普州(ふしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から南宋にかけて、現在の四川省資陽市一帯に設置された。
概要
575年(建徳4年)、北周により設置された[1]。
隋初には、普州は2郡4県を管轄した。605年(大業元年)、普州は廃止され、その管轄区域は資州に移管された。
619年(武徳2年)、唐により資州の安岳・隆康・安居・普慈の4県が分割されて普州が置かれた。742年(天宝元年)、普州は安岳郡と改称された。758年(乾元元年)、安岳郡は普州の称にもどされた。普州は剣南道に属し、安岳・普康・安居・普慈・楽至・崇龕の6県を管轄した[2]。
宋のとき、普州は潼川府路に属し、安岳・石羊・安居・楽至の4県を管轄した。1256年(宝祐4年)、南宋により普州は廃止された[3]。
脚注
- ^ 『元和郡県志』:「普州、即漢之資中・牛鞞・墊江、後漢之徳陽四県之地、周武帝於此立普州」
- ^ 『旧唐書』地理志四
- ^ 『宋史』地理志五