1965年の大洋ホエールズでは、1965年の大洋ホエールズの動向をまとめる。
この年の大洋ホエールズは、三原脩監督の6年目のシーズンである。
概要
1962年と1964年の2度も優勝争いに加わりながらも、あともう少しで阪神に抜かれ優勝を逃したチームだがその一方でメガトン打線は健在で、不動の4番桑田武と5番のマイク・クレスニック(クレス)、そしてこの年から内野手転向の松原誠などが中心になり打ちまくるなど、チームは前半戦まで3位と健闘した。しかし、8月に入ると阪神、中日に抜かれて4位に転落。それでも5割前後で踏みとどまったが、終盤には貯金がなくなり結局4位に終わった。投手陣は前年新人王の高橋重行をはじめ、秋山登や稲川誠がそれなりの成績を残し、チーム防御率は2.81でリーグ4位と健闘した。前年2位躍進の原動力だった打撃陣はチーム本塁打136本でリーグ1位、得点数も518点でリーグ2位と打線の破壊力は抜群だった。この年Bクラスに転落したチームはその後5位(同率最下位)→4位→5位と浮き沈みが激しく、次にAクラス入りするのは1969年、三原監督の後を受けた別当薫監督時代まで待つことになる。なおこの年から背ネームは、ホーム用にも従来の「KAWASAKI」に加えて使用された。
チーム成績
レギュラーシーズン
1965年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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大洋 |
--
|
大洋 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
広島 |
0.5
|
巨人 |
0.5
|
阪神 |
4.0
|
阪神 |
2.5
|
阪神 |
5.5
|
中日 |
7.5
|
中日 |
13.0
|
3位
|
阪神 |
1.0
|
阪神 |
2.0
|
大洋 |
4.5
|
大洋 |
5.0
|
中日 |
6.5
|
阪神 |
10.5
|
阪神 |
19.5
|
4位
|
巨人 |
1.0
|
中日 |
4.0
|
中日 |
6.0
|
中日 |
9.0
|
大洋 |
10.0
|
大洋 |
17.5
|
大洋 |
23.0
|
5位
|
中日 |
5.0
|
広島 |
5.0
|
広島 |
11.0
|
広島 |
10.5
|
広島 |
16.5
|
広島 |
25.0
|
広島 |
31.0
|
6位
|
サンケイ |
7.5
|
サンケイ |
9.5
|
サンケイ |
11.5
|
サンケイ |
24.0
|
サンケイ |
30.5
|
サンケイ |
38.5
|
サンケイ |
45.5
|
[1]
オールスターゲーム
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
リーグ・リーダー
|
選手名 |
タイトル |
成績 |
回数
|
近藤和彦
|
最多安打 |
152本 |
初受賞
|
脚注
注釈
- ^ 1960年に一塁手部門で受賞しており、通算6度目。
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |