簡州(かんしゅう)は、中国にかつて存在した州。唐代から民国初年にかけて、現在の四川省成都市簡陽市一帯に設置された。
概要
620年(武徳3年)、唐により益州陽安県に簡州が置かれた。742年(天宝元年)、簡州は陽安郡と改称された。758年(乾元元年)、陽安郡は簡州の称にもどされた。簡州は剣南道に属し、陽安・平泉・金水の3県を管轄した[1]。
宋のとき、簡州は成都府路に属し、陽安・平泉の2県を管轄した[2]。
元のとき、簡州は成都路に属し、陽安・霊泉の2県を管轄した[3]。
1373年(洪武6年)、明により簡州は廃止され、簡県と改められた。1513年(正徳8年)、簡県は簡州に昇格した。簡州は成都府に属し、資陽県1県を管轄した[4]。
清のとき、簡州は成都府に属し、属県を持たない散州となった[5]。
1912年、中華民国により簡州は廃止され、簡陽県と改められた。
脚注
- ^ 『旧唐書』地理志四
- ^ 『宋史』地理志五
- ^ 『元史』地理志三
- ^ 『明史』地理志四
- ^ 『清史稿』地理志十六