田中 隆三(たなか りゅうぞう、1864年11月14日(元治元年10月15日) - 1940年(昭和15年)12月6日[1])は、明治から昭和初期の農商務官僚・政治家である。衆議院議員[1]。文部大臣[1]。族籍は秋田県士族[2]。
経歴
出羽国楢山(のち秋田県秋田市)出身。田中隆世の長男[2]。秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)、大学予備門、1889年7月に帝国大学法科大学卒業。農商務省鉱山局長・農商務次官を経て、その後実業界に入り秋田鉱山専門学校(現秋田大学工学資源学部)の設立に尽力した。ついで政界に転じ、1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙で当選した。濱口内閣・第2次若槻内閣で文部大臣を務め、議員を7期務めて1932年(昭和7年)に引退した。所属政党は当初政友会であったが、のちに民政党に移った。
引退後は終生枢密顧問官を務めた。
人物
趣味の古銭蒐集鑑定で有名だった[1]。
親族
長男隆一郎の岳父に小坂善之助。娘昭子の舅に梅原龍三郎。[3]
栄典
- 位階
- 勲章等
著書
- 『教育勅語の御精神を拝察し奉りて』 (田中隆三)
- 『最新電気機関車工学』 (田中隆三)
- 『實用電氣機關車技術要覽 : 問答式』 (田中隆三)
- 『鉱業行政ニ就テ 鉱業法ノ論評』 (田中隆三、和田維四郎)
- 『鉱業行政一斑 全国諸鉱山同盟諸職工慈善共済会ノ設立ヲ望ム 職夫共済組合規約等』(田中隆三、沖龍雄、笠原鷲太郎)
- 『湘南電車の解説』 電気車研究会(発行人: 田中隆三)
- 『日本の鉄道』(石田靖一、田中隆三)
- 『新編電気機関車読本』(田中隆三)
- 『実用電気機関車工学』(田中隆三)
- 『鉱業法釈義』(宮部準次、田中隆三)
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
文部大臣 (1929年 - 1931年) |
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再編前 |
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再編後 | |
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省庁再編により、文部大臣と科学技術庁長官は文部科学大臣に統合された。テンプレート中の科学技術庁長官は国務大臣としてのもの。
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