備後西(びんごにし)は、埼玉県春日部市の町丁。現行行政地名は備後西一丁目から備後西五丁目。住居表示実施地区[4]。郵便番号は344-0033[2]。本項では、前身の大字備後についても述べる。
地理
埼玉県の東部地域で、春日部市南部の古利根川(利根川)が造り出した沖積平野や自然堤防上に位置する地区である。東側で備後東、南側で大場、西側で武里中野、北側で一ノ割と隣接する。地区の南側から西側境界線上を会之堀川が流れる。かつて存在した大字備後で、その中央部を縦貫する東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)を境とした西半分の区域に相当する。備後東以外との境界線上にはかつて古利根川が流れていた[5]。その痕跡は街路の配置にも見て取れる。地区内は市街化区域で、主に第一種中高層住居専用地域や第一種住居地域に指定され、住宅地となっている。4・5丁目では農地や生産緑地地区も見られる[6]。かつての武里村の行政の中心地で、武里小学校の辺りに役場があったほか[7]、連合戸長役場の建物も個人宅として見られる[8]。
地価
住宅地の地価は、2024年(令和6年)の公示地価によれば、備後西4丁目3番32号の地点で10万2,000円/m2となっている[9]。
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国埼玉郡新方領に属する備後村であった[10]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では841石余(田360石余、畑480石余)、『元禄郷帳』によると1074石余で、その後は増減なしであった[10]。助郷は日光街道粕壁宿に出役していた[10]。1804年(文化2年)の戸数は156軒で、村の規模は東西14町余、南北17町余であった[10]。
地名は1211年(建暦元年)に利根川(古利根川)の中州で見つかり、須賀稲荷神社に安置されていた稲荷大明神の尊像(観音座像)に因むものである[10][11]。この尊像は元々は備後国の寺院に安置されていたものであり、兵乱により人々が東国に逃れた際に当地に持ち込まれ、その後行方不明となっていた。1570年(永禄13年)に勝林寺が創立した際に寺に移されている[11]。備後村は利根川やその派川の流路に四方を囲まれた中州のような場所で、古くは須賀と呼ばれていたが、その後尊像に因んで備後須賀に変化し、さらに江戸初期頃より備後村と称されるようになったと考えられる[11]。
存在していた小字
- 田島耕地[18]
- 正善耕地
- 立野耕地
- 宮田耕地
- 一の縄耕地
- 須賀耕地
- 大道東耕地
- 堤外耕地
- 谷原耕地
世帯数と人口
2024年(令和6年)1月1日時点の世帯数と人口は、以下のとおりである[1]。
丁目 |
世帯数 |
人口
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備後西一丁目
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598世帯
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1,146人
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備後西二丁目
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602世帯
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1,260人
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備後西三丁目
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701世帯
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1,341人
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備後西四丁目
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450世帯
|
987人
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備後西五丁目
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226世帯
|
455人
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合計
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2,577世帯
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5,189人
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小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下のとおりとなる[19]。
丁目 |
区域 |
小学校 |
中学校
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備後西1丁目
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1番 - 10番33号、11番
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春日部市立備後小学校
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春日部市立武里中学校
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10番34号 - 10番66号、12番、13番
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春日部市立武里小学校
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備後西2丁目
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7番、8番、9番16号 - 9番51号
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1番 - 6番、9番1号 - 9番15号、10番 - 14番
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春日部市立備後小学校
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備後西3丁目
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全域
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備後西4丁目
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全域
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春日部市立武里小学校
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備後西5丁目
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全域
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交通
地区の東端を東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)が通るが、鉄道駅は設置されていない。最寄り駅は同線武里駅で[9]、備後西4丁目3番32号の地点からおよそ820 m離れている[9]。また、地図上では同線一ノ割駅も備後西から近く、1丁目などは徒歩圏内にある。
道路
地内に国道、および主要地方道・一般県道は通っていない。
バス
地内に路線バスの路線は設定されていない。
- 春日部市コミュニティバス「春バス」
地内に「備後西五丁目」、「備後第六公園」停留所が設置されている。
施設
- 一丁目
- 武里市民センター(武里地区公民館)
- 春日部市立第四保育所
- 武里第2ちびっ子広場
- 二丁目
- 備後第4公園
- 備後第5公園
- 備後西ちびっこ広場
- 備後角栄団地第1遊水地広場
- 備後角栄団地第2遊水地広場
- 備後角栄団地第3遊水地広場
- 備後角栄団地第4遊水地広場
- 三丁目
- 四丁目
- 浄土宗勝林寺 - 須賀稲荷神社の別当
- 備後須賀第2ちびっ子広場
- 五丁目
- 過去の施設
- JA南彩武里支店 - 5丁目3−24の場所に所在した。春日部支店へ統合された。
脚注
注釈
- ^ 『旧高旧領取調帳データベース』の検索結果を参照。
- ^ 大字備後字一の縄、大字備後字宮田の各一部より備後西一丁目、大字備後字須賀の一部より備後西二丁目、大字備後字須賀、大字備後字正善の各一部より備後西三丁目、大字備後字須賀の一部より備後西四丁目、大字備後字須賀の一部より備後西五丁目がそれぞれ成立。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク