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この項目では、松本清張の小説およびその派生作品について説明しています。1987年のアメリカ映画については「張り込み」をご覧ください。 |
「張込み」(はりこみ)は、松本清張の短編小説である。初出は『小説新潮』1955年12月号である。1956年10月に短編集『顔』収録の1編として、講談社ロマンブックスより刊行された。
1958年に松竹で映画化されたほか、数度にわたりテレビドラマ化もされた。有川博による朗読CDが、2003年に新潮社より発売された。
概要
著者の松本はのちに、この作品の発想が、何気なく読んだ昭和30年(1955年)頃の新聞記事から始まったと回想した。記事の内容は、東京下町のある商店に強盗が入り、主人を殺して逃走、被疑者は九州の某県のある町に家があり、1年前から妻子を残して東京に出稼ぎに来ていたことが判明したため、警視庁から2名の捜査員が出張、九州の被疑者の家に張込みすることになった、というものであった。松本は最初、家で待っている犯人の妻を刑事の眼から見る筋を考えていたが、設定を変更し、犯人と恋仲であった女性が他家に嫁いでいるということにしたと述べた[1]。
あらすじ
警視庁の柚木刑事は、東京・目黒で発生した強盗殺人事件の主犯・石井を追って、石井の昔の恋人・横川さだ子が嫁ぐ九州S市に向かう。横川家近くの旅館で張り込みを開始した柚木だが、銀行員の後妻となったさだ子はただただ単調な日常生活を繰り返すのみ。本当に石井は現れるのか。柚木にも焦りが募る。
登場人物
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書誌情報
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映画
松竹大船製作、松竹配給にて1958年1月15日に公開された。野村芳太郎が清張原作映画の監督を務めたのは、本映画が第1作となる。脚本は橋本忍が、クレジットされていないものの助監督は山田洋次[注釈 1]が務めた。1958年度キネマ旬報ベストテン第8位に選出され、1989年「大アンケートによる日本映画ベスト150」(文藝春秋発表)では第94位にランキングされている。
- 映画版の特徴
- 原作では張り込みを行うのは柚木刑事1人だが、映像的な効果と刑事側の内面の焦りを表現するため、若手の柚木、ベテランの下岡の2人の刑事を登場させた。舞台は原作のS市として、清張に関係の深い(妻の実家がある)佐賀県の佐賀市に設定された[注釈 2][注釈 3][注釈 4]。なお、原作では柚木と同世代と見られる下岡は冒頭のみ登場し、石井の故郷・山口県に向かい、別行動をとる。
- キャスト
- スタッフ
- エピソード(映画)
- 本映画の企画は『顔』と同時期に始められた。企画の小倉武志は、当時大船調が全盛だった松竹で、女性路線ばかりでなく男性路線もやろうと考えて、社長の城戸四郎を説得、当初反対した城戸が許可したことで、映画化が決定した。
- 映画化が決定したのち、脚本を担当する橋本忍は、当時練馬区関町にあった原作者の自宅を訪問した。この時橋本はまだ「(本映画の脚本を)どうしていいかわからない」状況であったが、警視庁の刑事の実際の捜査は二人で行動するものでは?と話を切り出した橋本に対して、清張は「いっしょに警視庁に行こうじゃないですか」と提案し、二人で警視庁を訪問、この結果、映画に関する警視庁の協力を取り付けることに成功した。橋本はこのことに関して、「自分が切り出していっしょに行って、警視庁の協力まで取って、それで作品を少しでもよくしようという、そういう原作者は少ないですよ」「非常に感動的に残った」と回顧した。
- 野村芳太郎は、この映画を以下のように回想した。「自分はあの時38歳だった。B級映画ばかり撮らされて、ここでとにかくクリーンヒットというか、自分の作家生命を賭けたものを撮りたい。それが『張込み』だったので、一歩も引かずにやった」。野村は、本映画の時はテクニックが全くわからなくて、ただがむしゃらに自分が決めたことをやってみた。だから『砂の器』より『張込み』に対しての思いのほうが強い、と答えた。野村は、原作者の警視庁への口利きを得て、助監督の山田洋次と共に、深川署の殺人担当の刑事に毎日ついて歩き、追跡取材を行った。
- 山田洋次は当時、他の助監督から「監督の才能がないからやめろ」と言われたが、野村のもとに相談に行ったところ、野村にシナリオを書くよう言われ、本映画の縁で橋本忍に弟子入りし、のちの『ゼロの焦点』では橋本と脚本を共作することになった。
- 佐賀のロケでは、一万人の見物客が出た。多数の群衆の中で撮影の行われた佐賀駅では、人よけのためにロープを結び付けた駅舎の柱がズルズルと動き出し、警察が中止を求める騒ぎとなった[13]。また、大木実ら主演俳優の宿泊した旅館の周りをファンが取り囲み、警官隊と押し合いになった。
- 温泉の場面は原作では「川北温泉」とされ、佐賀市北部の川上峡温泉がモデルと推定されるが、映画では、宝泉寺温泉で撮影された。この理由を野村芳太郎は「俗世と温泉とのコントラストをより際立たせたくって、山の奥に行きたかった」として、自分がロケハンしてたどり着いたのが同温泉だったと説明した。同温泉には当時旅館が3軒あるのみであり、最も奥にある旅館が撮影に使われたが、この旅館は現存しない。
- 当時の鉄道風景が丁寧に描かれるのが本映画の特徴の一つである。長大なアバンタイトルで有名な冒頭の列車移動シークエンスの車中は、実際に九州行き急行列車「筑紫」の最後尾に貸切の三等客車を1両増結して撮影された。撮影陣を始め、大木と宮口、大勢のエキストラ(大部分は佐賀ロケに赴く撮影スタッフ等が兼務した)が一昼夜乗りつづけながら、車中の様子(東海道本線の夜行区間は満員のため通路に座り込み、夜が明けてからの山陽本線区間でようやく座席に座り、シャツを脱いで下着姿で暑さをしのぐ)をリアルに撮影した。途中通り過ぎる主要駅のカット挿入、別撮りした列車走行風景とで、1000km以上に及ぶ旅の長さを印象付けた。ただし、作中では夜行急行「さつま」を利用して東京から佐賀へ向かう設定であるが、その際に乗換えとなる鳥栖駅のシーンは映画中存在しない[注釈 5]。
- 当初の公開予定は1957年のシルバーウィークであった。しかし野村の意向により撮影が長期化、封切りは延期となった。松竹の製作部長が「何とか妥協して帰ってきてほしい」と説得に来たが[18]、野村は帰らず、城戸は激怒した。原作者は原作よりいいと本映画を非常に褒め、特に冒頭の列車に乗り込む部分を褒めたという。列車に乗り込む場面は主演の大木によれば、本物の横浜駅で実際の列車にぶっつけ本番で飛び乗っており、幸いにも一発OKであったが、仮にNGだった場合は次の大船で下車して翌日の同時刻に撮影する予定だったそうである。
- 同作でチーフ撮影助手を務めた川又昂によれば、佐賀駅での撮影は全て大船撮影所から持ち込んだクレーンによる移動撮影で、また夏の暑さを表現する光度の関係を考慮して、空に雲が少しでもかかった場合は撮影を中止するほどの凝りようだったという。
テレビドラマ
上記の映画版を踏襲して、若手とベテランの2人の刑事が張り込む筋立てとなった。舞台は九州に限らず、それぞれ全国各地に設定された。
1959年版
1959年7月10日、KRテレビ(現:TBS)系列の『サンヨーテレビ劇場』枠(22:00 - 22:45)にて放映された。
- キャスト
- スタッフ
1960年版
1960年8月29日と9月5日、KRテレビ(現:TBS)系列の『ナショナル ゴールデン・アワー』枠(20:30 - 21:00)、『松本清張シリーズ・黒い断層』の1作として2回にわたり放映された。
- キャスト
- スタッフ
1962年版
1962年8月23日と8月24日(22:15 - 22:45)、NHKの『松本清張シリーズ・黒の組曲』の1作として2回にわたり放映された。
- キャスト
- スタッフ
1963年版
1963年12月8日、NETテレビ(現:テレビ朝日)系列の『日本映画名作ドラマ』枠(日曜 22:00 - 23:00)にて放映された。1958年公開映画のテレビ版リメイクである。
- キャスト
- スタッフ
1966年版
1966年2月22日、関西テレビ制作・フジテレビ系列(FNS)の『松本清張シリーズ』枠(21:00 - 21:30)にて放映された。
- キャスト
- スタッフ
1970年版
1970年12月7日から1971年1月11日まで、日本テレビ系列の『ファミリー劇場』(21:00 - 21:56)内にて6回にわたり放映された[23]。ギャラクシー賞第15回期間選奨受賞(八千草薫)作品である。
- キャスト
- スタッフ
1976年版
ドラマタイトル「裁きの夏」。1976年8月30日から9月24日まで、日本テレビ系列の『愛のサスペンス劇場』枠(13:30 - 13:55)にて20回にわたり放映された。
- キャスト
- スタッフ
1978年版
「松本清張おんなシリーズ・張込み」。原作通り、張り込みは柚木独りに、犯人の名前は玉井に設定された。吉永小百合主演のメロドラマ風に仕上がった。1978年4月2日、TBS系列の『東芝日曜劇場』枠(21:00 - 21:55)にて放映された。視聴率は19.9%であった(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。
- キャスト
- スタッフ
1991年版
「松本清張作家活動40年記念・張込み」。1991年9月27日、フジテレビ系列の『金曜ドラマシアター』枠(21:02 - 22:52)にて放映された。視聴率は18.8%であった(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。地元・愛媛の所轄署の田舎刑事・上岡が、警視庁エリートの柚木の相棒という設定である。
- キャスト
- スタッフ
1996年版
1996年4月5日(21:00 - 22:49)、テレビ東京系列にて放映された。「松本清張原案・時代劇スペシャル 文吾捕物絵図 張込み」として、時代劇に設定を移した異色作である。
2002年版
「松本清張没後10年記念・ビートたけしドラマスペシャル・張込み」。2002年3月2日(21:00 - 23:21)、テレビ朝日系列にて放映された。柚木をベテランに、下岡を若手エリートにと設定を入れ替えた。主な舞台は群馬県桐生市に設定された。ラストは原作と異なる。第39回ギャラクシー賞奨励賞を受賞した。2002年文化庁芸術祭参加作品である。
- キャスト
- スタッフ
2011年版
「松本清張特別企画・張込み」。2011年11月2日、テレビ東京系列の「水曜ミステリー9」枠(21:00 - 22:48)にて放映された。ドラマの主要な舞台を松本市とする。
- キャスト
- スタッフ
脚注
注釈
- ^ 山田洋次自身が発言[2]。川本三郎はのちに、山田がクレジットされていない理由について「まだ新人だったから」と話している[3]。川本によれば、山田は「高峰がバスに乗っていき、それをタクシーが追いかけるが、突然、空撮になる。お金のかかる空撮が入るのは「この映画は大作だぞ」という野村のメッセージだった」と語っているという[4]。
- ^ 川本三郎の著書にロケ地が紹介された。
- ^ 清張は戦後生活が苦しかった頃、妻の実家の近くで帚の仲買いを行っていた[6]。
- ^ 映画冒頭のアバンタイトルで、佐賀まで向かう鉄道の旅が、当時の日本映画としては異例の長尺12分で撮影された。冒頭の部分でかなりカットされたものがあるとされている[7]。
- ^ 大木実は、ビデオ化の際にカットされたと発言した。のちに山田洋次はこの説を否定し、編集でカットされた可能性を示唆した[17]。
出典
- ^ 松本清張自選傑作短篇集 1976, pp. 323–324, 私の推理小説作法
- ^ 松本清張研究 第13号 2012, pp. 7, 清張映画の現場
- ^ 日本映画 隠れた名作 2014, pp. 180, 野村芳太郎 乗り換えシーンの謎
- ^ 日本映画 隠れた名作 2014, pp. 183, 野村芳太郎 乗り換えシーンの謎
- ^ 松本清張の残像 2002, pp. 192, 年譜
- ^ 映画は呼んでいる 2013, pp. 29–30, 「決断の3時10分」の主題歌のこと、「張込み」「飢餓海峡」の鉄道のことなど
- ^ 松本清張研究 第13号 2012, pp. 10, 清張映画の現場
- ^ 松本清張研究 第13号 2012, pp. 8, 清張映画の現場
- ^ 松本清張研究 第13号 2012, pp. 9–10, 清張映画の現場
- ^ 『劇と評論』第15巻第3号、「劇と評論」の会、1970年12月25日、NDLJP:2223242/2。
参考文献
外部リンク
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