1910年代の建築についての概要である。
日本の主要作品
日本以外の主要作品
現況欄の○は現存、✕は現存せず、△は一部現存、計画案
コンペ・受賞
- ヘルシンキ中央駅 - 1904年に新駅舎のデザイン・コンペが行われ、エリエル・サーリネンの新駅舎案が採用された。
- 大阪市中央公会堂 - 1911年懸賞付き建築設計競技(最終的に13名が参加)により岡田信一郎案が1位となり、岡田の原案に基づいて、辰野金吾・片岡安が実施設計
- アウクスブルク - シナゴーグ建設のための建築コンペが1912年に行われた。1914年から1917年までをかけて最終的にはフリッツ・ランダウアーとハインリヒ・レムペルの設計案が採用された。
- 横浜市開港記念会館 - 横浜開港50周年記念公会堂公募設計として1913年、設計案のコンペが実施され、9月23日の審査委員総会の結果、100点の応募図案の中から1等に福田重義、2等に西村好時、3等に藤村朗の図案が当選した[2]
- グルントヴィークス教会 - 教会建設の設計者は建築設計競技により決定されることになり、1913年、イェンセン・クリントが勝利し設計者に決まった。
- 明治神宮宝物殿(1915年、公開:別案で実施)大森喜一の案が1等当選。大江新太郎が実施設計を担当[2]
- 日清生命保険株式会社(1916年、公開)[2]
- 大阪府庁舎及府会議事堂建築意匠設計懸賞募集(1918年)
- 長瀬商店京橋社屋(1916年)[2]
- 聖徳記念絵画館 - 設計は公募による建築設計競技(1918年実施)で1等となった大蔵省臨時建築部技手小林正紹の案がもとになっている。佐野利器の指導のもと、明治神宮造営局の高橋貞太郎が設計をまとめ、後任の小林政一が完成させた[2]
- 大阪市美術館(1919-1920年、公開)
- 議院建築(国会議事堂)[2](1919年、公開)宮内省内匠寮の渡辺福三案が1等に当選。当選案は大きく設計変更されて実施
- ストックホルム南墓地スコーグスシュルコゴーデン、1914年から1915年にかけて行われた設計コンペ「ストックホルム南墓地国際コンペティション」グンナール・アスプルンドとシーグルド・レヴェレンツの協同応募案が1等
- 33リバティー・ストリート、ニューヨーク - ヨーク&ソーヤーが当選(1919年)
- オーバーハウゼン - 設計競技の結果、ペーター・ベーレンスに設計が依頼された
脚注
関連項目