離婚後間もない1931年初め、ニュートリノの仮説を提唱する直前に、パウリは深刻な精神的不調に悩まされた。彼は精神科医・心理学者で、パウリと同じくチューリッヒ近郊に住んでいたカール・グスタフ・ユングの診察を受けた[2]。パウリはすぐに自分の「元型夢」の解釈を始めるようになり、難解な心理学者ユングの最高の生徒となった。間もなく彼は、ユング理論の認識論について科学的な批評を行なうようになり、ユングの思想、特にシンクロニシティの概念についての説明を与えた。これらについて二人が行なった議論はパウリ=ユング書簡として記録されており、Atom and Archetype(『原子と元型』)というタイトルで出版されている。
物理学に関してはパウリは完全主義者として有名だった。この性格は彼自身の研究だけでなく、同僚の仕事に対しても発揮された。結果的にパウリは「物理学の良心」として物理学のコミュニティの中に知られるようになり、彼の批評を受けた同僚は彼の疑問に答える義務を負うこととなった。パウリは自分が欠点を見つけた理論はどんなものでも ganz falsch(完全な間違い)とレッテルを貼って酷評することもあった。かつて自分が誤りを見つけたある論文に対して彼が「"Das ist nicht nur nicht richtig, es ist nicht einmal falsch!"[この論文は、間違ってすらいない(正しいとか間違えているとかという次元にさえ至っていない)]」と述べた言葉は有名である。また、逆に自分の仕事をパウリに認めてもらうことを彼らは「パウリのご裁可(sanction)を得る」と言っていたという。
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Enz, Charles, P. (1995): "Rationales und Irrationales im Leben Wolfgang Paulis", in: Atmanspacher, H. et al (1995): Der Pauli-Jung-Dialog, Springer, Berlin.
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Pauli, W., Jung, C.G. (2001): Atom and Archetype, The Pauli/Jung Letters, 1932-1958, ed. C.A. Meier, Princeton, Univ. Press, Princeton, New Jersey.
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