清水勤二

清水 勤二 (しみず きんじ、1898年明治31年)1月22日 - 1964年昭和39年)1月10日)は、日本の教育者

名古屋工業大学初代学長を務めた。

来歴

明治31年 山口県防府市に生まれる。大正11年 短歌雑誌『水甕』社友、石井直三郎の選歌欄に入る。

大正12年 京都帝国大学工学部電気工学科を卒業する。大正13年 名古屋高等工業学校教授となる。

大正14年 短歌雑誌『青樹』創刊に際し、発行責任者となる。昭和15年 学位(工学博士)を受ける。

昭和19年 明治工業専門学校(現九州工業大学)校長となる.このころ漢詩に熱中し、『桑洲詩稿』一帖がある。

昭和21年 文部省科学技術教育局長となる.このころ、歌稿『武蔵野』 一帖成る。

昭和23年 短歌結社『青樹歌会』に加わる。昭和23年 名古屋工業専門学校長となる。昭和24年 名古屋工業大学初代学長となる。

昭和31年 日本工学教育協会会長となる。昭和31年 日本学術会議会員となる。

昭和31年 日本オペレーションズ・リサーチ学会副会長となる。

昭和32年 科学技術審議会専門委員となる。昭和32年 中央教育審議会臨時委員となる。

昭和36年 大同学園(大同大学)理事となる。昭和37年 名古屋市科学館長となる。

脚注

公職
先代
(新設)
市立名古屋科学館
1962年 - 1964年
次代
杉戸清
その他の役職
先代
池田亀三郎
日本工学教育協会会長
1956年 - 1958年
次代
井上英煕