大洗港(おおあらいこう)は、茨城県東茨城郡大洗町に存在する港湾。2008年12月25日、日立港、常陸那珂港と統合され、新港名茨城港に抱合。独立した港格が消滅し、茨城港大洗港区に改められた。
概要
江戸時代から大洗は漁港として栄え、涸沼川河口が海上運搬の拠点として用いられていたが、河口部の水深確保が困難となり、外海部に新港建設が計画された。
1909年(明治42年)から大正初期にかけて、事業費30万円余をかけ「磯浜港」として港湾建設を図ったが、完成間近の1917年(大正6年)に漂砂が堆積し漁船の係留地を失い、応急策として涸沼川の一角に漁港「第二種磯浜港」が建設された[1]。
磯浜築港建設が、漂砂の影響を受けて中断されてから50年余りが経過し、同じ場所に新たな築港計画により産業港が計画された[2]。
昭和30年代より、漁船の大型化もあり港湾を建設しようとする機運が高まり、1958年(昭和33年)12月の地方港湾指定の後1961年(昭和36年)から港湾建設に着手[3]。1964年(昭和39年)に港名を「磯浜港」から「大洗港」に改め[4]、1970年(昭和45年)に大洗港としての第1船が入港し1971年(昭和46年)に第1埠頭、1978年(昭和53年)に第2埠頭が完成[3]。1979年(昭和54年)までには、約80億円の建設費を投じ漁港区が概成された[5][1]。港湾開発については運輸省やシェル・スタンダードなど海外資本の石油会社から石油基地整備の打診があったほか、材木の需要拡大を踏まえて木材港の整備も検討されたが、観光と関連が深く公害が少ないとの理由から大洗町が長距離フェリー埠頭の整備を決定[6]。
1979年(昭和54年)5月に重要港湾の指定を受けると、長距離フェリー寄港を前提とする港湾計画が策定され、第3埠頭岸壁(喫水8m)の整備に着手[5]。北海道から首都圏の間において従来の房総半島を迂回し約30時間を要する東京港ルートと比較し大洗発着の場合は約20時間と大幅な短縮を見込めることから[7]、1972年(昭和47年)から1982年(昭和57年)にかけて8社が大洗へのフェリー航路を申請し[8]、特に苫小牧と室蘭の間で「苫蘭(止まらん)戦争」とも揶揄される激しい誘致合戦が生じたが[9][7]、その後1984年(昭和59年)に日本沿海フェリー苫小牧航路と東日本フェリー室蘭航路に免許が下り[10]、1985年(昭和60年)2月にはフェリーターミナルが竣工し3月16日よりカーフェリー航路が就航[11]、首都圏と北海道を結ぶカーフェリー基地として発展した[5]。
1992年(平成4年)7月には、大型クルーザーなど約160隻が保管できる県内初の公共マリーナが供用を開始する。また1993年(平成5年)にはフェリー埠頭の水深7.5mから8mへの拡張やとマリーナ地区を含むレクリエーション地区を0.6ha拡張し3.5haとする変更計画を決定[12]。
1994年(平成6年)には大洗埠頭開発により総工費10.8億円をかけ[13]、フェリーの増便に対応した従来の2倍の規模を持つ新旅客ターミナルビルやボーディングブリッジが10月31日に完成[14][11]、機能性・快適性・利便性に優れた港となって賑わいをみせている。
また、1995年(平成7年)10月には、大型クルーズ客船も接岸できる第4埠頭が完成し、新たに海洋レクリエーション基地としての機能も高めており、2008年には首都圏初のみなとオアシスに認定された[15][16]。
旅客港としては、1999年(平成11年)の東京港発着の北海道苫小牧港行き旅客フェリー廃止により、関東地方一円から苫小牧港への徒歩客や団体客、自動車利用客を集め、物流港や漁港の機能も持つとともに、特に夏場の北海道ツーリングの関東地方の拠点であり、また港湾地区にはタワーやアウトレットモールができ、一般人が親しみやすい港湾となっている。
2008年(平成20年)12月25日、茨城港(大洗港区)として抱合され、独立した港格が消滅した。
2011年(平成23年)3月11日には、東北地方太平洋沖地震により大洗港で巨大渦潮が発生した。これにより港内に大量の土砂が流入し、水深が大幅に減少した。このため、2011年以降に入港する船舶については、喫水制限が設けられている。
2019年(平成31年)3月12日、港一帯がみなとオアシス大洗として、みなとオアシスの認定を受けた。
関連施設
- 大洗港フェリーターミナル(第3埠頭)
- 大洗埠頭開発ビル(新館 鉄筋コンクリート造3階建て2,695平米[14])
- 1階:フェリー会社事務室、発券ロビー[14]
- 2階:待合室[14]、売店「大洗まいわい市場2号店」[17](旧レストラン「ポートサイド」)、喫煙室、中央西岸壁バース・大洗港フェリーターミナル方面人道橋
- 3階:会議室、物流企業オフィス
- 大洗港フェリーターミナルビル(旧館 鉄筋コンクリート造[18]3階建て 物流企業オフィス・中央東岸壁バース方面人道橋)
- 第4埠頭「イベントバース」
- 茨城県大洗マリーナ(おおあらい海の駅)
- 大洗漁港(水産埠頭)
- 大洗マリンタワー - みなとオアシス認定施設
- 大洗サンビーチ
- 大洗海浜公園
- 大洗わくわく科学館
- 大洗シーサイドステーション
定期航路
- 過去の航路
- 大洗港 - 室蘭港(東日本フェリー 1985年(昭和60年)3月16日 - 2002年(平成14年)6月1日)
- 東京港 - 大洗港 - 苫小牧港(ブルーハイウェイライン 1997年(平成9年)9月 - 1999年(平成11年)4月)
アクセス
- 自動車
- 鉄道
- バス
- 2004年から2006年には茨城交通「東京 - 大洗 - 勝田線」が下り便のみ停車。
出典
- ^ a b 大洗港のあゆみ - 大洗町
- ^ 茨城県映画『海岸線を行く』(1965年(昭和40年度)制作)▼ - Youtube「なつかし・いばらき」(茨城県庁映像アーカイブス)
- ^ a b 渡邊瑛季, 阿部依子, 伊藤瑞希, 猪股泰広, 王瑩, 名倉一希, 松原伽那, 山下清海「茨城県大洗町における海浜観光地域の継続的発展要因」『地域研究年報』第38巻、筑波大学人文地理学・地誌学研究会、2016年2月、1-29頁、CRID 1050282677536954880、hdl:2241/00138401、ISSN 18800254、NAID 120005741407。
- ^ 運輸公報 1964年4月14日(運輸省)
- ^ a b c “茨城港湾事務所大洗港区事業所”. 茨城県ホームページ. 茨城県 (2015年12月2日). 2016年1月10日閲覧。
- ^ 海に向かう10 第2部・刻まれた歴史 水運・フェリー - 朝日新聞1993年3月17日朝刊茨城版
- ^ a b 「北航路」~苫小牧港フェリー就航30周年~ (2)「苫蘭戦争」 - 苫小牧民報2002年4月26日(Internet Archive)
- ^ 大洗航路開設で沿海F、東日本F、近郵の三社申請 - 内航近海海運1984年3月増刊号
- ^ Vol.4「さんふらわあ」北へ! #2」 - カジュアルクルーズさんふらわあ(商船三井)
- ^ 運輸日誌 主要発表事項(六月一日 - 六月三○日) - トランスポート1984年8月号(運輸振興協会)
- ^ a b 記念式典 - 大洗町議会議員 今村かずあき 活動報告ブログ(2015年3月23日)
- ^ 大洗港の計画手直しを可決 県港湾審 - 朝日新聞1993年10月10日茨城版
- ^ 新フェリーターミナルが完成大洗港 - 朝日新聞1994年11月5日朝刊茨城版
- ^ a b c d news Flash 大洗港フェリーターミナル竣工 - 港湾1995年1月号(日本港湾協会)
- ^ 茨城港大洗港区|いばらきのみなと 茨城県港湾振興協会連合会ホームページより。
- ^ みなとオアシス大洗 - 大洗町
- ^ oaraimaiwaiのツイート(1686270842328748032)
- ^ 全建賞港湾部門 大洗港のフェリー埠頭整備事業 - 月刊建設1986年8月号(全日本建設技術協会)
関連項目
外部リンク
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