シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア (英 : Springer Science+Business Media , Springer )は、科学 (S cience)、技術 (T echnology、工学 など)、医学 (M edicine)、すなわちSTM関連の書籍、電子書籍 、査読 済みジャーナル を出版するグローバル企業である。シュプリンガーはまた、"SpringerLink"(「シュプリンガー・リンク」)[ 4] 、"SpringerProtocols"(「シュプリンガー・プロトコル (英語版 ) 」)[ 5] 、"SpringerImages"(「シュプリンガー・イメージ」)[ 6] 、"SpringerMaterials"(「シュプリンガー・マテリアル」)[ 7] などいくつかの科学データベース ・サービスのホスティングも行っている。
出版物には、参考図書 (Reference works、レ(リ)ファレンス・ワークス)、教科書 、モノグラフ (Monograph)、プロシーディングス (英語版 ) (Proceedings)、叢書 など多数が含まれる。また、シュプリンガー・リンクには45,000以上のタイトルが自然科学 など13の主題・テーマで集められており[ 1] 、それらは電子書籍として利用可能である[ 4] 。シュプリンガーはSTM分野の書籍に関しては世界最大の出版規模を持ち、ジャーナルでは世界第2位である[ 8] (第1位はエルゼビア )。
多数のインプリント や、20ヶ国に約55の発行所(パブリッシング・ハウス)、5,000人以上の従業員を抱え、毎年約2,000のジャーナル、7,000以上の新書(これにはSTM分野だけではなく、B2B 分野のものも含まれる)を発刊している[ 1] 。シュプリンガーはベルリン 、ハイデルベルク 、ドルトレヒト 、ニューヨーク に主要オフィスを構える。近年成長著しいアジア 市場のために、アジア地域本部を香港 に置いており、2005年 8月からは北京 に代表部を設置している[ 9] 。
2015年5月、シュプリンガー・サイエンス+ビジネスメディアとマクミラン・サイエンス・アンド・エデュケーション の大半の事業の合併が、欧州連合や米国司法省などの主要な公正競争監視機関により承認された。新会社の名称は「シュプリンガー・ネイチャー (Springer Nature)」。
歴史
1842年 、ユダヤ人 イジドール・シュプリンガー (Isidor Springer)の息子[ 10] 、ユリウス・シュプリンガー はプロイセン王国 、ベルリン にSpringer-Verlag (シュプリンガー・フェアラーク、すなわちシュプリンガー出版社 )を創業した[ 11] 。
のちに、ユリウスの息子、フェルディナント・シュプリンガー・ゼニオール (ドイツ語版 ) (Ferdinand Springer senior, 1846-1906)は、弟フリッツ・シュプリンガー(Fritz Springer, 1850-1944)と共に父ユリウスよりシュプリンガー・フェアラークを引き継いだ[ 10] 。ユリウスの息子たちの時代に同社は理工学系書籍を主として取り扱うようになり、学術雑誌 の発刊にも漕ぎ着けている[ 10] 。
フェルディナント・ゼニオールの死後、フリッツはフェルディナント・ゼニオールの息子、フェルディナント・シュプリンガー・ユニオール (ドイツ語版 ) (Ferdinand Springer junior, 1881-1965)と自身の息子、ユリウス・シュプリンガー・ユニオール (Julius Springer junior)に社を引き継いだ[ 12] 。シュプリンガー・フェアラーク第3代社長となったフェルディナント・ユニオールとユリウス・ユニオールは、不景気とヴァイマル共和政 時代の社会不安が漂う中、同社をドイツ有数の理工学系出版社に成長させた[ 10] 。
1920年代には、ツァイトシュリフト・フュア・フィジーク において、ハイゼンベルク 、パウリ 、ボルン などの物理学者による量子力学 の革新的な論文が多数掲載された。
しかし、ナチス の台頭以後、状況が一変した。ナチスの反ユダヤ主義 政策により、ユダヤ人研究者の書籍、ジャーナルに発禁 処分が下された。また„Sächsische Ärzteblatt“("Saxonian Medical Journal"、「ザクセン医学雑誌」)などによる、反ユダヤ主義に基づいた「反シュプリンガー批判」がドイツ医学雑誌界に巻き起こった[ 10] 。ナチス党員でもある出版社社長ヴィルヘルム・バウアー (Wilhelm Baur, 1905–1945)は「シュプリンガーのアーリア化 」を主張した(強制的同一化 )[ 10] 。シュプリンガーは、ナチスが考える、アーリア人種 が学ぶべき分野の書籍のみ出版が許された。また1935年 9月15日のライヒ市民法 (ドイツ語版 ) (ニュルンベルク法 の1つ)により、3人の祖父母がユダヤ人であったユリウス・ユニオールは「2級市民」[ 注釈 1] 、「法的な意味でのユダヤ人」とされ公民権 を強制的に停止させられた[ 13] 。一方フェルディナント・ユニオールは同法によると「半ユダヤ人」と見なされた[ 13] [ 10] 。ライヒ文化院 [ 注釈 2] 傘下のライヒ文学院 (ドイツ語版 ) (Reichsschrifttumskammer, RSK)はこの法に基づき、フェルディナント・ユニオールに、直ちにユリウス・ユリオールを同社から追放するよう要求した[ 13] 。同年10月10日、フェルディナント・ユニオールは、やむなく、「ユリウスの同社からの離脱を承認」した[ 13] 。1938年 以後、ユリウス・ユニオールはしばらくの間ザクセンハウゼン強制収容所 に収監された[ 10] 。フェルディナント・ユニオールは言論の自由 を守ろうとドイツ国内で支持者を集めるため奔走したが、その甲斐なくその後同社は国内での出版を停止した。ただ、フェルディナント、ユリウスから社を引き継いだテニェス・ランゲ(Tönjes Lange)がヒャルマル・シャハト と親しい関係にあったため、会社自体は消滅を免れ、また輸出は禁じられていなかった[ 10] 。
第二次世界大戦 後、同社は再建を開始した。テニェスとフェルディナント[ 11] 、後にユリウスも経営に復帰した[ 10] 。1946年 、戦後初となる本格的な出版物、カール・ヤスパース の„Die Idee der Universität “(ISBN 3540100717 )を刊行した[ 11] [ 注釈 3] 。
1957年 に共同経営者となったハインツ・ゲッツェ (Heinz Götze)は、シュプリンガー・フェアラークをドイツの出版社から国際的メディア企業へと進化させる舵取り役を担った[ 11] 。1964年 からは、ビジネスを国際的規模に拡大させ、ニューヨークに事務所を開設した。続いてまもなく東京 、パリ 、ミラノ 、香港、デリー にも事務所を置いた(国外の主要事務所は、これ以前には1924年 に開設したウィーン 支社程度しか存在しなかった[ 11] )。またゲッツェの時代から英書出版を事業の中核に据えている[ 11] 。
1999年 、ドイツの出版社ベルテルスマン がシュプリンガー・フェアラークの支配権を得るに至り、学術出版企業BertelsmannSpringer (ベルテルスマンシュプリンガー)が誕生した[ 11] [ 14] [ 15] 。
2003年 にはイギリス の投資企業グループ 、シンヴェン (英語版 ) (Cinven)とキャンドーヴァー・インヴェストメンツ (英語版 ) (Candover Investments)がベルテルスマンからベルテルスマンシュプリンガーを買収した[ 14] [ 16] [ 17] [ 18] 。同企業集団は2002年 にオランダ の情報サービス・出版企業ヴォルタース・クルーワー (Wolters Kluwer)から買収した出版社、Kluwer Academic Publishers (クルーヴァー・アカデミック・パブリッシャーズ、KAP)[ 19] [ 20] を2004年 にベルテルスマンシュプリンガーと合併 させた[ 21] [ 22] 。新社名はSpringer Science+Business Media (シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア)となった。
2009年 、シンヴェンとキャンドーヴァーはシュプリンガーを2つのプライベート・エクイティ・ファーム 、EQTパートナーズ とシンガポール政府投資公社 に売却した[ 23] [ 24] [ 25] [ 26] 。米国 と欧州 の競争当局が譲渡 を承認した後、2010年 2月、売却取引の終了が確定した[ 27] 。
コーポレートアイデンティティ
シュプリンガーのコーポレート・ロゴ にはチェス のナイト (ナイトはドイツ語で"Springer" 「跳ね馬」と呼ばれる)が描かれている。これは、モンビュー地区 (ドイツ語版 、英語版 ) (Monbijouplatz)の社屋建築を監督したヴィルヘルム・マルテンス (ドイツ語版 ) (Wilhelm Martens)が、彼の師でもある義父、マルティン・グロピウス のスケッチを基に描いたものを、1881年 に2代目経営者、フェルディナント・ゼニオールが採用したものである[ 11] [ 28] [ 10] 。ロゴの変更は何度かあったものの、ナイトの駒は2011年現在のロゴにも描かれ続けている。
また現在は描かれていないが、かつては創業者ユリウス・シュプリンガーのイニシャル "JS"と„Alle Zeit wach“("Be ever alert", 「常に注視せよ」)とのスローガン がロゴに描かれていた[ 28] [ 10] 。
電子書籍
シュプリンガーは1996年 に立ち上げたSpringerLink (「シュプリンガー・リンク」)サイトにて電子書籍、電子ジャーナルをコンテンツとして提供している。シュプリンガー・リンクはEBSCOインダストリーズ (英語版 ) の一部門、MetaPressにより運営されている[ 29] 。日本の多くの大学では、同サービスを契約している場合が多い[ 30] 。
シュプリンガー・プロトコルは研究室での実験 指導を目的として、一歩一歩着実な指示を与えるための実験計画(プロトコル)や方針例が多数収められている[ 5] 。
シュプリンガー・イメージは2008年 に開設された。科学、技術、医学分野に及ぶ180万枚の画像が集められ、同サイトで提供されている[ 6] 。
シュプリンガー・マテリアルは2009年 より開始された。これはランドルト=ベルンシュタイン (英語版 ) (Landolt–Börnstein)データベースへのアクセスを行うためのプラットフォームである。同データベースは物質、物性 、科学的事象等に関する研究結果や情報を集積した世界最大の包括的[要出典 ] 情報源である[ 7] 。
"AuthorMapper"(「オーサーマッパー」)は、科学研究の視覚化のためのフリーのオンライン・ツールである。これはある文書の著者の位置情報を地図(Google マップ [ 31] )上に図示することが可能となっており、科学研究のパターンの探求、各文献の動向確認、コラボレーションや類縁関係の発見などに役立ち、そして科学・医学の各分野における専門家の所属研究機関、大学等所在地が利用者に一目で分かるようになっている[ 32] 。
オープンアクセス
オープンアクセス総合誌として2012年よりSpringerPlusを展開している。シュプリンガーの数種類のジャーナルでは、同社は著作者 (author、著者)に著作権 の譲渡を要求しない。そして著者の論文、記事をオープンアクセス ・ライセンス で発刊するか、それとも古典的な制限型ライセンス・モデルを採るかを著者自身にゆだねている[ 33] 。オープンアクセスによる出版を選んだ場合、一般的に、著者は著作権保持のため手数料を支払う必要があるが、同時にこの手数料を時折著者以外の第三者 が賄える場合もある。例えば、ポーランド のある国家研究機関は、著者にいかなる個人の負担を負わせることなく、オープンアクセスジャーナル の発刊を許可している[ 34] 。
2016年6月13日に自然科学 から工学 、社会科学 まで扱う分野が広過ぎるという理由で今後は新規の投稿を受け付けず、休刊予定である事が発表された[ 35] 。今後は生物学 、医学 関連はBMC series 、自然科学 はScientific Reports 、社会科学 はPalgrave Communicationsへの投稿を推奨する。
インプリント
次は、同社所属のインプリント の一部である。
エイプレス (英語版 )
バイオメド・セントラル (英語版 ) (BMC)
ビルクホイザー・フェアラーク (英語版 )
カレント・メディスン・グループ(Current Medicine Group)
フィンレイソン・メディア・コミュニケーションズ(Finlayson Media Communications)
ヒューマナ・プレス (英語版 )
インフォケム(Infochem)
キー・カリキュラム・プレス(Key Curriculum Press)
クルーヴァー・アカデミック・パブリッシャーズ(Kluwer Academic Publishers)
プリナム・パブリッシャーズ(Plenum Publishers)
シュプリンガー・アジア(Springer Asia)
シュプリンガー・フランス(Springer France)
シュプリンガー・イタリア(Springer Italy)
シュプリンガー・インド(Springer India)
シュプリンガー・ジャパン (Springer Japan)
ジャーナル
出版物
次は、同社の出版物の一部である。
表彰
ユリウス・シュプリンガーの功績を記念し、応用物理学 分野での輝かしい業績を残した人物を表彰するユリウス・シュプリンガー賞 (ドイツ語版 ) が同社により設けられている[ 37] 。
その他
2010年 、同社はベルリン中央地域図書館 (ドイツ語版 、英語版 ) (Zentral- und Landesbibliothek Berlin, ZLB)に同社にまつわる歴史的資料や蔵書を寄贈した[ 38] 。1945年 までに同社が発刊した15,000以上にも及ぶタイトルの書籍や多数のジャーナル、レビュー、翻訳書に加え、アインシュタイン 、ザウアーブルッフ 、マイトナー 、ハーン らの書簡も含まれる[ 38] 。ZLBは同社創業の地であるミッテ (英語版 、ドイツ語版 ) 、ブライテ通り (ドイツ語版 ) (Breite Straße)に本館がある。
関連項目
脚注
注釈
^
Staatsbürger、領邦市民。ライヒ市民法では、"Reichsbürger"(「ライヒ市民」)という「1級市民」を表す用語が新たに創られ、これが支配階級のいわゆる「アーリア人種」を意味する。
^
ナチス・ドイツ時代の文化・芸術を一手に引き受けた国民啓蒙・宣伝省 所管の組織。ドイツの芸術家はここへの登録を義務付けられた。登録拒否および追放は、当時のドイツで活動する芸術家にとって「職業上の死」を意味する。
^
1923年 に発表され、ドイツの大学の構造的、精神的な面を分析し、「大学の自治」、「学問の自由 」を維持するための意見を述べた同名書の第二版。初版に対し、ナチス時代の荒廃からドイツの大学を再建するための提案を加筆している。
英訳"The idea of the university"はビーコン・プレス (英語版 ) (1959年 )、Peter Owen Ltd.(1965年 )など。
Karl Jaspers (1965). Karl W. Deutsch. ed. The Idea of the University . Robert Ulich, H. A. T. Reiche and H. F. Vanderschmidt. Peter Owen Ltd.. ISBN 0720643163
日本語訳『大学の理念』は「ヤスパース選集」第2巻(森昭 訳。1950年 。理想社 、絶版 )ならびに1999年 に単行本 として理想社から次が出版されている。
カール・ヤスパース 著、福井一光 訳『大学の理念』理想社 、1999年2月。ISBN 978-4650001396 。
^
当時この研究所は「マリー」という森(du Bois Marie)の至近に存在した。
出典
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・Springer:
Springer Science+Business Media(シュプリンガー・サイエンス+ビジネス・メディア)。
ドイツに本拠を置く、STM(科学・工学・医学)系の学術出版社。
年間1,450誌の学術雑誌、5,000点以上の新刊書を出版し、学術雑誌では世界第二位規模、
書籍ではトップクラスのシェアを有する。”
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外部リンク
社史
シュプリンガー公式の社史
シュプリンガーの重職を務めた人物らの執筆による社史。前後2編。英語翻訳版はシュプリンガー・リンクにてオープンアクセス ・ブック(PDF 、総ファイルサイズ550MB程度)として全編ともに全文公開されている。ファイル・ダウンロードはシュプリンガー・リンクの契約すら不要かつ無償で可。製作部門のトップを務めたハインツ・ザルコウスキー (ドイツ語版 ) (Heinz Sarkowski)が、創業から第二次世界大戦終結後までの前編、後編では経営トップに立ったハインツ・ゲッツェ (Heinz Götze)も加わり、再建と国際化の時代を執筆している。
Sarkowski, Heinz (1992) (ドイツ語 ). Der Springer-Verlag: 1842-1945, Stationen seiner Geschichte . Springer-Verlag. ISBN 3540552219
Sarkowski, Heinz. Götze, Heinz (1994) (ドイツ語 ). Der Springer-Verlag: 1945-1992, Stationen seiner Geschichte . Springer-Verlag. ISBN 3540566910