1953年の大洋松竹ロビンスでは、1953年の大洋松竹ロビンスの動向をまとめる。
この年の大洋松竹ロビンスは、小西得郎監督の2年目のシーズンである。
概要
前年、セ・リーグ最下位に終わった松竹ロビンスが大洋ホエールズと合併し、この年から、「大洋松竹ロビンス」という名称となった。名目上は対等合併であるが、翌シーズンいっぱいで松竹が経営から撤退しており、実質的には吸収合併である。チームは4月を13勝12敗1分の貯金1で終えるが、5月に7勝12敗1分と負け越して巨人などに突き放された。5月以降広島と4位争いを演じるが、前年から順位を1つ落として5位に転落。投手陣は新人の権藤正利がチーム最多の15勝、高野裕良が12勝をあげるも、投手陣の大黒柱江田孝が7勝にとどまりチーム防御率は4.10のリーグ最下位。打撃陣は巨人から移籍の青田昇、プロ野球草創期から活躍の藤井勇、岩本義行などが健闘したもの、チーム打率.246はリーグ4位。優勝の巨人に37.5ゲーム、2位の阪神に21.5ゲーム離された。カード別成績では広島に同一カード6連勝を2度記録するなど19勝7敗と勝ちまくったが、巨人戦に弱く5月中旬以降同一カード5連敗以上を2度記録し、4勝22敗と負け越しBクラスから脱出できなかった。小西監督は不振の責任を取り、この年限りで辞任した。
チーム成績
レギュラーシーズン
1953年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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最終成績
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1位
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巨人 |
--
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巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
名古屋 |
2.5
|
名古屋 |
3.0
|
名古屋 |
3.5
|
名古屋 |
5.5
|
名古屋 |
7.5
|
大阪 |
16.0
|
3位
|
洋松 |
4.5
|
大阪 |
6.0
|
大阪 |
5.5
|
大阪 |
8.0
|
大阪 |
9.5
|
名古屋 |
18.5
|
4位
|
大阪 |
5.0
|
洋松 |
11.0
|
広島 |
13.5
|
広島 |
16.5
|
広島 |
18.0
|
広島 |
36.0
|
5位
|
国鉄 |
9.0
|
広島 |
12.5
|
洋松 |
16.0
|
洋松 |
17.5
|
洋松 |
23.5
|
洋松 |
37.5
|
6位
|
広島 |
9.0
|
国鉄 |
21.5
|
国鉄 |
24.5
|
国鉄 |
30.5
|
国鉄 |
31.5
|
国鉄 |
42.0
|
[1]
オールスターゲーム
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
脚注
注釈
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |