ミナルディ・M193(Minardi M193)は、ミナルディが1993年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。デザイナーはアルド・コスタとグスタフ・ブルナー。最高成績は4位。
開発と経緯
1991年はフェラーリ、1992年はランボルギーニというイタリアメーカー製のV12エンジンを搭載してきたが、今季は量販型V8エンジンのフォードHBシリーズIVにスイッチした。チームは乏しい資金力ながらも、簡易型の油圧式アクティブサスペンションを開発(実際には後年FRICサスペンションとして注目された、前後サスを油圧で繋ぎ外部動力を使わないパッシブサスペンションだった)。イタリアの工具メーカーBetaがメインスポンサーとなり、従来の黄色と黒のカラーリングから白一色にイメージチェンジした。
ドライバーはクリスチャン・フィッティパルディとファブリツィオ・バルバッツァを起用。フィッティパルディは開幕戦南アフリカGPで4位、第6戦モナコGPで5位と結果を残したが、ラスト2戦はジャン=マルク・グーノンにシートを譲った。バルバッツァもヨーロッパGPとサンマリノGPで6位入賞するが第8戦で解雇され、第9戦以降からピエルルイジ・マルティニがチームに復帰した。
イタリアGPではゴール目前のホームストレート上でフィッティパルディがマルティニに追突し、空中で一回転するという派手な事故を起こした[1]。幸いフィッティパルディのマシンは元通りに着地し、マルティニ7位、フィッティパルディ8位でチェッカーを受けた。
チームの獲得ポイントはフィッティパルディが5ポイント、バルバッツァが2ポイント獲得し、コンストラクターズランキング7位と前年を上回る成績でシーズンを終えた。
1994年シーズンは第5戦スペインGPまで改良型M193Bを使用。ドライバーはピエルルイジ・マルティニとミケーレ・アルボレートを起用した。モナコGPでアルボレートが6位、スペインGPでマルティニが5位となり2度ポイントを獲得した。第6戦カナダGPより新型M194が投入された。
F1における全成績
(key) (太字はポールポジション)
参照