ボフォース 60口径40mm機関砲 (ボフォース60こうけい40ミリきかんほう、英語 : Bofors 40mm L/60 autocannon 、典 : Bofors 40 mm automatkanon L/60 )は、1930年代 初頭にスウェーデン のボフォース 社が開発した機関砲 。第二次世界大戦 では、連合国 を中心として、広く対空砲 として用いられた。
なお、正確な砲身長は56.25口径だが、分かりやすさのため、ボフォース社の文書では1 の位 を切り上げ て「60口径」として扱うことを常としていた[ 1] 。
開発に至る経緯
急降下爆撃機 の登場を受けて、1920年代 初頭より、海軍関係者の間では軍艦 の防空 が懸念事項となっていた[ 2] 。当時、対空兵器 としては大口径の高角砲 と小銃 弾を用いた機関銃 が用いられていたが、射撃指揮の問題から、3,000メートル以下の高度を飛行する目標に対する高角砲の有効性は限られていた一方、小銃弾による射高は最大でも750メートル程度であり、間隙が生じていたことから、これを埋めるための機関砲が注目されるようになった[ 2] 。
1922年 、スウェーデン海軍 は39口径40mm機関砲(ヴィッカース QF 2ポンド・ポンポン砲) を導入したが(40mm akan M/22)、まもなく、これはあまりに大きく重く、また動作不良も多いと判断された[ 2] 。これを受けて、海軍は同国のボフォース 社に対して、より優れた40mm機関砲の開発を働き掛けるようになり、採算がとれるか不安視する同社を説き伏せるかたちで、1928年 11月に開発要求が発出された[ 2] 。これによって開発されたのが本砲で、早速1931年 11月には単発での試射が行われた[ 2] 。
一方、海軍委員会はもっと小口径で高発射速度の機関砲にも興味を抱いており、1931年には諸外国から輸入した13‐25mm口径の機関銃・砲による射撃試験を行ったが、いずれも不満足な結果であった[ 2] 。この結果を受け、同年、ボフォース社に対してより小口径の機関砲の開発要求が発出された[ 2] 。1933年 夏には、カールスボリ において、25mm口径 ・40mm口径モデルの両方を用いて、空中目標に対する実射試験が行われた[ 2] 。この時点では、海軍委員会の興味は25mm口径モデルに移っているようにも報じられたが、結局、1935年 、両方ともを並行して装備化することが決定された[ 2] 。
1932年、まずは64口径25mm対空機関砲(25 mm lv-akan M/32) および潜水艦搭載用の43口径40mm機関砲(40 mm ubäts-automatkanon M/32 )が発注された[ 2] 。これと並行して本命にあたる60口径長モデルの開発も進められており、1934年 には試作品が完成して試射を行える段階に至っていたことから、社内ではモデル1934と称された[ 2] 。この頃には同国陸軍 もこの砲に興味を示すようになっており、1936年に陸・海軍が発注を行って、陸軍向けのモデル(40 mm lv-akan m/36 )と海軍向けのモデル(40 mm automatpjäs M/36 )が同時に装備化された[ 3] 。
設計
砲尾側からの写真。給弾機構にかぶせられた箱型カバーは使用時には取り外される。
砲本体は、砲身 と砲尾環および尾筒 覆いから構成されている[ 1] 。砲身は正確には56.25口径長だが、分かりやすさのため、ボフォース社の文書では1の位を切り上げて「60口径長」として扱うことを常としていた[ 1] 。ライフリング は16条で、砲尾部では45口径長で1回転、砲口部では30口径長で1回転と、漸増転度式とされている[ 1] 。ボフォース社による当初設計では、ニッケルクロム鋼 による鍛造モノブロック構造で、陸上用は空冷式、艦載用は水冷式とされていた[ 1] 。砲身命数は9,500-10,000発とされる[ 1] 。最初期にはマズルブレーキ が付されていたが、試験によりこれは不要と判断されて、フラッシュハイダー のみとなった[ 1] 。
本砲は、機関砲ながらも遊底 ではなく垂直鎖栓式の閉鎖機 を使用しており、1880年代 にノルデンフェルト QF 6ポンド砲 を発展させて開発された57mm速射砲(57 mm Ssk M/89B )のものをベースとしている[ 1] 。尾筒覆いは四角形の断面をもち、砲尾機構を収容するとともに装填機構の一部を構成する[ 1] 。砲尾機構は手動でも操作可能であり、1発目は通常手動で装填される[ 1] 。
自動機構は反動利用式 で、発砲の反動で砲身とともに砲尾が後座すると鎖栓が下にスライドして開き、空薬莢 が排出される[ 1] 。後座長は195-200ミリである[ 1] 。閉鎖器から真後ろに排出された空薬莢は、尾筒覆いの後端に取り付けられている湾曲した雨樋状のシュートによってまず下方へ、次いで前方へ導かれる。液体緩衝器によって後座が止まると、ばね の力で砲身・砲尾は復座に転じる[ 1] 。砲尾の後上方には給弾機構、その下に装填トレイがあり、排莢ののち砲身・砲尾は前進に転じた時点で、給弾機構から次の弾薬が送られて装填トレイの上に載っており、やはりばねによって動作するラマーによって、弾薬は装填トレイから砲尾に送り込まれる[ 1] 。給弾は4発入りの挿弾子 によって行われる[ 1] 。
なお、外見上はドイツ国 の3.7 cm FlaK 36/37 と類似しているためしばしば誤解を招くが、実際の設計を含めて、技術的な関連はない[ 2] 。
運用史
各国とも有効な対空兵器を模索していたことから本砲は注目を集め、早くも1933年7月にはオランダ 、また1934年5月にはポーランド からの発注を受けた[ 2] 。1934年11月にカールスボリで行われた試射では、アルゼンチン 、ベルギー 、ブラジル 、ハンガリー 、そしてスイス から見学者が訪れた[ 2] 。また1937年 にはシャム のバンコク でも試射が行われた[ 2] 。
イギリス
イギリス国内の工場で砲尾部を加工する女工[ 注 1] 。
イギリス戦争省 は、1933年のスウェーデン駐在武官 からの報告によって本砲のことを知り、ヴィッカース QF 2ポンド・ポンポン砲の代替用として注目していた[ 5] 。最初の発注は1937年4月23日と出遅れたが、まもなく追加発注もなされており、ボフォース社の供給能力を上回ったことから、ハンガリーおよびポーランドでのライセンス生産 分も供給されることになった[ 5] 。ポーランドでの生産分は、スウェーデンを経由して1937年末にはイギリスに配備されており、ズデーテン危機 を受けて、1938年 3月には、ロンドン 近郊に14門が緊急配備されている[ 5] 。イギリス国内でのライセンス生産も着手されたものの、他の火砲のために既存の生産設備がフル稼働状態だったため、国内生産分のイギリス陸軍 への引き渡しが開始されたのは1939年 6月15日となった[ 5] 。イギリスでの生産分は、モデル1934の小改正型であるモデル1936となった[ 5] 。また1940年 秋からはカナダ 、1942年からはオーストラリア でのライセンス生産も開始された[ 5] 。
イギリス海軍 の本砲の運用は、1940年のノルウェー からの撤退(アルファベット作戦 )の際に、イギリス陸軍 が保有する砲を軍艦に設置したのが最初の事であった[ 5] 。これは応急的な措置だったが、まもなく正式に行われるようになり、マレー沖海戦 で撃沈された戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ 」にも搭載されていた[ 5] 。これらの陸軍式のマウントは海軍ではLS Mk IIIと称されており、空冷式の砲身を用いていた。
イギリス海軍で初めて水冷式の砲身を用いたのは連装式のMk IVマウントと組み合わされたMk IV砲であったが、このマウント自体も3軸制御で安定化され、測距用の282型レーダーも備えた画期的なもので、ヘイズメイヤー式 (Hazemeyer gun mount ) と通称された。これはもともとオランダ のヘイズメイヤー社(ジーメンス・ウント・ハルスケ の子会社)が開発していたもので、ドイツのオランダ侵攻 を受けて設計図がイギリスにもたらされ、またイギリスに脱出してきたオランダ海軍 の機雷敷設艦 「ウィレム・ファン・デル・ザーン 」が搭載する実機も手に入ったことで、国内生産が実現したものであった[ 5] 。
これに続くMk VマウントはMk XI砲を連装に配しており、アメリカ海軍のMk 1連装マウントの設計をもとに、ヴィッカース QF 2ポンド・ポンポン砲や4インチ砲のマウントから共用化した部品などを用いて国産化したもので、1945年2月に装備化された[ 5] 。ヘイズメイヤー式よりも軽量で「ユーティリティ」と通称されており、2軸制御により安定化され、またRP 50を用いて遠隔機力操縦化することもできた[ 5] 。またMk VIマウントは、大型艦用としてMk IX砲を6連装化したものであった[ 5] 。
これらに続いて開発されたSTAAG(Stabilized Tachymetric Anti-Aircraft Gun )では、ヘイズメイヤー式と同じ3軸制御に戻り、プロトタイプとして単装型のMk 1を開発したのち、連装型のMk 2が開発された[ 5] 。これはヘイズメイヤー式の後継システムとして配備されたものの、あまりに大掛かりで信頼性が低く、Mk Vに再換装される場合も多かった[ 5] 。これに続いて開発されたバスターは更に大掛かりで信頼性も乏しく、計画は途中で打ち切られた[ 5] 。
一方、1945年5月には、逆に軽量・単純な単装型のMk 7マウントが発注された[ 5] 。これはエリコン 20 mm 機関砲 の連装マウントと置き換えるためのもので、1950年代には電動化したMk 9によって代替された[ 5] 。フォークランド紛争 中の1982年5月27日、揚陸艦「フィアレス」「イントレピッド」搭載のMk 9がアルゼンチン軍のA-4B攻撃機を撃墜しており、2013年現在、イギリス軍が本砲で挙げた最後の戦果となっている[ 5] 。
アメリカ
高射砲と機関銃の間隙を埋める機関砲として、1930年代のアメリカ陸軍 は54口径37mm機関砲 (英語版 ) 、アメリカ海軍 は75口径28mm機関砲 を配備していたが、いずれも国外の砲についての調査も続けていた[ 7] 。1940年8月には、フィンランド経由で取り寄せた本砲を用いてダールグレン試験場 で試射が行われ、同時に試射を行った54口径37mm機関砲や75口径28mm機関砲、そしてヴィッカース QF 2ポンド・ポンポン砲と比べての優越性が確認された[ 7] 。
特に海軍は75口径28mm機関砲の信頼性に深刻な問題を抱えていたことから、本砲の調達を熱望し、ボフォース社と正式な契約を結ぶ前から、オランダ領東インド やカナダから図面を入手するなどして生産の準備を開始した[ 7] 。また陸軍も、ナチス・ドイツのフランス侵攻 においてドイツ空軍 が大きな役割を担ったことから低高度防空の強化を急務と考えており、やはり本砲の調達を急いでいた[ 7] 。陸軍向けの生産はクライスラー 社が、海軍向けの生産はヨーク社が主契約者となったが、このように異なるメーカーで急いで生産を行った結果、しばしば部品の互換性に問題を抱えることとなった[ 7] 。また1941年6月21日に正式なライセンス契約が締結される以前から生産準備にかかっていた上に、後には他国向けにも多数の砲を生産したことで、アメリカ政府とボフォース社の間に法的な問題も発生した[ 7] [ 注 2] 。
アメリカでの生産分の引き渡しは、陸軍向け・海軍向けともに1942年より開始された[ 7] 。クライスラー社生産分の機関砲はイギリスで生産されたモデル1936とほぼ同一モデルであり、アメリカ陸軍ではM1 40mm機関砲(40mm Automatic Gun M1 )として制式化された[ 7] 。一方、海軍は水冷式の砲を用いた連装マウント(Mk 1)を標準的な装備として28mm4連装機関砲を更新していくことを計画していたが、まもなく大型艦向けの4連装マウント(Mk 2)も登場し、連装マウントの試作品は1942年1月、4連装マウントの試作品は同年4月に完成した。マウントの左側に設置される砲はMk 1、右側に設置される砲はMk 2として制式化されており、こちらも基本的にはイギリスのMk IV砲と同様の設計であった。一方、陸軍式の空冷砲を用いた単装マウント(Mk 3)も艦載化されており、駆逐艦において連装マウントを補完したほか、潜水艦や魚雷艇 、護衛駆逐艦や上陸用舟艇などに広く搭載された。
アメリカ軍においては、1950年代後半までに本砲はおおむね退役していたが、哨戒艦 や予備船隊 では依然として用いられていた[ 7] 。またベトナム戦争 ではメコン川 などで活動する河川砲艇 に搭載して用いられたほか、変わったところでは、アメリカ空軍 が海軍の空冷式40mm砲の譲渡を受けてAC-130 A「コロネット・サプライズ」攻撃機(ガンシップ )に搭載、対地射撃に用いて良好な成績を収めており、AC-130Uに至るまで同砲の装備を踏襲している[ 7] 。
牽引式のM2砲架に架されたM1 40mm機関砲
艦載用のMk 3単装マウント
艦載用のMk 1連装マウント
艦載用のMk 2 4連装マウント
河川砲艇に搭載された40mm機関砲
AC-130Aに搭載された40mm機関砲
日本
日本軍 も太平洋戦争 序盤、マレー作戦 によりマレー半島 を占領した大日本帝国陸軍 がイギリス軍から鹵獲し、コピーして使用することを試みた。1945年に五式四十粍高射機関砲 として完成したが製造に手間取り、陸軍では終戦間際に国産として2門、大日本帝国海軍 では35門を製造したにとどまったとされている。
また陸上自衛隊 や海上自衛隊 、海上保安庁 も、アメリカ軍からの供与を受けて運用していた。
運用国一覧
登場作品
ゲーム
『Naval Craft 』
ゲーム内の対空火器として、防盾のついた4連装型が「ボフォース 40mm機関砲」という名称で登場する。
『R.U.S.E. 』
アメリカ 、イギリス の対空砲 として登場。
『Wargame Red Dragon 』
NATO 陣営で使用可能な艦船 の武装 として登場する。
『War Thunder 』
一部の対空車両や艦船の武装として登場する。
『World of Warships 』
駆逐艦 から戦艦 、空母 まで多数の艦船の対空砲として搭載されている。ゲーム内では連装・四連装・六連装の物が見られる。また、ドイツ の鹵獲 品のFlak28として、単装バージョンの物も登場している。
『Zombie Gunship Survival 』
ゲーム内の40mm砲として登場する。
『エースコンバット アサルト・ホライゾン 』
AC-130U スプーキー の武装として登場する。作中での呼称は「40mm機関砲 」。
『艦隊これくしょん -艦これ- 』
「アイオワ 改」の初期装備として四連装バージョンが登場し、各戦艦が使用できる。その後、本家の「ゴトランド 改」の初期装備にもなり、戦艦以外でも使用できるようになった。
『アズールレーン 』
各艦の装備アイテムとして二連装、レーダー付き二連装、四連装、六連装バージョンが登場している。
『コール オブ デューティシリーズ 』
『CoD4 』
AC-130H スペクターの武装として登場し、プレイヤーが使用できる。
『CoD:MW2 』
AC-130Hの武装として登場し、プレイヤーが使用できる。
『CoD:MW3 』
AC-130Hの武装として登場し、プレイヤーが使用できる。
『トータル・タンク・シミュレーター 』
ポーランドの対空砲Boforsとして使用可能。
『バトルフィールドシリーズ 』
『BF1942 』
米軍・アメリカ海兵隊 ・イギリス軍・ソ連軍 の対空機関砲として登場する。また、何故か「翔鶴 」にも搭載されている。
『BF1943 』
日本海軍 ・米海兵隊双方の対空機関砲として対空照準器 付きのものがマップに配置されている。
『BFBC2 』
シングルプレイで主人公らが潜入する島の至る所に日本海軍が設置している。主人公らの潜入に合わせて島に対する空爆 を始めたF4U コルセア を迎撃し、若干数を撃墜 する。
『BF3 』
『BF4 』
AC-130に搭載されて登場する。
『BF5 』
固定対空砲としてマップに配置されている。イギリス軍の対空戦車 にも搭載されている。
『メタルギアソリッド3 』
MC-130 コンバット・タロン に2門搭載されている。
脚注
注釈
^ ロイヤル・アカデミー 会員のローラ・ナイト による絵で、「勤労動員された女性像のアイコン」として、国内各地の工場から複製の注文を受けている。
^ アメリカ政府が法的な問題を度外視し、断固として本砲の調達を進めていたことから、ボフォース社は戦争中には異議を唱えるのみで具体的な対応策は講じなかったが、戦後にアメリカが在庫を市場に放出したことはボフォース社のセールスを妨害することとなったため、アメリカの請求権裁判所 において訴訟が提起され、1957年7月12日、ボフォース社に有利な判決が下された[ 7] 。
出典
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^ a b c d e f g h i j k l m n o Gander 2013 , pp. 1–15.
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^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj “Bofors 40mm (Series) Towed Anti-Aircraft Gun / Air Defense Gun - Sweden ”. www.militaryfactory.com . Military Factory. 19 February 2019時点のオリジナルよりアーカイブ 。19 February 2019 閲覧。 [より良い情報源が必要 ]
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^ “Finnish "Lighthouse Battleships" at Dieselpunk.org ”. 10 July 2017時点のオリジナルよりアーカイブ 。29 March 2017 閲覧。
参考文献
関連項目
外部リンク