吉武栄之進

吉武栄之進

吉武 栄之進(よしたけ えいのしん、1864年7月22日元治元年6月19日〉 - 1927年昭和2年〉1月3日)は日本の応用化学者

経歴

信濃国松本城下(現長野県松本市)に松本藩士・吉武樗の長男として生まれる。開智学校を経て東京大学予備門に入学。1884年東京大学卒業後、1887年から翌年にかけ東京府第一中学校教諭、さらに東京師範学校教諭を経て、第二高等学校教授、東京高等工業学校教授などに就任、理化学を講じていた。1932年、文部省から毛染及び毛織物捺染法、仕上法の研究を命じられ、イギリスドイツに3年間留学。帰国後、再び前職を務める傍ら、文部省視学官に任じられる。1920年東京高等工業学校校長、1923年東京高等工芸学校校長を兼任となる。

日本の染織工業技術の研究と教育に寄与し、工業界の発展に尽くし、大日本織物協会理事長、日本化学会長などを歴任した。勲二等旭日重光章受勲。

参考文献

  • 『信濃人物略志』1919年
  • 『長野県歴史人物大事典』 郷土出版社、1989年
学職
先代
井上仁吉
東京化学会会長
1918年 - 1919年
次代
松原行一
その他の役職
先代
金子堅太郎
会頭
大日本織物協会理事長
1924年 - 1927年
次代
柴田才一郎
先代
(新設)
協調会蔵前工業専修学校
1921年 - 1925年
次代
中村幸之助