中村 幸之助(なかむら こうのすけ、明治5年6月16日(1872年7月21日) - 昭和20年(1945年)1月11日)は、日本の電気工学者。
経歴
宮城県仙台市出身[1]。第二高等学校を経て、1898年(明治31年)に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業し、大学院に進んだ。1899年(明治32年)、東京工業学校教授となり、翌年から欧米諸国に留学した。1902年(明治35年)に帰国後は、東京高等工業学校教授に特許局審査官、東京高等工業学校附設工業教員養成所主事、特許局技師などを兼ねた。1919年(大正8年)、工学博士の学位を得た。1926年(大正15年)、東京高等工業学校校長に就任し、翌年には財団法人協調会東京工業専修学校校長も兼ねた。1929年(昭和4年)、東京高等工業学校が東京工業大学に改組され、引き続き学長を務めた。1942年(昭和17年)に退官し、東京工業大学名誉教授の称号を受けた。
その他、電気学会会長、照明学会会長などを務めた。
1945年(昭和20年)1月11日、静養先の静岡県伊東町の別荘で死去[2]。
脚注
- ^ 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』、帝国秘密探偵社、1943年。
- ^ 『朝日新聞』 1945年1月16日
参考文献
東京科学大学学長(東京工業大学長:初代:1929年 - 1942年) (東京高等工業学校長:1926年 - 1929年) |
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前身諸学校・大学長 |
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- 初代 中村幸之助 1929-1942
- 第2代 八木秀次 1942-1944
- 事務取扱 渡辺孫一郎 1944
- 第3代 和田小六 1944-1952
- 事務取扱 山本勇 1952
- 第4代 内田俊一 1952-1958
- 第5代 山内俊吉 1958-1962
- 第6代 大山義年 1962-1966
- 第7代 實吉純一 1966-1968
- 事務取扱/第8代 斯波忠夫 1968/1968-1969
- 事務取扱/第9代 加藤六美 1969/1969-1973
- 第10代 川上正光 1973-1977
- 第11代 齋藤進六 1977-1981
- 第12代 松田武彦 1981-1985
- 第13代 田中郁三 1985-1989
- 第14代 末松安晴 1989-1993
- 第15代 木村孟 1993-1997
- 第16代 内藤喜之 1997-2001
- 第17代 相澤益男 2001-2007
- 第18代 伊賀健一 2007-2012
- 第19代 三島良直 2012-2018
- 第20代 益一哉 2018-2024
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