しかしあまりにも巨大な施設のため、第13回世界青年学生祭典には間に合わないことが明らかになり、急遽両江ホテルと西山ホテルが建てられた[8]。その後ホテルの完成そのものが危うくなるにつれ、北朝鮮当局は不足している資金や建設技術を日本など西側の外資を誘致することで解決しようと画策、建設中にもかかわらず外国人ツアーの経路に柳京ホテルを入れたり、投資会社 (Ryugyong Hotel Investment and Management Co.,) を設立し、カジノを設置して日本人観光客を誘致する案を打ち出したりした[7]。しかし1992年に建設は完全に中断され、15年以上にわたり備品はおろか窓も外装すらないまま放置された。この中断の原因は資金不足や電源不足、「苦難の行軍」と呼ばれる広汎な飢餓のためと推測される。
長らく放置されたことで単独の建築物としては世界最大の廃墟であると言われ、アメリカのファッション雑誌『Esquire』は2008年に「人類史上最悪の建物」という題で柳京ホテルを「傾いた北朝鮮式シンデレラ城」と紹介した[9][10]。また『CNN』の選んだ「世界で最も醜い建物」の第1位に選出されている[11]。国際メディアからは「滅びのホテル (Hotel of Doom)」「幽霊ホテル(Phantom Hotel)」と呼ばれている[12]。一時は監視員が常時監視し撮影を固く禁じられ、NGOメンバーのマイク・ブラツケもシャッターを切ったため秘密警察に連行された[13]。平壌直轄市内の観光コースからも外されていた。
^Cramer, James P.; Jennifer Evans Yankopolus, ed (2006). Almanac of Architecture & Design (7th ed.). Atlanta, Georgia: Greenway Publications. p. 368. ISBN0-9755654-2-7
^ abNgor, Oh Kwee (1990-06-09). “Western decadence hits N. Korea”. Japan Economic Journal: 12.