ツール・ド・フランス1983はツール・ド・フランスとしては70回目の大会。1983年7月1日から7月24日まで、全22ステージで行われた。
みどころ
ブエルタ・ア・エスパーニャを制したベルナール・イノーだが古傷の膝を痛めて欠場。主役不在でどの選手にもチャンスがある大会となった。蓋を開けてみないと分からないといった状況の中、後に、イノーの代役に抜擢されることになる若きエースが勝つことになる。また、ロード界の世代交代の息吹がはっきりと出た大会でもあった。
今大会の概要
序盤の平地ステージから、マイヨ・ジョーヌはコロコロと移動を繰り返すという、予想通りの混戦模様となったが、ピレネー超えの第10ステージで、ステージ優勝したチームメイトのロバート・ミラーに1分13秒差で3位に入ったパスカル・シモンがマイヨを奪った。この時点で総合2位はイノーのチームメイトで、今大会がツール初出場となったローラン・フィニョンだったが、4分22秒の差をつけられていた。
ところが翌第11ステージでシモンは落車し、肩甲骨を骨折してしまう。アシストに助けられてなんとか集団でゴールしたシモンは、翌ステージ以降も骨折をおしてレースを続行する。また、プロトンも傷ついたマイヨ・ジョーヌを攻撃をしないという暗黙の了解のもとステージは進み、総合2位のフィニョンとのタイム差はほとんど変わらないまま、山岳個人タイムトライアルの第15ステージを迎える。
それまでアシストに守られてレースを続けてきたシモンだったが、個の力量が如実に現れるタイムトライアルで、ステージ優勝したアンヘル・アロヨに5分以上の遅れを喫して、ステージ10位に入ったフィニョンに52秒差まで詰め寄られる。また、この時点で1分29秒差の3位につけていたショーン・ケリー、1分45秒差の同4位のペドロ・デルガドにも当然のことながら総合優勝の可能性大。
続く第16ステージでもシモンはフィニョンに12秒遅れでゴールするが、明らかに余裕がなくなっていた。そしてラルプ・デュエズがゴールとなる第17ステージで、シモンは集団に付いていくことが出来ずに5分以上遅れてしまい、マイヨジョーヌを着用したままリタイア。区間5位に入ったフィニョンがついにトップに立ち、新人賞マイヨ・ブランと併せてマイヨ・ジョーヌを獲得することとなった。この時点で1分8秒差の総合2位にデルガド、3分31秒差の同4位にステージ優勝のペーター・ウィネンが続く展開となった。
ところが第18ステージでデルガドが大ブレーキ。フィニョンもアンヘル・アロヨらのクライマーの走りについていくのがやっとの状況だったが、デルガドは追走すらできず、区間優勝のジャック・ミショーに遅れること25分34秒の区間39位と惨敗。一方、フィニョンはミショーに遅れること3分42秒差で何とかまとめた。
マイヨ・ジョーヌのフィニョンに対し、総合2位ジャンレネ・ベルノードー、同3位ペーター・ウィネン、同4位ロベール・アルバン、同5位アロヨはいずれも3分台の差で続き、まだまだ予断を許さない状況。そして第19ステージの山岳個人タイムトライアル。
フィニョンはここでも厳しい戦いを強いられるが、ベルノードー、アルバンが脱落。対して、ウィネンが2分35秒差の総合2位に浮上。このステージを制したルシアン・バンインプが2分48秒差の同3位に浮上してきた。
何とかアルプスを乗り越えたフィニョン。しかし、次第に走りに余裕がなくなってきており、第21ステージの個人タイムトライアルが懸念されたが、そうした不安を払拭する。フィニョンはこの区間を制し、バンインプ、ウィネンはいずれもフィニョンに1分ちょっとの差をつけられ、ここで事実上決着がついた。
ライバルの相次ぐ自滅に助けられた形となったが、22歳のフィニョンがついにツール・ド・フランスを制した。
総合成績
マイヨ・ジョーヌ保持者
その他
外部リンク
第70回 ツール・ド・フランス 1983 (フランス語)