金生山 (きんしょうざん[ 5] [ 6] [ 7] )は、岐阜県 大垣市 赤坂町 から揖斐郡 池田町 に跨る[ 2] 、伊吹山地 の南東端に位置する山 である。
掘削前の最高標高 は217.1 m [ 8] [ 9] [ 注釈 3] 、東西1km 、南北2kmの丘陵 で、全体が古生代 ペルム紀 の赤坂石灰岩 で構成されている[ 10] 。細かくは金生山、更紗山、愛宕山、月見山、花岡山などのピークの総称だが[ 5] 、日本一の石灰石 生産地として山の大部分が削り取られたため、これらのピークは現在はなくなり、明星輪寺 のある南東部が残るのみである[ 11] 。
概要
数多くの化石 を産出することで知られ、「日本の古生物学 発祥の地」と呼ばれることがある[ 12] [ 13] 。地質学的価値も高く、フズリナ の化石が多く産出し、特にペルム紀中期のネオシュワゲリナ科のフズリナ類について詳しく研究されたため、赤坂世(地質年代)・赤坂統(地層)として日本の中部ペルム系上半の標準層序とされ[ 14] 、かつてはペルム紀中期の国際標準模式地 の一つとされていた[ 15] 。山全体が石灰岩の日本有数のその産出地であり、石灰岩、大理石 の採掘が盛んに行われており、山容が変わり景観は損なわれつつある[ 16] 。
古くから「赤坂山」と呼ばれ、関ヶ原の戦い の記録でも「赤坂山」や「虚空蔵山」と記されているなど[ 17] 、江戸時代までは赤坂山の方が一般的だった[ 18] 。金生山(きんしょうざん)は686年 (朱鳥 元年)の建立とされる明星輪寺 の山号 であり、赤鉄鉱が古くから掘られていたことに由来するとか[ 5] [ 7] 、修験の山として奈良・吉野の金峯山 (きんぷせん)になぞらえる中で金生山(きんぷせん・きんふせん)となったなどの説がある[ 18] [ 19] 。
その後、明治時代に小字を付ける必要が出たことからピークの1つを金生山とし、やがて山全体の総称となったとみられる[ 17] 。この時点では「かなぶさん」との呼び方もあり[ 17] 、1869年 (明治 2年)に明星輪寺より分離した金生山神社 (かなぶじんじゃ)や、金生山の南東に位置する大垣市立赤坂小学校 (旧赤坂尋常高等小学校 )が1905年 (明治 38年)7月8日に制定した校歌 の歌詞「高くそびゆる金生山(かなぶやま) 清く流るる杭瀬川 」などに残っている[ 20] 。現在は地名辞典[ 5] [ 6] [ 7] 、岐阜県[ 21] 、地理院地図[ 22] 、地質分野[ 23] 、鉱物分野[ 24] 、大垣市史などはいずれも「きんしょうざん」としているが、正式名称が「かなぶやま」だとする主張もある[ 25] [ 26] 。
環境
西濃鉄道 DE10形 501号機。石灰石専用貨物列車 を牽引する。
1967年 (昭和 42年)3月17日に、山域は岐阜県の「伊吹県立自然公園」に指定されていたが[ 16] 、現在は指定地域から解除されている[ 27] 。山域に固有種 のアメイロヒルゲンドルフマイマイ など38種類の陸貝 が生息し、「金生山の陸貝と生息地」が1980年 (昭和55年)11月11日に岐阜県の天然記念物 に指定されている[ 28] 。この他に、「金生山のヒメボタル 」が2007年 (平成 19年)12月14日に、「ユウスゲ 自生地」が2013年 (平成25年)2月21日に大垣市の天然記念物に指定されている[ 29] 。また、1993年 (平成5年)2月 に岐阜県山岳連盟により、続ぎふ百山 のひとつに選定されている[ 30] 。
地史
約2億5000万〜2億7000万年前の古生代ペルム紀中〜後期に、海洋プレート上でサンゴによってつくられたとみられる石灰岩がある。当時の海山にできたサンゴ礁の名残とみられる。ペルム紀末にあたる最上部はPーT境界 の大量絶滅の痕跡を残している可能性がある。その後、プレートが移動しジュラ紀に海溝で沈み込む際に陸側のプレートにめり込んだ付加体 (美濃帯)となり、地殻変動 による逆断層 で隆起 して、この金生山の原型ができたと推測されている。そのため、生成された当時のペルム紀の生物の化石が多数採取されている。19世紀 の終わりにドイツ の古生物学者ギュンベル(Carl Wilhelm von Gümbel )が金生山の化石を紹介したことから、化石の山として世界的に知られるようになったという[ 13] 。採取される化石は主にフズリナ、サンゴ 、石灰藻 、ウミユリ 、巻貝 、二枚貝 であるが、頭足類 (オウムガイ )のほか三葉虫 もある。貝類化石は世界の他地域に比べて巨大な物が多いことで世界に知られ[ 31] 、特にシカマイア という二枚貝やウミユリの化石は世界一の大きさを誇る。2016年5月10日には日本地質学会 により、金生山の「ペルム紀化石群」が「岐阜県の化石」に選定されている[ 12] 。
金生山の特産種
金生山周辺には以下の陸貝の特産種が生息している[ 32] 。
金生山の鉱山・鉱脈
石灰岩
南側の石灰岩の昼飯鉱山とその鉱業関連の事業所
良質な石灰岩 、大理石 があることから、江戸時代 より採掘が行われていて大垣城の石垣にも石灰岩が使われている。石灰岩を焼いて石灰 にした美濃国 赤坂の「美濃灰」は、武蔵国 青梅 成木 の「武州灰」、下野国 葛生の 「野州灰」と並び、左官 用石灰 として江戸初期の石灰石焼成黎明期から供給されていた[ 38] 。1919年 (大正 8年)開業の東海道本線 の支線(大垣駅 - 美濃赤坂駅 、通称:美濃赤坂線 )や1928年 (昭和3年)開業の西濃鉄道 は、この金生山から採掘される石灰を運搬するために開業した鉄道である。南東山麓に西濃鉄道市橋線 乙女坂駅 がある。南山麓にあった西濃鉄道昼飯線 は2006年 (平成 18年)に廃止 された。「金生山鉱山」のほか、周辺に「愛宕鉱山」、「河合石灰鉱山」、「清水鉱山」、「昼飯鉱山」などの石灰岩の採掘場があり、関連する以下の事業所がある。
赤鉄鉱
かつて金生山の赤坂地区には露頭の赤鉄鉱 の鉱脈が東西200m、幅40m、高さ8m以上の台形状に存在した。豊富な鉱脈は1944年 (昭和19年)に、日本軍 により採掘され、北九州八幡製鉄所 に送られ活用された[ 50] 。この赤鉄鉱から鉄製武器を大量供給できることが、皇位 継承を争った壬申の乱 で大海人皇子 の勝利につながったという説がある[ 51] 。また赤坂町には中世、刀鍛冶 集団が存在し、「関の孫六」として知られる孫六兼元 (2代目兼元)の先代、清関兼元(初代兼元)はこの地で活躍した[ 52] (その後、刀鍛冶 集団は関市 の地へ移った)。
ベンガラ
弥生時代 後期の朝日遺跡 で出土した土器は、金生山のベンガラ 顔料 で彩色されていたことが知られている。平安時代 の絵巻物 には白壁で赤い柱の建築物が描かれているが、平安宮 にあった建築物の瓦に付着したベンガラからは金生山で採取されたと考えられるものが見つかっている。江戸時代 の本草書 にも「代赭」もしくは「赤土」と呼ばれた赤色顔料の産地について「和産ハ濃州赤坂ニアリ」と記されている[ 53] 。
地理
石灰岩採掘による山容の変遷帰属:国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」 配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス
北西の池田山 から続く山域(池田山塊)の南東端に位置する。西には同様に石灰岩鉱山(伊吹鉱山)がある伊吹山 があり、東山麓を揖斐川 の支流 である杭瀬川 が流れ、国道417号 が通る。南西には垂井町 の市街地を挟んで南宮山 が対峙している。南山麓を「金生山産業道路」が通り、その南側には岐阜県道216号赤坂垂井線 (旧中山道 )が通る。
金生山は東西1km、南北2kmの石灰岩のブロック(赤坂石灰岩)で、西側の梅谷層(中生代 ジュラ紀 )と東側の沖積層 とは断層 で接している。かつての頂上部には更紗山(標高217m)、愛宕山(同217.1m)、月見山(同130m)と呼ばれる3つのピークがあったが、石灰岩の採掘により現在はいずれも失われている[ 54] [ 55] 。また、愛宕山の正南には花岡山(標高115m)が存在したが、こちらも採掘により姿を消している。
周辺の山
北西側の池田山 から望む棚田 状に石灰岩 の採掘が行われている金生山。その背後に大垣市街地
金生山の山頂の明星輪寺 上部にある岩巣公園。石灰岩の奇石が多数並んでいる。
周辺
金生山山頂の明星輪寺 境内の上部に、2008年 (平成20年)3月31日に「岩巣公園」(面積1.10 ha )が開設された[ 58] 。大垣市名勝 指定。周辺からは東に濃尾平野 を見渡すことができる。2010年 (平成22年)10月1日に大垣市景観条例 (平成21年3月25日条例第4号)に基づき「明星輪寺の境内地とそこからの眺望」が大垣市景観遺産(風景資産)に指定されている[ 59] 。
岩巣公園周辺では、小規模だがカルスト地形 の一種であるピナクル (石灰岩柱)と岩石表面のカッレンフェルト (溶食水溝)が見られる[ 60] 。
脚注
注釈
^ a b 現在の標高は地理院地図によれば214m。
^ 山頂は池田町との境界に位置する「更紗山」と呼ばれた場所に相当。
^ 山頂の「更紗山」から南に位置する「愛宕山」と呼ばれた場所。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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