葉栗郡(はぐりぐん)は、愛知県(尾張国)にあった郡。
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
郡名は字画のとおり栗の木が多数自生していた状態から名付けられたという説や、「ハグ(剥ぐ)・リ(古代の接尾語)」で「浸食されやすい自然堤防」を意味したという説などがある。藤原京からは「尾治国羽栗評 ・人椋椅部刀良」と書かれた木簡が出土しており、この羽栗評が後の葉栗郡である[1]。701年の大宝律令の制定により評は郡となった。927年成立の延喜式には葉栗(はくり)郡との記載がみられる[2]。
938年頃に成立した和名類聚抄に「葉栗郡」の郷として掲載されているのは以下の通り[3]。ただし読みが特定できるものについては括弧内に記載した。
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。
安土桃山時代まで郡域は広かったが、1586年(天正14年)の木曽川の大洪水により、美濃国との境に流れていた木曽川が葉栗郡内のほぼ中央を流れるようになった。この為、豊臣秀吉の命により、1589年(天正17年)に新しい木曽川を尾張国と美濃国の境とし、美濃国側を羽栗郡に改称した。同時に中島郡・海西郡も2国にまたがる郡となったが、こちらは改称されていない。
歴代の丹羽葉栗郡長は以下の通り。
歴代の葉栗郡長は以下の通り[16]。
知多郡 | 愛知郡 | 春日井郡 | 丹羽郡 | 葉栗郡 | 中島郡 | 海東郡 | 海西郡 | 山田郡(16世紀まで)
*印は消滅。#1 1913年合併。
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