若松 謙維(わかまつ かねしげ、1955年8月5日 - )は、日本の政治家、公認会計士、税理士、行政書士。公明党所属の参議院議員(2期)、若松公認会計事務所代表。
参議院災害対策特別委員長、衆議院議員(3期)、復興副大臣(第3次安倍第1次改造内閣)、総務副大臣、NPO法人「行政再生」理事長、参議院総務委員長などを歴任。
経歴
福島県石川郡石川町生まれ。1978年3月、中央大学商学部2部を卒業[1]。
1978年11月、有限責任監査法人トーマツに入社[1]。1983年よりシアトル、翌年よりロンドンに赴任。1988年、ロンドン事務所・国際投資コンサルタント部に配属となり、1990年よりサンフランシスコに赴任。1992年、退社[1]。
1993年の第40回衆議院議員総選挙旧埼玉5区に公明党から出馬し、初当選。
1996年の第41回衆議院議員総選挙埼玉6区では新進党から出馬し、2期目の当選を果たす。1999年7月、政治家事務所としては初めてISO認証を取得。
2000年の第42回衆議院議員総選挙では民主党の新人大島敦に2342票差で敗れるが、比例北関東ブロックで復活当選した。2002年、第1次小泉内閣と改造内閣で総務副大臣を務め、三位一体の改革の原案を作成する。
2003年の第43回衆議院議員総選挙で落選。2005年の第44回衆議院議員総選挙で比例東北ブロックに単独立候補するが落選。公認会計士事務所を東京都港区新橋に開設する。
2009年、第45回衆議院議員総選挙の比例東北ブロック公明党公認候補となる。公認会計士事務所を郡山市に移転。2009年、第45回衆議院議員総選挙の比例東北ブロックで名簿順位2位となるが落選。
2012年、公明党から第23回参議院議員通常選挙の比例代表候補に公認された[2]。
2013年7月、第23回参議院議員通常選挙に公明党公認の比例代表候補として出馬し、参議院議員選挙で初当選。10年ぶりに国政に復帰した。
2015年10月、第3次安倍第1次改造内閣にて復興副大臣に就任(2016年8月退任)。
2019年7月の第25回参議院議員通常選挙では、党の規約では「任期中に69歳を超える場合は公認しない」とある[3]が、当時63歳11ヶ月で特例で公認されて立候補した[4]。
2019年10月、参議院総務委員長に就任[5]。
政策・主張
- 選択的夫婦別姓
- 選択的夫婦別姓導入に「どちらかと言えば賛成」としている[6]。
- 日本国憲法
- 2013年の第23回参議院議員通常選挙においては、日本国憲法第9条の改正に反対を表明した[7]。
- 集団的自衛権
- 2013年の第23回参議院議員通常選挙に際し、集団的自衛権の行使を認めるため憲法解釈を変更すべきか問われ、憲法解釈の見直しに反対すると表明していた[7]。しかし、集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法案が2015年に審議されることになったため、選挙当時の主張について毎日新聞社からあらためて確認されると「政府の努力を覆すような報道はフェアではない」[8] と回答し、マスコミを批判した。
- 消費税
- 2019年10月に予定されている消費税増税に賛成[9]。
- その他
- 普天間基地の辺野古への移設に賛成[7](普天間基地移設問題参照)。
- アベノミクスは成果を上げていると思う[7]。
役職歴
公明党
- 中央幹事
- 機関紙推進委員会委員長
- 復興・防災副部会長
- 税制調査会副会長
- 東北方面本部顧問
- 福島県本部常任顧問
参議院
- 参議院総務委員長
- 東日本大震災復興特別委員会委員
- 資源エネルギーに関する調査会委員
著作
単著
- 私も取れたISO14001―環境先進議員の挑戦(東洋経済新報社、2000年3月)
- 地方公共団体再生工程表(ぎょうせい、2002年2月)
- 財政会計改革工程表(ぎょうせい、2003年7月)
共著
- 企業のリストラ(共著:田中亀雄・土屋章・原田進安・中村清、商事法務研究会、1993年6月)
- 新・行財政構造改革工程表(共著:上山信一・樫谷隆夫、ぎょうせい、2005年4月)
脚注
外部リンク
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