駅・施設・接続路線
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台北専案(1983-89[1](pp18-25))
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南港駅
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南港調車場/南港(貨・新設)
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松山駅
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台北機廠
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華山駅(貨)
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台北駅
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西門緊急停車駅
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万華駅
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松山専案(1989-94[1](pp26-29))
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萬板専案(1995-99[1](pp30-33,70-73))
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万華駅
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新店渓橋
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板橋新駅 →中和線
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板橋旧駅・板橋調車場
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樹林駅
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樹林調車場(新設)
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南港専案(1999-2011[1](pp34-43,74-81))
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七堵調車場(拡張)
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七堵駅
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百福駅
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五堵(貨)
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五堵駅
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汐止駅
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南港駅
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南港調車場
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松山駅
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※各専案で立体化後に開業した路線・駅は省略
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縦貫線(北段)(じゅうかんせんほくだん)は、台湾鉄路公司の縦貫線のうち、台湾基隆市仁愛区の基隆駅から苗栗県竹南鎮の竹南駅に至る台湾鉄路公司の区間を指す。
台湾鉄路公司の西部幹線の一部として運用されている。
路線データ
歴史
縦貫線の建設は清朝統治時代の末期に開始され、1891年(光緒17年)10月20日に基隆 - 台北間が開業する[2]:339。これは台湾初の鉄道路線であり、縦貫線のうち最初に開業した区間でもあった。1893年(光緒19年)には新竹まで延伸され[2]:339、この状態で日本への台湾割譲を迎える。日本は台湾の開発において基隆 - 高雄間を結ぶ縦貫線の完成が重要であると考え、建設時の規格が低く日清戦争中の混乱を受けて荒廃していた基隆 - 新竹間の大規模な改良と新竹 - 高雄間の建設を進めた。新竹 - 高雄間の建設は南北両側から進められ、1902年(明治35年)に中港(竹南)までの本路線が全通し[3]、縦貫線全体も1908年(明治41年)の台中線全通に伴い、基隆から高雄までの全区間が開業した[3]。
縦貫線(北段)のうち、基隆駅 - 台北駅間は1919年(大正8年)に[2]:342、台北駅 - 竹南駅間は1935年(昭和10年)に複線化された[2]:339。1970年代から縦貫線の電化工事を開始し、1978年に竹南以北の本路線が[2]:349、1979年7月1日に縦貫線の全線電化が完成している[2]:349。
都心立体化事業
- 台北専案
総延長4.4kmの地下化事業は1983年7月12日に着工、1989年9月1日に移行。華山の貨物機能は新設の板橋調車場および南港調車場(中国語版)へ移転した[1](p18)。
- 松山専案
華山トンネルから松山駅西方まで東へ5.3kmの地下化延伸事業は1989年10月20日に着工、1992年8月3日に南側複線トンネルが、1994年6月18日に北側複線トンネルが供用された。トンネル内は非常時の避難用として復興・光復の2ヶ所の緊急停車駅が追加された[1](p26)。
- 萬板専案
万華から板橋の総延長15.3kmを地下化する事業は1992年9月14日に着工し、板橋調車場に代わる樹林調車場(中国語版)は1997年3月14日に、万華・板橋の両地下駅は1999年7月21日に供用された[1](p30)。
- 南港専案
台北市内の地下線を南港まで延伸し、七堵まで高架化する総延長19.5kmの事業は1998年11月1日に着工され、1995年8月3日に南港調車場に代わる七堵機務段の七堵調車場(中国語版)を供用、南港と七堵の貨物運輸を五堵に集約、1996年4月9日に汐止・五堵が高架駅が、1997年1月21日に七堵新駅舎が、2008年9月21日に松山と南港の両地下駅が供用された[1](p34)。
- 桃園市内地下化
新北市鶯歌区の鳳鳴地区から平鎮区までの17.95kmを地下化し、5駅を追加する事業は2020年9月に行政院での承認を経て[4]、同年末に鳳鳴駅が地上仮設駅として先行着工を迎え始動した[5]。
使用車両
過去の使用車両
運行形態
駅一覧
- ※の駅は廃止された駅である。
- 背景色が■である部分は現在施設が供用されていない、または完成していないことを示す。
関連項目
出典