日立港(ひたちこう)は、茨城県日立市に存在した重要港湾。2008年12月25日、常陸那珂港、大洗港と統合され茨城港に抱合され、独立した港格が消滅した。
概要
奈良時代以前から港湾として使用されてきた記録がある[1]が、商港として本格的に稼働したのは戦後になってからである[1]。
日立港がある日立市は日立製作所の企業城下町で、当時同社の工場で作成されていた大型の発電機[2]などは、鉄道など陸路での輸送が困難なことから埠頭の開発が行われた[1]。そのほかの取扱品としては、石油製品、鉱産品、木材など。特に自動車はドイツ・ダイムラー社からの輸入自動車が多く、豊橋港と並んで日本における輸入拠点となっている。近年ではフランスのルノーも陸揚げ港として利用しており、また日産自動車栃木工場(上三川町)も北米向け「インフィニティ、GT-R」輸出港として2010年5月24日から使用を開始している。
平成20年には年間約1900隻の船舶が入港しており[3]、取扱貨物量は500万トンを超える。また、常磐自動車道の日立南太田インターチェンジからも近く、東日本全体の物流基地として重要な地位を占める。
北側に久慈漁港が隣接する。
1976年に函館空港に強行着陸したMiG-25をソビエト連邦に返還する際に使用された[4]。
日立港区内にはなぎさ公園という公園がある[5]。
所在地
茨城県日立港湾事務所の住所:茨城県日立市久慈町1-3-21[6]
歴史
日立市を中心とする沿岸地域は、日立製作所をはじめとする国内有数の工業地帯として発展してきたが、工場で生産される大型重量貨物の運搬は、当初国鉄をはじめとする陸上輸送がその中心であった。しかし、高度経済成長とともに陸上輸送は限界を迎え始めたため港湾の開発が発議され、1957年(昭和32年)6月、釜坂の地に久慈商港として埠頭の建設が起工された[7]。当初の港湾建設工事は、全国でもまれにみる難工事で、大規模かつ急を要したが、着工して2年余り後の1959年(昭和34年)10月に日立港と改称されて開港し、待望の第一船が入港した。
その後、港勢はますます発展し、1967年(昭和42年)6月の関税法に基づく開港指定を受けて以来、内航船とも逐次増加し、1993年(平成5年)には港則法による特定港の指定を受けた。
2008年(平成20年)12月には、日立港とともに茨城県内の重要港湾に指定されていた常陸那珂港と大洗港の3港湾が統合されて、茨城港の港区のひとつという位置づけとなったことにより、茨城港日立港区と改名された。
沿革
港湾施設
(出典:[9][10])
- 第1埠頭:石油製品や石炭などを取り扱う。
- 第2埠頭:タルクなどの工業原料を取り扱う。燻蒸倉庫がある。
- 第4埠頭:共用バースにはコンテナ船や生鮮品を積んだRO-RO船が入港する。また、日立製作所等の専用バースがある。埠頭内に日立港物流センター(日立埠頭所有)及び日立製作所のみなと工場がある。
- 第5埠頭:輸出入自動車の陸揚げ埠頭と東京ガスのLNG基地がある。また、小型船だまりがあり、タグボート(曳船)や釣り船の係留地にもなっている。
(第3埠頭は現在、平成30年(2018年)4月に供用開始予定。)
LNG基地
2015年に東京ガスのLNG輸入基地が完成[11]。同年11月9日に初のLNG船が入港し[11]マレーシア・サラワク州ビンツル産LNGを陸揚げした。
2016年3月に営業運転を開始し、真岡市までパイプライン81.3kmを建設して既存のパイプラインと接続して供給を行う[11]。
定期航路
- RO-RO船「ほくれん丸」「第2ほくれん丸」(川崎近海汽船)
- RO-RO船「新北王丸」「勇王丸」(川崎近海汽船と三菱ケミカル物流の共同運航)
- コンテナ航路
日立港まつり
毎年夏に、港湾関係者や市民が実行委員会を作り開催している。護衛艦や巡視船の体験乗船[17]や、花火大会などが行われる[17][18]。
日立灯台
日立港が重要港湾になるのに併せて、1967年に日立港の北、古房地鼻に設置された灯台[19]。
遠隔操作による無人式で運用されている。
脚注
関連項目
外部リンク
- 日立港 - いばらきの港ホームページ(茨城県港湾振興協会連合会)
- 日立埠頭