく森球団社長が監督に就任する事となった。森監督は三原が扱いやすくなる様にとチームを若手編成する事とし、その結果この年中央大学から入団した桑田武内野手が31本の本塁打を打って「本塁打王」を獲得、同時に王貞治(巨人)・村山実(阪神)・江藤慎一・板東英二(以上中日)・北川芳男(国鉄)といった強敵を抑えて「新人王」を獲得した。投手陣はチーム防御率3.47で最下位だったが、5連覇の巨人や2位の阪神とならびリーグ1位の49完投を記録した。チームは最下位にはなったものの、翌年の初優勝への基礎が出来上がり、そしてオフ、予定通り三原監督が大洋監督に就任した。この年からユニフォームはオレンジと黒が主体となり、1962年まで続くことになる。
チーム成績
レギュラーシーズン
1959年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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巨人 |
--
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巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
中日 |
4.0
|
国鉄 |
4.5
|
国鉄 |
9.5
|
大阪 |
10.5
|
大阪 |
12.0
|
中日 |
13.5
|
大阪 |
13.0
|
3位
|
国鉄 |
5.5
|
中日 |
8.5
|
大阪 |
11.0
|
国鉄 |
12.5
|
中日 |
13.5
|
大阪 |
13.5
|
中日
|
4位
|
広島 |
8.0
|
大阪 |
9.5
|
広島 |
15.0
|
中日 |
17.0
|
国鉄 |
14.0
|
国鉄 |
14.5
|
国鉄 |
15.5
|
5位
|
大阪 |
8.5
|
大洋 |
10.5
|
中日 |
18.0
|
広島 |
17.5
|
広島 |
16.0
|
広島 |
16.5
|
広島 |
17.0
|
6位
|
大洋 |
10.0
|
広島 |
12.0
|
大洋 |
18.5
|
大洋 |
20.5
|
大洋 |
22.5
|
大洋 |
26.0
|
大洋 |
28.5
|
[1]
オールスターゲーム
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
脚注
注釈
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |