プリモシュ・ログリッチ(Primož Roglič、1989年10月29日 - )は、スロベニア、トルボヴリェ出身の自転車競技(ロードレース)選手。元スキージャンプ選手。一時は「プリモシュ・ログリッチェ」とも表記された。
経歴
2004年-2011年:スキージャンプ選手として活躍。2007年のノルディックスキージュニア世界選手権ではスロベニアチームの一員として団体優勝[2]、個人戦5位。2011年にはドイツ・オーベルストドルフのフライングジャンプ台で183メートルを記録している。
2012年:スキージャンプ選手を引退。自転車ロードレース選手としてのトレーニングを始める。
2013年:アドリアモービルにてプロキャリアスタート。
2015年:クロアチア、スロベニアのレースで成績を残す。
2016年、チーム・ロットNL・ユンボに移籍。初出場のグランツールであるジロ・デ・イタリアの第1ステージ個人タイムトライアルで2位、第9ステージの個人タイムトライアルでは優勝し、一躍ビッグネーム入りを果たした[3]。
2017年:ヴォルタ・アン・アルガルヴェでは並み居る強豪を抑えて総合優勝を獲得した[4]。バスク一周第4ステージではゴール前2.5kmで飛び出し独走勝利[5]。ツール・ド・フランス第17ステージではスロベニア人初のステージ優勝を達成した[6]。世界選手権個人タイムトライアルでは2位に入る。
2018年、バスク一周にて総合優勝。ツール・ド・フランスでは、第19ステージにてダウンヒルにて総合勢を引き離し、2年連続の山岳ステージ優勝、総合3位に順位を上げた[7]。続く第20ステージの個人タイムトライアルにてクリス・フルームに表彰台の座を明け渡したが、結果総合4位とグランツールレーサーとしての地位を確立させた[8]。
2019年、UAEツアーにて、初日のチームタイムトライアルを制し、第6ステージの標高1,458mジュベルジャイスでも勝利を収め、総合優勝を果たす[9]。ティレーノ〜アドリアティコ、ツール・ド・ロマンディでも総合優勝し、ステージレース3連勝。続くジロ・デ・イタリアでは本命と目されたものの、総合3位の結果に終わった。
同年、ブエルタ・ア・エスパーニャでライバル達に圧倒的かつ安定的な走りを見せ、自身初のグランツールでの総合優勝に輝く。
2020年、ツール・ド・フランスでは第4ステージで勝利を挙げ、総合3位に順位を上げた[10]。続く第9ステージで2着となり総合首位に立ち、初のマイヨ・ジョーヌ着用[11]。そのまま総合首位をキープし、第19ステージ終了時点で総合2位のタデイ・ポガチャルに57秒差をつけていた。しかし、第20ステージ山岳個人タイムトライアルで、ポガチャルから1分56秒タイムを失い首位陥落[12]。59秒遅れの総合2位という結果に終わった。
同年、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュではゴール前、勝利を確信し両手を上げたアラフィリップを僅かに差し切り、モニュメント初制覇[13]。ブエルタ・ア・エスパーニャではステージ4勝を挙げ、2年連続で総合優勝とポイント賞を獲得した[14]。
2021年、ツール・ド・フランスに出場したものの、第3ステージで落車した影響から、第9ステージを出走せずリタイヤ[15]。東京オリンピックの個人タイムトライアルで優勝を果たす[16]。ブエルタ・ア・エスパーニャでは、個人TT2勝を含むステージ4賞を挙げ、3連覇を果たした[17]。
2022年、パリ~ニースで総合優勝を果たし幸先の良いスタートを切り、ツール・ド・フランスに出場するが、第5ステージで落車し脱臼[18]。総合争いから離脱し、結果的には第15ステージで出走せず棄権し、4連覇を目指すブエルタ・ア・エスパーニャへ向け回復を優先させることとなった[19][20]。4連覇を目指すブエルタ・ア・エスパーニャは、チームTTで優勝[21]し、ステージ1勝を挙げるが、一時は総合首位に立つ[22]が、レムコ・エヴェネプールに後れをとり追いかける展開が続く中、第16ステージのゴール直前で落車[23]。ゴールはしたものの、落車が響き翌第17ステージに出走せず、リタイヤした[24]。
主な戦績
2014年
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年
2020年
2021年
2022年
2023年
2024年
グランツールの総合成績
脚注
外部リンク