ネルソンの弟であるエイサ・ティフトAsa F. Tiftは、ネルソンと共に働くことに合意した。エイサはネルソンがジョージアに移住した後もフロリダに留まっており、彼の協力は重要であった。エイサはキーウェストでビジネスマンとして成功しており、マロリーが合衆国上院議員になる前からの知り合いであった。エイサとマロリーがビジネスを通じて結びついていたという証拠は無いが[5]、この友人関係が計画の進展をもたらした。ティフト兄弟はマロリーに模型を見せ、マロリーはこれを海軍審査委員会で提示した。委員会が計画は実行可能であると判断すると、マロリーは兄弟をニューオーリンズに向かわせ、彼らのアイデアを現実のものにすることを承認した。そこで二人はスクリュー3軸推進で、大砲18門と搭載するまだ名前の決まっていない装甲艦の建造を監督することとなった[6]。
装甲用の鉄は連合国のどこでも不足しており、ニューオーリンズでは見つけることができなかった。最終的には、アトランタで十分な厚さの鉄板を製造できる工場を見つけることができた。しかし、すでに酷使されている鉄道を利用して鉄材を輸送することは、散発的にしかできなかった。アトランタで鉄板の出荷まで何週間も待たされることもときどき生じた。最後の鉄板がニューオーリンズに届いたのは、ミシシッピが自焼した日であった[10]。
エンジンとスクリュー軸の問題も重なった。前述したようにボイラーサイズを拡大したため、工期がいくらか遅れた。エンジンの工事は1月には終了する契約となっていたが、実際には4月まで据付けられなかった。しかしながら、最大のメカニカルトラブルは、3本のスクリュー軸の製造であった。外側の2本の軸はニューオーリンズの工場でなんとか製造できた。しかし、最も長い中央の軸は、南部のどこでも製造できなかった。10月になって、難破船のスクリュー軸が使用可能なことが転用できることが分かったが、バージニア州のトレッドガー鉄工所(Tredegar Iron Works)かゴスポート海軍工廠(Gosport Navy Yard)でなければ、必要な改造加工はできなかった。スクリュー軸が完成した後、鉄道で運送する必要があった。出荷できたのは3月26日であった。スクリュー軸は3本とも船体に取り付けられたが、エンジンに結合されることはなかった。また、外側のスクリュー2個は、最後まで波止場に置かれていた[11]。
リッチモンドの連合国政府は、北軍によるメキシコ湾封鎖も、また上流からメンフィスにせまりつつあるミシシッピ川艦隊(Mississippi River Squadron)も、あまり真剣に受けとめていなかった。ファラガットが彼の艦隊をミシシッピ河口の砂洲を越えて前進させた際も、ジェファーソン・デービス大統領とマロリー海軍長官は、ミシシッピ川の南部海軍司令官であるジョージ・ホリンズに対し、ルイジアナが数日以内に完成しメンフィスに派遣され、ミシシッピもこれに続くと楽観的な見込みを述べていた[15]。この時期に、海軍省はアーサー・シンクレア中佐をミシシッピの艦長に任命し、シンクレアは4月3日に到着した[16]。
Silverstone, Paul H. (2006). Civil War Navies 1855–1883. The U.S. Navy Warship Series. New York: Routledge. ISBN0-415-97870-X
Still, William N., Jr. (1985). Iron Afloat: The Story of the Confederate Armorclads (Reprint of the 1971 ed.). Columbia, South Carolina: University of South Carolina Press. ISBN0-87249-454-3
その他資料
Durkin, Joseph T., S.J., Confederate Navy Chief: Stephen R. Mallory. Univ. of North Carolina Press, 1954; republished, Univ. of South Carolina Press, 1987.
Official records of the Union and Confederate Navies in the War of the Rebellion. Series I, 27 volumes; Series II, 3 volumes. Government Printing Office, 1894–1922. Especially useful is Volume 1 of Series II, pages 431–809, "Investigation of [Confederate] Navy Department. Report of evidence taken before a joint special committee of both Houses of the Confederate Congress to investigate the affairs of the Navy Department."