稚内港(わっかないこう)は、北海道稚内市にある港湾。港湾管理者(ポート・オーソリティ)は稚内市。日本国の実効支配が及ぶ領域では最北にある港湾法上の「重要港湾」、港則法上の「特定港」である。
概要
道北の産業や生活に関わる物流の拠点であるほか、沿岸漁業や沖合漁業の基地、利尻島・礼文島やロシア・サハリン州との間をフェリーや旅客船で結ぶ連絡港としての役割がある。また、「サハリンプロジェクト」に関する支援基地として活用する動きがある[3]。2007年(平成19年)には北海道第1号のみなとオアシスにみなとオアシスわっかないとして登録されている[4][5]。
港湾施設
「稚内港港湾要覧」参照
灯台
- 稚内灯台
- 北防波堤灯台
- 北洋ふとう北防波堤灯台
- 第二副港防波堤灯台
- 東防波堤西灯台
- 北副防波堤東灯台
- 東防波堤東灯台
防波堤
- 北防波堤
- 北副防波堤
- 東防波堤
- 第二副港防波堤
- 第一副港防波堤
- 北洋ふ頭北防波堤
- 北洋ふ頭南防波堤
- 木材取扱施設東防波堤
- 末広防波堤
岸壁
大型けい船岸壁
- 末広地区
- 天北地区
- 天北1号ふ頭北岸壁
- 天北1号ふ頭西岸壁
- 天北1号ふ頭東岸壁
- 天北2号ふ頭西岸壁
- 天北2号ふ頭東岸壁
- 北地区
- 北ふ頭けい船岸壁
- 北ふ頭南岸壁A
- 北ふ頭南岸壁B
- 中央ふ頭-7.5 m北岸壁(基部)
- 中央ふ頭-5.5 m北岸壁
- 中央ふ頭-6.0 m北岸壁
- 中央ふ頭-7.5 m北岸壁(先端)
- 中央ふ頭南岸壁
- 中央ふ頭-5.5 m南岸壁(基部)
- 中央ふ頭-6.0 m耐震岸壁
- 港地区
- 北洋ふ頭第1南岸壁
- 北洋ふ頭第2南岸壁
- 北洋ふ頭-6.0 m北岸壁
- 北洋ふ頭-7.5 m北岸壁
- 北洋ふ頭改良岸壁
- 第一副港岸壁
- 第二副港岸壁
小型けい船岸壁
- 末広地区
- 天北地区
- 天北1号ふ頭物揚場
- 天北1号ふ頭物揚場2
- 天北船だまり物揚場
- 天北2号ふ頭物揚場
- 天北2号ふ頭東物揚場
- 恵比須地区
- 北船だまり物揚場(西側)
- 北船だまり物揚場(北側)
- 港地区
定期航路
国内航路
国外航路
官公署
沿革
稚内港は江戸時代の天明年間に松前藩が運上屋を置き、漁業開拓により魚介類の搬送を行ったことが始まりとされている。明治には北海道北部開拓の玄関口に位置づけられ、日露戦争を経て日本が南樺太(現在のサハリン州南部)を領有すると、稚内は樺太への最短航路として本格的な往来が始まっていった。太平洋戦争後は樺太との航路(稚泊連絡船)は途絶えてしまうが、稚内港は北洋漁業や天北炭田の拠点港、利尻島・礼文島への連絡港などとしての港湾整備が行われていった。
サハリン航路
戦後のサハリン航路については、1989年(平成元年)にホルムスク(旧称真岡)へのサハリン観光のツアー船が稚内港を出港し[8]、1991年(平成3年)にはコルサコフ(旧称大泊)へのツアー船が出港した[9]。1995年(平成7年)には、ロシア船によるコルサコフ航路が定期航路(季節運航)として50年ぶりに復活し[10][11]、1999年(平成11年)からは東日本フェリー(現在のハートランドフェリー)によるコルサコフ航路が運航開始した[12][13]。資源開発「サハリンプロジェクト」が一段落すると利用者の減少が顕著になり[14]、査証(ビザ)を免除してのサハリンツアーを催行する対策を講じたが[15]、2012年(平成24年)にはロシア側からコルサコフ港の港湾施設使用料の50 %値上げを通告された[16]。2014年(平成26年)にハートランドフェリーはサハリン航路からの撤退を表明し[17]、2015年(平成27年)に運航終了した[18]。2016年(平成28年)に稚内市は第三セクターの「北海道サハリン航路」を設立し[19]、ロシアの「サハリン船舶会社」(SASCO)と運航契約を締結して運航再開した[20][21]。
年表
脚注
注釈
出典
参考資料
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
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外部リンク