安東 義良(あんどう よしろう、1897年(明治30年)5月4日[1] - 1986年(昭和61年)1月20日[1])は、日本の外交官、弁護士、政治家。衆議院議員(2期)。
岐阜県可児郡御嵩町出身[2]。1922年東京帝国大学法学部卒業、外務省入省。1925年パリ大学卒業[2](法学博士)。
外務省調査部第3課長、欧亜局、大東亜省総務局長、1942年11月条約局長、同省政務局長、1945年退官[2]。
1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に岐阜2区から当選。衆議院では外務委員長を務める[2]。1949年1月の第24回衆議院議員総選挙では落選するが1952年10月の第25回衆議院議員総選挙で返り咲き。
1955年、駐ブラジル大使就任、1961年まで務める。1964年、第11代拓殖大学総長、1967年退任。同年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章(勲三等からの昇叙)[2][3]。
拓殖大学教授、海外移住事業団経営審議会会長、内閣移住審議会委員も歴任した。
1986年1月20日死去、88歳。死没日をもって正四位から従三位に叙される[4]。
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