邢州(けいしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から元初にかけて、現在の河北省邢台市一帯に設置された。
596年(開皇16年)、隋により洺州と趙州の一部を分割して邢州が立てられた。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、邢州は襄国郡と改称され、下部に7県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
618年(武徳元年)、唐により襄国郡は邢州と改められた。742年(天宝元年)、邢州は鉅鹿郡と改称された。758年(乾元元年)、鉅鹿郡は邢州の称にもどされた。邢州は河北道に属し、竜岡・堯山・内丘・平郷・沙河・任・南和・鉅鹿の8県を管轄した[2]。
1119年(宣和元年)、北宋により邢州は信徳府に昇格した。信徳府は河北西路に属し、邢台・堯山・内丘・平郷・沙河・任・南和・鉅鹿の8県を管轄した[3]。
1129年(天会7年)、金により信徳府は邢州に降格された。邢州は河北西路に属し、邢台・唐山・内丘・平郷・沙河・任・南和・鉅鹿の8県と道武・新店・綦村・団城の4鎮を管轄した[4]。
1262年(中統3年)、モンゴル帝国により邢州は順徳府に昇格した。1265年(至元2年)、順徳府は順徳路総管府とされた[5]。
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