松井 清隆(まつい きよたか、1961年1月4日 - )は大阪府高槻市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
略歴
京都西高校・大阪体育大学を経て日本鋼管サッカー部、清水エスパルスでプレーしたGK。ポジショニングに優れた80年代の日本を代表するGKの一人で、日本代表として15試合に出場。特に1985年のワールドカップ・メキシコ大会アジア1次予選、敵地の北朝鮮戦における神がかり的なプレーは、諸般の事情によりTV中継がなかったにも関わらず、取材した数少ないメディア関係者を通じて語り草となっている[1]。同時期に代表でプレーした森下申一は学年が同じでGKとしての能力も同じように高く、良きライバルとして共に日本代表を支えていた。
引退後は指導者の道へ進み、2004年から2006年までは柳下正明監督の下でコンサドーレ札幌のGKコーチを務め、2007年に三浦俊也監督体制移行後はトップチームコーチを務めた。2011年より近畿大学サッカー部の監督に就任した。2020年10月に同大学サッカー部員による大麻使用が発覚して、サッカー部は無期限の活動停止処分となった。翌2021年2月2日付で近畿大学による監督退任勧告を受け入れて辞任した[2][3]。
2021年7月15日、FC大阪のテクニカルコーチに就任した[4]。
所属クラブ
個人成績
・JSL東西対抗戦(オールスターサッカー) 3回出場:1984年、1986年、1987年
その他の公式戦
代表歴
出場大会など
試合数
- 国際Aマッチ 15試合 0得点(1984-1988)
日本代表 | 国際Aマッチ |
その他 | 期間通算 |
年 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1983 |
0 |
0 |
2 |
0 |
2 |
0
|
1984 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0
|
1985 |
8 |
0 |
5 |
0 |
13 |
0
|
1986 |
2 |
0 |
5 |
0 |
7 |
0
|
1987 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0
|
1988 |
2 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0
|
通算
|
15 |
0 |
12 |
0 |
27 |
0
|
出場
指導歴
- 1993年 清水エスパルス:サテライト・育成GKコーチ
- 日本サッカー協会:ナショナルコーチングスタッフ
- 1996年-1997年 ガンバ大阪:ユースGKコーチ
- 1998年-1999年 ガンバ大阪:GKコーチ
- 2000年 近畿大学:コーチ
- 2001年-2003年 湘南ベルマーレ:GKコーチ
- 2004年-2006年 コンサドーレ札幌:GKコーチ
- 2007年-2008年 コンサドーレ札幌:コーチ
- 2009年-2010年 近畿大学:コーチ
- 2011年-2021年2月 近畿大学:監督
- 2021年7月- FC大阪:テクニカルコーチ
脚注
関連項目
外部リンク
- 松井清隆 - National-Football-Teams.com (英語)
- 松井清隆 - FootballDatabase.eu (英語)