松本電鉄バス(まつもとでんてつバス)は、アルピコ交通が運行する路線バスのうち長野県松本市を中心とするエリアの通称である。
愛称は2011年3月31日までの社名であった松本電気鉄道に由来する。2011年4月1日にアルピコ交通へ社名変更が行なわれたが、長年にわたり地域に親しまれたこと[1]や地元感情[2]を踏まえ、旧社名の「松本電鉄」も通称として残す方針となった。
この項では、前身である「松本電鉄」バス部門およびアルピコ交通本社、東京支社(旧アルピコ交通東京株式会社)、大阪支社(旧アルピコ交通大阪株式会社)のバス路線について記述する。
利用客の減少に伴う路線網の縮小と共に、拠点の統廃合が断続的に行われている。
松本、白馬、大町、池田、麻績(おみ)、明科、豊科、浅間、塩尻、辰野、新島々(11拠点)[古 1]
松本、白馬、大町、池田、明科、浅間、塩尻、新島々(8拠点)[古 2]
松本、白馬、大町、明科、浅間、塩尻、新島々(7拠点)[古 3]
松本、白馬、大町、浅間、塩尻、新島々(6拠点)[古 4]
松本、白馬、大町、浅間、新島々(5拠点)[古 5]
松本、白馬、大町、新島々(4拠点)
白馬営業所と大町営業所を川中島バスに移管[3]。これにより、現在は松本、新島々の2営業所のみである[注釈 1]。
また、冬季は路線運休のため休業する上高地バスターミナル内の事務所には車両・乗務員の配置はないが、「上高地営業所」を名乗る。
1984年(昭和59年)当時の営業エリアは、松本市、塩尻市、大町市、岡谷市、諏訪市、東筑摩郡全域、南安曇郡全域、北安曇郡池田町・松川村・白馬村・小谷村、諏訪郡下諏訪町、上伊那郡辰野町、小県郡丸子町であった[古 1]が、その後大幅に路線廃止を行ったことにより、現在の営業エリアは松本市、安曇野市(旧南安曇郡豊科町・四賀線が経由)、上田市(旧小県郡丸子町・鹿教湯温泉線が経由)、東筑摩郡山形村となっている。なお、塩尻市もごく僅か(空港 - 今井線、松本空港入口 - 信州スカイパーク体育センター間の、ごく一部)ではあるが経由している。[4]
松本発着の高速バス・特急バスは次の通り。各路線の停車場、停車時刻及び下記以外の各路線については、アルピコ交通のホームページ「アクセス信州」にて公開されている[5]。
各路線の停車場、停車時刻は、松本電気鉄道のホームページ上で公開されている[6][7]。
管内の路線は次の通りであり、路線に記されている[ ]内の数字は系統番号である。実際には途中折り返しも含めて、行先ごとに番号がつけられているため、[ ]内に矢印を付け、行き先と番号の関係を明確にしている。
系統番号の付番方式は、上記の路線図にも記されている通りであり、百の位が
を表し[注釈 2]、十の位が
のように経由地を表している。一の位は、
を表している。
2023年(令和5年)4月1日から松本営業所管内を走る路線バス(高速バス・特急バス・急行バスを除く)は全て市主導の公設民営バス『ぐるっとまつもとバス』に移行した。
松本市内を片方向循環する路線。多客期には増発される場合がある。この路線は1999年に松本市長が松本駅 - 松本城間における周遊バス運行を発案し、同時に松本電気鉄道も100円運賃による市街地循環バスを計画していたため、双方の計画をすり合わせることにより誕生した路線である。周遊バスが走る区間では松本駅を中心とした区域を100円均一区域を当時の190円均一区域内から分離する形で設定した。この路線の運行前は市街地におけるバス利用者はあまり多くなかったが、運行後は他路線も含め利用者が増加傾向となった(下記の利用状況参照)。
松本市はタウンスニーカー車両の導入などについて、経費の一部補助などを行っていた[8]。こうした運行形態もあり、乗換案内サイトなどでは「コミュニティバス」として扱われることもある[9]。
2008年7月16日から、運賃はそれまでの100円均一から、北コースと東コースは190円均一、南コースと西コースは150円ないし190円となった[10]。 2014年4月1日からは、消費税増税に伴い北コースと東コースは200円均一、南コースと西コースは150円ないし200円となった。タウンスニーカー専用一日乗車券は500円(小人250円)で、松本城などの沿線観光施設の入場料割引特典が付く。アルピコ交通直轄で30分間隔で運行されていたが、運転士不足や運行費の高騰などの理由から減便され、2018年6月時点では毎時1本に減らされていた。同年に松本市はタウンスニーカー全コースを公営化すると発表。7月2日にもタウンスニーカーは公営化され増便も行われた(ただし実際の運行はアルピコ交通)。この時点で南コースに限りキャッシュレス実証実験が行われている。2023年4月1日に南コースと西コースは減便し西コースは松本島内線に統合され廃止された。 タウンスニーカーの車両は、専用デザインの日野・ポンチョが使用されており、草間彌生デザインの「クサマバス 水玉乱舞号」[11](ポンチョ11020号車)、アルプちゃん号などの特徴的なラッピングバスも運行している[12][13]。なお、草間彌生は松本市出身の芸術家であり、タウンスニーカーが経由する松本市美術館に作品が収蔵されている。過去には専用カラーの日野・レインボーHRが使用されていた(一般色のレインボーHRが代走する場合もあった)。
以降は『[230] 西コース:松本駅アルプス口→なぎさライフサイト→丸の内病院→合同庁舎→信濃荒井→なぎさライフサイト→松本駅アルプス口』の経路で運行されてきた。
→各コースの停車場、停車時刻及び路線図
※「平均乗車密度」とは、ある系統のバス1便あたりの平均利用者数で、始点から終点まで平均して全ダイヤ全区間にバスに乗車している人数のことである。
カーブの多い山岳路線のため座席定員制で立席乗車ができない。満席の場合は増車して対応するが、松本地区発は増車できないので新島々バスターミナルまで並行する別便(高山行きなど)に便乗となる。運賃は区間制だが前払い。上高地から新島々・白骨温泉・乗鞍高原行きに乗車する際には整理券が必要で、窓口で切符の提示か購入時に当日分から2日後分まで受け取ることができる。発車10分前になると番号順に案内する。帝国ホテル前と大正池からは乗車できない。
2017年3月上旬から、アルピコ交通上高地線の駅ナンバリング導入に合わせて管内の全路線で停留所ナンバリングを導入している。
長野県内の自治体から、以下のバスの運行委託を受けている。
主に松本バスターミナルを起点に長野県中部の観光地へ定期観光バスが運行されていて、次のようなコースが設定されていた。一部コースでは浅間温泉・美ヶ原温泉からも乗車・降車可能であった。
塩尻市内は山塩線を除く廃止バス路線は塩尻市が引き継いだ。
大町営業所は黒部線以外の所管路線とともに、1980年代後半(昭和60年代前半)に川中島バスに移管された。
現在、明科駅発着の生坂村営バスが一日のうち4便、かつてあった小立野線を経由して運行している。
2012年(平成24年)11月、「アルピコ交通東京支社」東京営業所を東京都板橋区東坂下に開設[28]。
2015年4月1日に「アルピコ交通東京株式会社」として分社化した[29]。2017年12月にはアルピコ交通東京江戸川営業所を江戸川区北葛西に開設したが[30]、その後情勢の変化に伴い2021年12月1日付でアルピコ交通に吸収合併され[31]、元のアルピコ交通東京支社という体制に戻っている。 2024年4月1日、板橋営業所を大田区大森南に移転し、東京営業所に改称。
中央高速バスをはじめ東京都内発着、および埼玉県内の一部を発着する高速路線バス・観光バスを所管する。
1992年8月3日、西東京バスと北陸鉄道の共同運行として運行開始。2020年3月31日をもって北陸鉄道が撤退し、翌4月1日から2022年4月21日まで西東京バスの単独運行状態が続いていた。
2016年(平成28年)10月1日、大阪市大正区に「アルピコ交通大阪株式会社」設立。その後、2019年(平成31年)4月1日にアルピコ交通に吸収合併され「アルピコ交通大阪支社」となった。大阪府内を発着する高速路線バス・観光バスを所管する。
いすゞ・三菱ふそう・日野の3メーカーを導入しており、日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)製は導入していない。
本節では以下、GI(グループアイデンティティ)導入に伴い設定されたアルピコグループ共通色を「アルピコカラー」と表記する。
高速車は36人・38人乗りトイレ付のハイデッカー[40]。2009年夏には中央高速バス新宿 - 松本線にセレガハイブリッド (RU1ASAR) が導入されて活躍した。
貸切車は、2000年代前半まで入口に当たる釜トンネルに厳しい車高制限・急勾配・急カーブがあり、途中の道路環境が厳しい上高地への輸送に対応した、全長11m級のミドルデッカーが主体[40]であるが、スーパーハイデッカー車両も存在する。一時期、定期観光バス用にダブルデッカーを導入したことがある[40]。
塗装デザインは、当初は路線車と同様の色であったが、1985年に貸切バス販売センターとして「信州観光バスセンター」が設立されるのと同時期に銀色ベースにブルーとピンクの帯を入れたカラーリングに変更された[41]。さらに1990年12月からGI導入に伴いアルピコカラーが導入されている[42]。
路線バス車両は、冷涼地であることから長らく冷房車の導入に消極的で、自社発注車両は1991年まで非冷房車の導入であった。特に1988年に導入されたいすゞ・キュービック (P-LV314L) は、T字形の半固定窓を装備した車両ながら非冷房車であった[43]。1992年の導入車両から冷房装備とされ、同時期から京阪バスや淡路交通・山陽電鉄バス・大阪市営バス・神戸市営バス・都営バスなどの移籍車の導入も始まった[43]。現在は京王電鉄バスグループや横浜市営バス・東急バス・川崎鶴見臨港バス・神奈川中央交通・国際興業バスなどからワンステップ車やノンステップ車が移籍してバリアフリー化が進んでいる。
1994年、ハイブリッドバスの日野HIMRが新島々営業所に新製配属されて上高地線で運行を始め、以後も継続的にHIMR車の導入を進めたことから、1999年には環境庁(当時)から自然環境功労者表彰を受けた。さらに2001年からはセレガHIMRも加わり、2000年代は新島々営業所所属車はほぼ全車がハイブリッドバスだった。その後ハイブリッドバスの経年とディーゼルエンジンの低公害化により、2022年時点では新島々営業所所属車は座席にコンセントを装備したディーゼルエンジンのいすゞ・ガーラと日野・セレガが主力となっている。
過去の車両で特筆すべきものとしては、1973年から1975年にかけて、ボンネットバスを置き換えるため北村ボディを架装したいすゞ・BU10Kが挙げられる。これらは当初上高地線を走り、その後松本や白馬などの各地に転属、一部は長野オリンピックの観客輸送も担当[43]し、翌1999年秋にさよなら運転を行って廃車となった。これらの車両の一部はGI導入に伴う塗装変更でアルピコカラーに塗り替えられ[43](ギャラリーの写真も参照)、中にはアルピコカラーをまとったバス窓の車両も存在し[43]、1997年時点でも長野オリンピックの輸送準備のため保管されていた[40]。
1991年に路線バスにアルピコカラーが導入された時点での塗装の地色はすべてアイボリーホワイトだった[42]が、鹿教湯温泉線用のリフトバスがデビューした1995年以降の導入車両は、基本的にハイブリッドバス・ノンステップバス・ワンステップバスはパールホワイト、そうでないツーステップ車はアイボリーホワイトになっている。
2009年12月に、翌2010年の松本電気鉄道創立90周年を記念して、当時最古参の路線車だった1984年製三菱P-MP118M「松本22あ1461:社番10480」をアルピコカラー導入以前の旧塗色に塗り変え「メモリアル号」と命名し、同年12月14日から一般路線で運行開始した[44][45][46]。同車はその後経年により現役を退き、現在は長野支社管内の車庫で保管されている。