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この項目では、サッカー選手の田中真二について説明しています。大相撲力士の田中真二については「鳰の湖真二」をご覧ください。 |
田中 真二(たなか しんじ、1960年9月25日 - )は、日本のサッカー選手、サッカー指導者。選手時代には左右のサイドバック、センターバック、守備的MFをこなす、守備のユーティリティープレイヤーとして活躍した。
来歴
1976年に浦和市立南高等学校(現さいたま市立浦和南高等学校)に進学。同級生の水沼貴史と共に1年次からレギュラーとなり、同年の全国高等学校サッカー選手権大会優勝に貢献、2年次にはベスト4に進出した。3年次には水沼と共に日本ユース代表に選出。1979年に中央大学へ進学すると同年夏に日本で開催されたFIFAワールドユース選手権に出場した。大学2年次の1980年には全日本大学サッカー選手権大会優勝に貢献した。
1983年に日本サッカーリーグ1部の日産自動車(現横浜F・マリノス)に入部。日産黄金時代の主力の一人として活躍した。また、日本代表にも大学時代から選出され、1980年のワールドカップ・スペイン大会予選、1984年のロサンゼルスオリンピック予選、1985年のワールドカップ・メキシコ大会予選に出場するなど国際Aマッチ通算17試合に出場した[1]。
Jリーグ発足直後の1992年、浦和レッドダイヤモンズに移籍。3バックを採用するチームの守備の要として活躍した。1994年には京都パープルサンガでプレーしたがこの年限りで現役引退した。
引退後は福島FC、大塚製薬(現 徳島ヴォルティス)のコーチを務め、1999年から当時日本フットボールリーグ(JFL)の大塚製薬の監督に就任、2003年、2004年とJFLで2年連続優勝し、J2昇格を果たした。2006年9月28日、徳島の成績不振を理由に辞任した。
2007年1月15日、関西サッカーリーグ1部のバンディオンセ神戸(現 Cento Cuore HARIMA)の監督に就任。JFL昇格を目指し関西リーグを2年連続で制し、全国地域リーグ決勝大会に挑んだが2007年は決勝ラウンド4位、2008年は1次ラウンド敗退に終わりJFL昇格を逃した。2008年12月24日、クラブが全所属選手のプロ契約を打ち切り、アマチュアチームに転換することを発表[2] したことに伴い監督を退任した。
2009年からは、サッカー解説者を務めている。
エピソード
- 愛称のパオとは、藤子不二雄の漫画『ジャングル黒べえ』に登場する象のパオパオが由来である[3]。
- 浦和時代の応援歌の元ネタはフランス民謡の「クラリネットをこわしちゃった」。当時のサポーターや選手からは「パオ」と呼ばれていた。
- 徳島ヴォルティスの選手や社員・サポートスタッフには「パオさん」と呼ばれていた(ちなみにサインも"PAO")。
所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
代表歴
出場大会など
試合数
- 国際Aマッチ 17試合 0得点(1980-1985)[1]
出場
指導歴
監督成績
年度 |
所属 |
クラブ |
リーグ戦 |
カップ戦
|
順位 |
勝点 |
試合 |
勝 |
分 |
敗 |
リーグ杯 |
天皇杯
|
1999 |
JFL |
大塚 |
6位 |
25 |
16 |
8 |
2 |
14 |
- |
2回戦
|
2000 |
4位 |
40 |
22 |
14 |
0 |
8 |
- |
3回戦
|
2001 |
2位 |
68 |
30 |
21 |
5 |
4 |
- |
3回戦
|
2002 |
3位 |
37 |
17 |
10 |
7 |
0 |
- |
3回戦
|
2003 |
優勝 |
72 |
30 |
23 |
3 |
4 |
- |
3回戦
|
2004 |
優勝 |
78 |
30 |
25 |
3 |
2 |
- |
2回戦
|
2005 |
J2 |
徳島 |
9位 |
52 |
44 |
12 |
16 |
16 |
- |
4回戦
|
2006 |
- |
26 |
39 |
6 |
8 |
25 |
- |
-
|
2007 |
関西 |
B神戸 |
優勝 |
39 |
14 |
13 |
0 |
1 |
- |
3回戦
|
2008 |
B加古川 |
優勝 |
40 |
14 |
13 |
1 |
0 |
- |
1回戦
|
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク