任意の複素数は、実数a, b と虚数単位i を用いて a + bi の形に一意的に書くことができる。言い換えれば、複素数は実数体上のベクトル(a, b) として表現できる。したがって複素数の全体は二次元の実ベクトル空間をなし、加法とスカラー乗法は a, b, c, d を実数として、(a, b) + (c, d) = (a + c, b + d) および c(a, b) = (ca, cb) で与えられる。ここで、二つのベクトルの積を記号 "⋅" で表すことにすれば、複素数の積は (a, b)⋅(c, d) = (ac − bd, ad + bc) によって定義される。
この例は、次節における体 K として実数全体の成す体 R をとり、ベクトル空間 A として複素数の全体を考えたときに適合する。
定義
K は体、A を K 上のベクトル空間で付加的な二項演算"⋅": A × A → A, (x, y) ↦ xy を持つものとする(x, y を A の任意の元とするとき、xy をそれらの積と呼ぶ)。このとき、A が K 上の多元環であるとは、A の任意の元 x, y, z と K の任意の元(スカラー)α について、以下の条件
実数全体 R を一次元ベクトル空間と見ると、乗法と両立するから、自分自身の上の一次元多元環になる。先ほどは複素数の全体が実数体 R 上の二次元ベクトル空間で、さらに R 上の二次元多元環となることを見た。これらはともに、任意の非零ベクトルが逆元を持つ。同様にして三次元の実ベクトル空間で、任意の非零元が逆元を持つようなもの(多元体)はあるかと問うのは自然なことであるが、答えは否定的である(ノルム多元体を参照)。
実三次元の(多元体)は存在しないが、1843年にハミルトンにより定義された四元数の全体には乗法だけでなく除法も定義できる。これは今日では実四次元の多元体の例として有名である。任意の四元数を (a, b, c, d) = a + bi + cj + dk のように書くことができる。複素数の場合と異なり、四元数の全体は非可換多元環の例を与える(例えば ij = k だが ji = −k である)。する(注:近年は体の定義として加法と乗法について可換であることを課すのが普通となり、四元数のような非可換の乗法を持つ環の場合には除法が定義できても「体(field)」であるとは云わずに「斜体(skew field)」と称して体には含めなくなってきている。)[要出典]
体 K 上の多元環の部分多元環 (subalgebra) とは、部分線型空間であって、さらにその空間の任意の二元の積がふたたびその空間に属するようなものを言う。言い換えれば、部分多元環は加法と乗法及びスカラー乗法に関して閉じているような部分集合である。記号で書けば、K-多元環 A の部分集合 L が部分多元環であるとは、任意の x, y ∈ L と c ∈ K に対して xy, x + y, cx ∈ L が成り立つことである。
先の複素数の例を実数体上二次元の多元環と見做せば、実数直線は一次元の部分多元環になる。
K-多元環の左イデアル (left ideal) は、部分線型空間であって、その空間の各元に多元環の任意の元を左から掛けて得られる元が常にその空間に属するという性質を持つものを言う。記号で書けば、K-多元環 A の部分集合 L が左イデアルであるとは、L の任意の元 x, y と A の任意の元 z および K の任意の元について、以下の条件
係数体 K を含むより大きな体 F, すなわち体の拡大F/K が与えられたとき、自然な仕方で K 上の多元環から F 上の多元環が構成できる。これはベクトル空間の係数体をより大きな体に取り換えるのと同じ構成法、つまりテンソル積VF = V ⊗KF を作ることで与えられる。つまり、A が K 上の多元環ならばテンソル積AF = A ⊗KF は F 上の多元環である。
多元環が単位的または単型 (unital, unitary) であるとは、それが単位元または単元を持つことを言う。すなわち、多元環の元 I が存在して、全ての元 x に対して Ix = x = xI を満たす。単位元を持たない多元環はある標準的な方法で構成される単位的な多元環に余次元1のイデアルとして含まれる[3]。
体 K 上の非結合代数[5]あるいは分配多元環とは、K-線型空間 A とその上の K-双線型写像A × A → A の組を言う。ここで「非結合的」というのは、結合性を仮定しないという意味であって、結合的であることを排除しない。即ち、「非可換」が「必ずしも可換でない」の意味であるのと同様に、ここでの非結合的」は「必ずしも結合的でない」の意味である。
K が単に可換環であって体を成さない場合、同様の過程は A が自由加群であるときに限れば通用する。そうでなくとも、A の乗法は A を生成する集合上の作用が決まるならばやはり完全に決めることができるが、しかしこの場合には構造係数を任意に決めるということはできず、構造係数から同型を除いて多元環を決定するということも可能にはならない。
^Study, E. (1890), “Über Systeme complexer Zahlen und ihre Anwendungen in der Theorie der Transformationsgruppen”, Monatshefte für Mathematik und Physik1 (1): 283–354, doi:10.1007/BF01692479, JFM22.0387.02
参考文献
Hazewinkel, Michiel; Gubareni, Nadiya; Kirichenko, Vladimir V. (2004), Algebras, Rings and Modules, 1, Kluwer Academic Publishers, ISBN1-4020-2690-0, MR2106764, Zbl1086.16001
Schafer, Richard D. (1966), An Introduction to Nonassociative Algebras, Pure and Applied Mathematics, 22, Academic Press, MR210757, Zbl0145.25601 (Project Gutenberg)